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ハンガリーからアウシュビッツへ移送されて79年 貴重なユダヤ人の写真「アウシュビッツ・アルバム」

佐藤仁学術研究員・著述家
ハンガリーからアウシュビッツに到着したユダヤ人(ヤド・バシェム提供)

第二次世界大戦時にナチスドイツが支配下の地域でユダヤ人を差別、迫害して約600万人のユダヤ人、ロマ、政治犯らを殺害した、いわゆるホロコースト。ハンガリー政府は長い間ナチスに抵抗していたが、1944年になるとユダヤ人迫害が猛威を奮い、徹底的なユダヤ人差別の法律が100以上もできた。1944年4月から5月にかけて、ハンガリー全土で数十万人のユダヤ人が連行され、工場跡地や、ユダヤ人コミュニティの建造物、シナゴーグに押し込められた。そして最終的にアウシュビッツ絶滅収容所に移送されて殺害された。

1944年にはハンガリーからのユダヤ人移送は世界中に報道された。この時は絶滅収容所での殺害はあまり知られていなかったがルーズベルト米国大統領、バチカンのローマ教皇ピウス2世、スウェーデンのグスタフ国王、国際赤十字総裁から抗議の声明が出された。対独協力のハンガリー政府はドイツ側の労働力提供の要求に応じているだけと強調したが、国際的な批判の高まりから1944年7月にユダヤ人の移送を停止した。だが地方のユダヤ人の移送はほぼ終わっていたため、免れたのはブダペストの一部のユダヤ人だけだった。

映画『ウォーキング・ウィズ・エネミー/ナチスになりすました男』(原題:Walk with the Enemy)はナチス支配下のハンガリーでのユダヤ人を描いた内容だが、そこでもユダヤ人を「黄色い星の家」と呼ばれる1つの建物に収容しているシーンがあり、それはポーランドのゲットーとは違ったものだった。ブダペストには外国の特派員や外交官たちが生活していたから、ユダヤ人迫害の真実を隠すために、ドイツ軍はブダペストにはゲットーを作らないようにした。そのためハンガリー系ユダヤ人は強制収容所に移送されてからも、他の国から移送されてきたユダヤ人と違って収容所での生活に馴染むことができずに苦しんでいた。

1944年5月にハンガリーのユダヤ人らがアウシュビッツに移送され到着後に選別されて強制労働に登録されガス室に送られる直前までの貴重な写真がイスラエルの国立ホロコースト博物館のヤド・バシェムで「アウシュビッツ・アルバム」として公開されている。今年2023年で79年である。

ナチスのユダヤ人政策は「労働を通じた絶滅」だったので、働けないユダヤ人は即座にガス室で殺害された。そのためアウシュビッツなど強制収容所に到着すると、働けるかどうかの選別が行われた。働けないとみなされた老人や子供たちはすぐにガス室に送られた。

▼アウシュビッツに到着したハンガリーのユダヤ人

(ヤド・バシェム提供)
(ヤド・バシェム提供)

▼アウシュビッツで働けるかどうかを選別されるハンガリーのユダヤ人

(ヤド・バシェム提供)
(ヤド・バシェム提供)

▼アウシュビッツで強制労働に登録され整列させられるハンガリーのユダヤ人

(ヤド・バシェム提供)
(ヤド・バシェム提供)

▼アウシュビッツでガス室に送られる直前のハンガリーのユダヤ人

(ヤド・バシェム提供)
(ヤド・バシェム提供)

進む記憶のデジタル化

ヤド・バシェムでは約480万人のホロコースト犠牲者のデータベースがあり、それらは世界中からネット経由で閲覧することもできる。約600万人のユダヤ人が殺害されたが、残りの120万人は名前が判明していない。第2次世界大戦が終結して約80年が経過し、ホロコースト生存者の高齢化が進んできた。生存者が心身ともに健康なうちにホロコースト時代の経験や記憶を証言として動画で録画してネットで世界中から視聴してもらう「記憶のデジタル化」が進められている。

ハンガリーだけでなく、ナチス支配下のユダヤ人はゲットーに収容される前にユダヤ人らはラジオやカメラ、自転車といった当時はかなり高額な商品の保有を禁止されて没収されていた。隠して持っているのがばれると銃殺されることもあった。アウシュビッツに移送されるときに持参できる荷物は限定されていたため、たとえ隠し持っていたとしてもカメラを持ってアウシュビッツに行くことはほぼなかった。アウシュビッツに到着してからのユダヤ人らの写真はナチスドイツの親衛隊員らが撮影したものである。このようにナチスドイツが撮影した当時の写真もデジタル化されて後世に伝えられている。ヤド・バシェムでは、ハンガリーのユダヤ人のアウシュビッツ移送や到着後の選別などの貴重な写真や、当時の経験者が戦後に語った当時の記憶や証言をデジタル化して動画で配信も行っている。

ヤド・バシェムでは、ホロコースト当時の写真のデジタル化とオンラインでの展示も進めている。現在のようにスマホで誰もが簡単に撮影できる時代ではなかった。カメラも貴重なものだった。1枚1枚の写真に全てのユダヤ人の思い出が詰まっている。さらにヤド・バシェムではホロコースト犠牲者の身元確認とデータベース構築も進められているが、ナチスドイツによって完全に消失したユダヤ人集落などもあり、全ての犠牲者の名前や写真を収集してデータベースに格納することは難航している。また写真だけは辛うじて残っているが、それが誰の写真なのか全くわからないものも多い。

戦後約80年が経過しホロコースト生存者らの高齢化も進み、多くの人が他界してしまった。当時の様子や真実を伝えられる人は近い将来にゼロになる。ホロコースト生存者は現在、世界で約24万人いる。現在、世界中の多くのホロコースト博物館、大学、ユダヤ機関がホロコースト生存者らの証言をデジタル化して後世に伝えようとしている。ホロコーストの当時の記憶と経験を自ら証言できる生存者らがいなくなると、「ホロコーストはなかった」という"ホロコースト否定論"が世界中に蔓延することによって「ホロコーストはなかった」という虚構がいつの間にか事実になってしまいかねない。いわゆる歴史修正主義だ。そのようなことをヤド・バシェム、ホロコースト博物館やユダヤ機関は懸念して、ホロコースト生存者が元気なうちに1つでも多くの経験や記憶を語ってもらいデジタル化している。

▼ヤド・バシェムで公開した「アウシュビッツ・アルバム」

▼ハンガリーからアウシュビッツに移送されたホロコースト生存者の証言

学術研究員・著述家

グローバルガバナンスにおけるデジタルやメディアの果たす役割に関して研究。科学技術の発展とメディアの多様化によって世界は大きく進化してきました。それらが国際秩序をどう変化させたのか、また人間の行動と文化現象はどのように変容してきたのかを解明していきたいです。国際政治学(科学技術と戦争/平和・国家と人間の安全保障)歴史情報学(ホロコーストの記憶と表象のデジタル化)。修士(国際政治学)修士(社会デザイン学)。近著「情報通信アウトルック:ICTの浸透が変える未来」(NTT出版・共著)「情報通信アウトルック:ビッグデータが社会を変える」(同)「徹底研究!GAFA」(洋泉社・共著)など多数。

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