献体が殺到する訳 献体墓の人類学
近年、大学医学部への献体を申し出るケースが飛躍的に増えている。献体登録数は1990(平成2)年でおよそ10万人だったのが2000(平成12)年には約20万人、2022(令和4)年3月現在では31万人以上に上った。本稿では「絶滅する墓 日本の知られざる弔い」(NHK出版新書)をもとに、献体の現在と、献体の供養を紹介していく。
京都大学の巨大な献体供養塔
献体とは、主に大学の医・歯学部が医学生の教育、訓練を目的として、一般の人から死後、遺体の提供を受ける制度のことである。日本における献体は、献体希望者の遺志によって、無条件・無報酬で行われる。献体は手術の技術向上や医学の発展において、欠かせない制度だ。医学生の場合、2人に1体、歯学生は4人に1体の遺体が必要になる。
解剖実習を終えた後は、大学が手厚く弔ってくれる。献体として提供した篤志家の合祀墓(供養塔)が、大学の敷地や寺院などに存在する。
例えば、京都大学医学部には大学キャンパス内の供養塔のほかに、大学近くの専用の敷地に巨大な供養塔を立てている。
広い芝生の広場の奥に高さ3メートルほどの宝塔が立っている。宝塔には「安魂」と刻まれ、卒塔婆が立てられている。卒塔婆には、南無阿弥陀仏の名号が書かれており、浄土宗がこの墓地を管理し、供養していることがわかる。
慰霊塔の南東には、浄土宗大本山の金戒光明寺(通称・黒谷)がある。京都大学の場合、この金戒光明寺にて慰霊祭(京都大学医学部解剖体祭)を毎年秋に実施し、慰霊塔での法要も実施している。法要には篤志家の遺族や大学関係者、学生らが参加。この1年間に解剖された200体前後の篤志体のほか、病理解剖、法医解剖された人々の弔いを実施している。法要に先立ち、9月には遺骨の返還式が執り行われる。
大阪にある複数の大学医学部の献体墓があるのが四天王寺だ。大阪市立大学、大阪歯科大学、近畿大学が1970年代に続々と献体墓を立てた。
「医学の研究・教育に尊き遺体を捧げられたるみたま、ここにねむる」(大阪市立大学医学部)
「當学の教育研究に遺体を捧げられた崇高な御霊ここにねむる」(大阪歯科大学)
近畿大学は1976(昭和51)年4月、献体墓(供養塔)の開眼式を実施。この年の秋には教職員の物故者法要と兼ねて合同慰霊祭が実施された。1979(昭和54)年には解剖体委員会が設置されて、解剖体慰霊祭の立案がなされた。そして、献体者の遺骨をここに納骨した。以来、毎年11月初旬に四天王寺で法要が実施されている。現在は、献体者本人や遺族の希望によって、四天王寺の地下納骨堂に納められ、永代供養がなされている。
これらの大学が四天王寺に献体墓を建立する理由は、四天王寺が特定の宗派に属することのない超宗派の寺院だからだ。四天王寺は、蘇我氏と物部氏が仏教の受容を巡って争い、聖徳太子率いる蘇我氏側が勝利した際に開かれた日本最初の官寺である。いわば、日本仏教が分派する前の、起源といえる存在だ。四天王寺は特定の宗派に依らないので、献体墓を設けるのに適している。
献体に殺到する人々
さて近年、大学医学部への献体を申し出るケースが飛躍的に増えている。わが国には献体篤志家団体が62団体ある。献体登録数は1990(平成2)年でおよそ10万人だったのが2000(平成12)年には約20万人、2022(令和4)年3月現在では31万人以上に上っている。うち、すでに献体をした人は約15万体となっている。こうしてみても、30年前にくらべて、献体数が右肩上がりに増加してきているのがわかる。
現在ではほぼ篤志家による献体でまかなえている。基礎医学を支える献体の世界に何が起きているというのか。
解剖学の歴史を少し辿ってみたい。日本における医学目的の解剖は1754(宝暦4)年、京都の医学者・山脇東洋が実施した「腑分け」(幕府の許可を得て刑死体を解剖すること)が最初と言われる。その後、江戸の医師であった杉田玄白や前野良沢らも腑分けに立ち会い、その後、西洋医学の翻訳書『解体新書』を著した。
