外国人生活者の権利保障ーハートネットTV「シリーズ 暮らしと憲法 第二回 外国人と憲法」を観て
2017年1月5日、NHK Eテレ、ハートネットTVにて「シリーズ 暮らしと憲法 第二回 外国人と憲法」という番組が放送されました。日本国憲法が施行されてから70年の節目の年ということで、外国人に関わりが大きく、誤解や偏見も少なくない、第25条の「生活保護」や第26条の「教育の権利と義務」について取り上げていました。
日本で暮らす外国人は230万人にのぼり、定住・永住・長期滞在が可能な資格を有し、事実上の移民と言える人々はその半数以上を占めています。日本政府が移民政策ではない、としながらも外国人労働者受入れに舵を切った今、日本に暮らす外国人の権利保障についてあらためて考えさせられました。
日本で暮らす外国人の現実ー生活保護窓口担当者と教育支援の現場で
番組内では、日本で暮らす外国人と直接関わりを持つ行政の生活保護担当者が登場し、生活保護を受ける外国人について「外国人だから対応を違えることはない。放っておいたら死ぬか死なないか、だけ。(それが対応基準)」と人命を最優先する中で、家庭訪問など細やかな対応を重ねる様子が映し出されていました。かつて、労働不足を理由に日系人に対して門戸を開き、働けるだけ働かせ、税金を支払わせているにも関わらず、いざ働けなくなったら使い捨ててしまうような対応でよいのだろうか、と担当者の方の言葉が印象に残ります。
また教育の現場では、義務教育の対象者ではないことや、言葉の壁などにより不就学状態に陥る外国人の子どもに対して、「こうした子ども達は日本でこの先も暮らしていく可能性が高い。だから教育をしっかり行う事が重要」と、不就学状態の親子につきそい、行政の窓口で手続きを支援する様子が映し出されていました。
行政として、草の根の支援者として、日本社会として外国人の権利が保障されていない現状に危機感を持ちながら、目の前の外国人のおかれた困難な状況の解決に奮闘し続けていました。
日本国憲法における外国人の権利
番組の中では、外国人の権利を定めていない憲法は珍しいことに言及した上で、1946年の憲法制定に関わったベアテ・シロタ・ゴードンさんの過去のインタビュー映像が流され、当初、GHQ草案においては「外国人は法の平等な保護を受ける」との記述があったこと、しかし、日本側との検討の課程でこの点が火種になる事で戦争の放棄など、他の重要項目が成立しないことを懸念し、削除となった経緯を紹介していました。
また、2人の憲法学者が登場し、それぞれ異なった角度からの解釈を提示しました。一方の学者の方は「教育を受ける権利も生存権も基本は人権であり、人権はすなわち、すべてのひとの権利という言葉。それが日本国憲法の基本なので、条文に国民と書いてあることはあまり意味がない。」と述べ、もう一方の学者の方は「社会権なので国家が前提であり、外国人には保障されない。」とし、教育であれば基本的には親の責任との持論を展開しました。
憲法に明示はないけれど・・・
外国人の子どもの教育については、外国人保護者に教育を受けさせる義務はなく、このことが影響し不就学の発生につながることなどが指摘されています。番組内では文科省国際教育課主任がインタビューに答え、憲法には「国民は・・・」と書かれているものの、政府として国際的に批准している条約上(国際人権A規約および児童の権利に関する条約)、必ずそこには、すべての子どもに教育機会を与えるということが義務付けられた、との考えを示しました。
番組には登場しませんでしたが、法務省のウェブサイト上からは、平成23年4月1日に閣議決定され一部変更された「人権教育・啓発に関する基本計画」を見ることができます。その中で、日本国憲法と外国人の平等の権利・機会の保障等について以下のように記載されています。
これを読んでいただくとわかるとおり、日本国憲法が日本に暮らす外国人の基本的人権の享有を保障していることが明示されており、今点はすでに解釈改憲がなされている、とも言えます。
想定外のことも起き始めている
国際化が進んだ現在では、憲法上で想定されている範囲外のケースも発生し始めています。筆者の支援現場では、外国籍保護者がひとり親として日本国籍の子どもを育てている家庭は珍しくなく、これまで「義務教育の対象外」とされてきた「外国籍保護者と外国籍の子ども」の範囲を超え、法的な位置づけが明確ではない事例があります。
以下は、この件についての疑問をつぶやいたツイートに対し、東京国際大学 国際関係学部准教授である杉本篤史先生が調べ回答してくださった際のものです。
現実と向き合って
番組の中では、とある自治体教育委員会の担当者が匿名でインタビューに答えており「外国人、日本人を差別している意識はないが・・・財政的な問題があり支援のための費用負担ができない」「就学の義務の有無は大きく、支援を用意できなければ不就学状態となってもやむなし」と苦しい立場を明かしました。
また、生活保護申請者、受給者として紹介された外国人の方々は、1990年代に国が労働力不足を補填するために呼び込んだ日系人の方々で、二十年以上に渡り日本国内で働き、税金を納め、社会に貢献してきた方々でした。こうした方々に対して、働けなくなれば「保障は対象外」とされる現状。そして今また、国は少子高齢化による労働力の不足を補おうと、外国人労働者へ門戸を開放し始めました。
時代が変化する中で、憲法における「国民は・・・」の言葉に続く、人として有する権利を保障されるべき人々は多様化し、今後いっそう、進行していくことは確実です。働けなくなったら居場所がない、子どもの教育は保障されない・・・このような状況を放置することで私たちが得られるメリットはほとんどありません。
番組に登場した2人の憲法学者の、どちらか片方(または双方)が極端な理論がぶつかり合う様子は、TwitterなどのSNS上には日常的に、より暴力的な言葉を持ってあふれており、お互いに相容れない主張を展開する事と、現実に起きている問題に一つ一つ対応しようとする事との乖離とをあらためて感じさせられました。
改憲だけが全てではありませんが、国籍を含む多様な人々が、法的にも明確な足場を持つことができれば安心して暮らし、活躍する事が可能にもなります。
今現在起きていることを前提とした、建設的な議論を重ねることの必要性を強く感じると共に、外国人の権利に関する正しい情報を積極的に提供し理解を促進する事や、教育機会を権利に基づいて保障することなど、具体的にできることを急ピッチで進めていくことの重要性を感じています。