【富田林市】米軍も狙った黄金の柱?東板持にある十三重層塔は、今も謎だらけの重要美術品です
墓地などでよく目にする石塔のことを、卒塔婆(そとば)といいます。釈迦の遺骨(仏舎利)を祀った仏塔と言われ、この様式は朝鮮半島から日本に伝わりました。
卒塔婆は奇数の段組みで作られるのが特徴。13重になっている物を十三重塔と呼び、有名なのは国の重要文化財に指定されている京都・宇治川の塔の島にある浮島十三重石塔です。
ところで富田林にも板持十三重塔があることを知りましたので、どのようなものか実際に見てきました。
場所は東板持町です。板持バス停から東に向かう道をまっすぐに佐備川を渡ったさらに先、板持共同墓地の中にあります。
板持共同墓地は小高い丘の上にあり、そこからは画像のような風景が見えます。
こちらが板持共同墓地ですが、ちょうど真ん中あたりにひときわ高い塔が見えました。あれが、今回の目的の板持十三重塔です。
少し離れた場所からも、はっきりと十三重塔が見えます。
調べると、この十三重塔は花崗岩(かこうがん)でできているそうで、高さは4メートル以上あります。1935(昭和10)年に重要美術品に認定されました。
重要美術品とはあまり聞きなれない名前ですが、これは現在の文化財保護法施行以前に古美術品流出防止を目的とした認定制度。認定効力はいまも有効となっています。
さて、十三重塔の前に来ました。下に土台がありますが、情報によれば土台が半分以上地中に埋まっているそうです。地上に出ている部分でわかったことは、この十三重塔は鎌倉末期の1319(文保3)年に建てられたとか。
これは楠木正成が後醍醐天皇の呼びかけに応じて挙兵する十数年前になるので、楠木氏との関係者(有力な協力者?)が関わっているのではと指摘されていますが、現時点では不明です。
ところが、板持十三重塔は、楠木氏とは無関係なところで有名になりました。それは1926(大正15)年に、南河内郡東部教育会編の「郷土史の研究」に気になる文言がありました。
心柱(しんばしら)とは塔のような高い建物の中心にある柱で、塔を支える大黒柱のようなもの。これは五重塔のような木造建築だけでなく、最新の技術を駆使して建てられた東京スカイツリーでも心柱があります。
石塔の板持十三重塔の中にも心柱があるのは当然として、その心柱が「黄金ではないか」と郷土資料に書かれていたのです!
そして終戦直後のこと、アメリカの進駐軍が板持の地に来て、驚くべきことを伝えてきました。
それは「ここに公民館を立てるから、この石塔をアメリカに持ち帰りたい」と言ったというのです。
しかし、結果的にアメリカ軍も石塔を持ち帰ることが無かったようで、謎だらけの板持十三重塔は、現在も板持共同墓地の中心に立っています。
板持地域の御先祖様が眠る墓地を守るようにして立っている十三重の塔を前にして、この中心に黄金があるのかないのか、謎を頭の中でいろいろと考えながら、静かに手を合わせて家路につきました。
板持十三重塔
住所:大阪府富田林市東板持町2丁目
アクセス:近鉄富田林駅からバス 板持バス停から徒歩8分