篤志による献体は、明治期になってから。梅毒にかかった遊女・井上美幾女が医師の求めに応じて死後、身体を提供したのが始まりと言われている。
戦後、篤志家団体(白菊会)が成立するが、昭和50年代までは献体数が絶対的に不足していた。昭和の時代には、解剖実習は身元不明遺体で行われるケースも多かった。
その後、1984(昭和59)年に献体法が施行。文化人らが献体するケースや献体を題材にした小説も生まれ、広く世間に周知されるようになってきた。献体は、社会貢献の1つのあり方として位置づけられていく。こうした意識の変化が、じわじわと献体数を伸ばしている理由の1つに挙げられる。
東日本大震災後、「死後」を考える人が増えた
一方で、社会構造の変化が増加要因になっている面もある。つまり、核家族化によって、独居老人が増え、孤独感、死後の不安感ゆえに献体を申し出るケースである。また、いわゆる「おひとりさま」の増加も、献体数の伸びに影響を与えていると考えられる。
献体すれば、死後、防腐処理が施された上、大学で一定期間保管され、解剖実習後は遺骨となって遺族の元に還される。引き受ける遺族がいなければ遺骨は大学内の供養塔などに納められる。大学では、定期的に慰霊祭を実施している。つまり、献体することによって、「死後が見える安心感」が得られるというのだろう。
また東日本大震災以降、「自分の死に関心を抱くようになった」という人が増え、献体を選択する人も一部で現われ始めた。こうした人々の多くは、「人はいつ何時、死ぬか分からない存在。葬送を自分で決められる献体を選ぶことで、前向きに生きられる」との理由を挙げる。「伴侶が献体を希望しているので自分も」というケースも多いという。
様々な背景によって献体数が増えているが、献体の増加は、若き医師に対する教育が充実し、結果的に医療の向上に寄与することを意味する。だが、課題はある。
地方の新設医科大学や歯科大学ではまだ献体が集まりにくいということだ。献体を希望する人は知名度の高い都市部の大学や、自身が通院していた付属病院の大学を指名する傾向があるという。遺体の運搬の制限もあり、献体する場合は、自宅から近い場所の大学に限られる。献体の世界にも、都市と地方の格差が影を落としているのだ。
献体登録者が死亡し、実際の解剖実習までは2年ほどかかる。結果的に遺族の元に遺骨が返される時期が延び、
「(配偶者の遺骨が戻るよりも)自分の方が先に逝ってしまうので、早く解剖してほしい」
という希望も相次いでいる。献体希望者が増えているのに、運用面がかみ合っていない。
「葬儀代を浮かせたい」という本末転倒な人も
最近は、献体の理念や制度をないがしろにするような問い合わせが出てきている。
「献体をすれば、大学側が葬儀や埋葬をやってくれるでしょ。葬儀代を浮かせられるので献体したい」
身寄りのない人の場合、遺骨は大学に納められ、慰霊祭を実施してくれる。しかし、大学側は憤る。
「本末転倒な考え方で、そういう申し出は基本的にはお断りしている。純粋に医学への貢献を思って献体に登録されている方に不愉快な思いをさせることにもなりかない。そもそも献体は無条件、無報酬の考え方に基づいており、葬儀代の節約のための献体となってしまうと、制度そのものが崩壊してしまう」(都内の大学)
献体は「医療への貢献」という、極めて純粋な動機によって成立するものだ。そもそも、独居老人問題や高齢者の経済的な問題は、国や自治体が取り組まねばならぬ問題だろう。
数を集めればよいという問題でもない。数を求めれば金銭がからみ、ブローカーの介入にもつながる。海外では献体の世界にエージェント(代理人)が入り、自動車の衝突実験や臓器売買などに転用されるケースも出ている。
献体は、社会の実情を映す鏡なのかもしれない。日本人は死者を敬う美意識を持っているだけに、志を大切にした献体制度であってほしいと願う。
本稿は「絶滅する墓 日本の知られざる弔い」(NHK出版新書)をもとに構成した。