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歴史的なミャンマーの総選挙。メディアでは伝わらない舞台裏の人々の姿に触れた(上)

伊藤和子弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長
ヤンゴン管区の投票場で投票を待つ人たち

■ 歴史的なミャンマー総選挙

11月8日、ミャンマーで歴史的な総選挙が実施された。この選挙がなぜ歴史的かといえば、1990年以来の25年ぶりの、「民主的」と称される選挙であるからだ。

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(写真 投票所で投票を終えた女性)

1990年の総選挙ではアウンサンスーチー氏率いる最大与党国民民主連盟(NLD)が大勝したものの、軍政が選挙結果を認めずに独裁を続け、アウンサンスーチー氏は自宅軟禁におかれ、長い暗黒の軍政支配の時代に突入したのだ。

軍政下で開催された2010年の総選挙は、軍のあまりにも不当な規則に対し、NLDがボイコット。2011年の一応の民政移管以降、初の総選挙となる。

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投票所に並ぶ人々の姿を見てほしい。この日をどれだけ待ち望んでいたのか、よくわかる。

これまでの長い軍政のもと、どれだけ人々が苦しい思いをし、過酷な人権侵害に耐えてきたのか、どれだけの人が命を落としてきたのか、想像を絶するものがある。私たちも人権NGOとしてずっと記録を続けてきたが、本当に未来に何の希望も見いだせない時期が長く続いた。それでも民主化を求め続けた人々がようやく手にした、民意を示す場、それが今回の総選挙だったのである。

■ 国際監視団

実は私は今回、国際選挙監視団の一員として、選挙のプロセスに立ち会うことが出来た。

さきほど「民主的」と称されると述べたものの、現在の与党は軍政の流れをくむUSDP(連邦団結発展党)。

そのもとで仕切られる選挙には国際社会から強い懸念があった。

選挙の不正といえば、1980年代のフィリピンの総選挙(マルコス独裁政権からアキノ政権への移行)で、投票箱が奪取されるような大混乱が起きたことが有名であるが、権力を手放したくない者による不正というのは大なり小なり見られてきた。

ミャンマーの軍政下での選挙や国民投票を経験した人たちも秘密投票の自由がないなど、様々なことを訴えていた。

こうしたなか、欧米諸国や日本も、公正で透明性の高い選挙が実施されるようにと要請し、広い国際監視団の受け入れを求めてきた。

2010年にミャンマー軍政が実施した選挙では、軍政が国際監視団の受け入れを拒絶。2012年の補欠選挙でも限定的な選挙監視団しか受け入れられなかった。

しかし、今回は国際監視団を全面的に受け入れ、監視に耐えうる選挙をしようという姿勢を見せた。

こうしたなか、日本からも監視団派遣の動きがあり、政府監視団(民間人もふくむ)の派遣が決まった。

しかし、在日ビルマ人、特に難民として認定されて日本で生活する人々は、自分たちの蚊帳の外で政府監視団の派遣が決まったことを心配しており、「法律家、ジャーナリスト、議員など、ミャンマーのこと、選挙のことに詳しいエキスパートによる独立した監視団を結成してほしい」という要望を訴えられた。

私は、なんとか彼らの要望に応えたいと思って動いたところ、超党派で組織されている国会議員のグループ『ミャンマーの民主化を支援する議員連盟」が独立した調査団を派遣するということを知り、この調査団に参加する形で、[www.hrn.or.jp 国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ]からも私を含め3名を選挙監視団に派遣することを決めた。

監視団は長年ミヤンマーの問題に尽力されてこられた中川正春衆議院議員を団長として10名以上、江田五月元法務大臣も加わった。ミャンマーの民主化にずっと関わってきた渡辺彰悟弁護士が参加して下さったこともたいへん頼もしかった。ちなみに、以下は、選挙監視団としての見解ではなく、既に選挙監視の任を終えての個人としての記録・感想であることをお断りする。

■ 不正の噂がたえない。

NLDの圧勝が選挙前から予測として伝えられる総選挙だったが、不正の噂を後を絶たない。選挙直前には、アウンサンスーチー氏自身が記者会見で不正を指摘し、選挙管理委員会の委員を厳しく批判する一幕もあった。

1988年の民主化運動リーダーで、長年獄中にいて2年前に解放された国民的英雄・ミンコーナイン氏に選挙直前に面会したところ、軍政による有権者リストの大量水増し、監視が行き届きにくい事前投票での不正の危険、選挙中の治安維持にあたるために特別に選任された「特別警察」がどう出るのかわからない、などの懸念を指摘した。

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(写真・選挙前々日・ミンコーナイン氏との会談)

不正があることは間違いない、しかし、それがあったとしてもそれを凌駕する圧倒的な野党勝利の選挙結果となるのか、

それとも不正がはなはだしく到底容認できないレベルとなるのか、

そうした状況をNLDは慎重に見極めて態度表明をするだろう、というのがミンコーナイン氏の見方であった。

ヤンゴンの選挙管理委員会に行き、率直に「批判が出ているがどうなのか」と聞いた。すると驚いたことにヤンゴンの選管は準備の不備、特に有権者リストの整備が十分でないことを認めた。

しかし、すべてが完璧に進むまで選挙が出来ないとすれば、人々の早期に民主的な選挙をという要望に応えられなくなるというジレンマがある。現に、10月には洪水の影響で一部地区の住民の投票が困難になるとして、選管が総選挙の延期を提案したが、NLDなどから厳しく批判され。延期は撤回されて予定通り実施されることが決まった経緯がある。

現在整えた体制で、選挙を進めるしかない、そして公平性は国際監視団の監視によって担保するので、当日はよろしく、何をみていただいてもかまいません、というスタンスであった。

とはいえ、選挙に不正があったとしても、訴訟に訴える仕組みがあるわけではない。不正があったと苦情を選管に申し出ても、多くの場合聞き置くということで終わってしまうという苦情はあちこちで聞いた。このほか、戦闘が続く地域では選挙が実施されないなど、様々な問題が起きていた。

ちなみにヒューマンライツ・ナウは、選挙直前に「ミャンマー総選挙:国際基準に基づいた、公正な選挙の実施を求める」を発表している。

■ ぎこちない準備状況

前日は、投票所に行き、準備状況を確認した。

選挙はみんな一生懸命やっているようだったが、日本では考えられないようなことが多かった。

選挙の投票用紙が事前に郵便で送られるってことはなく、ゆえにどこが投票所かも郵便では知らされない。

みんなIDカードをもって思い思いに、「ここだな」と思う場所にいくそうだ。

投票箱は透明のプラスチック製。

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日本では衣装ケースなどにつかわれそうなものである。

二重投票を防ぐために新たに導入された対策が、投票が終った人の指に、紫色の特殊インクのようなもので着色させる、という手法である。驚くべき手法であるが、これも事前投票をした者にはそのような着色はさせない、ということで、事前投票をした人が当日も投票することを防ぐ方法は十分には講じられていない模様だ。

いろいろ聞いていくと、悪意がある人間がいれば、簡単に不正が起こりそうに見える。そこを国際監視団が見張って不正がないようにさせるのだ、ということになる。

■ 選挙当日

投票日の様子や選挙の概要についてはまず概況を下記の毎日新聞から引用しよう。

2011年の民政移管以降初の今回総選挙は、自由で公正な選挙が行われるか、民主化の行方を占う試金石とも指摘された。日本や米欧、国連などの約1000人を含め国内外から約1万人の選挙監視団が全国各地の投票所で開票作業を見守り、懸念された「大きな混乱」はなかった。一方、NLD幹部のティンウー氏は演説で、支持者に対し、選管の最終発表が終わるまで「平穏を保ってほしい」と呼びかけた。

国会(上下両院)の議席は計664議席で、うち4分の1の166議席は国軍最高司令官が任命する。選挙では民選枠の498議席が争われた。NLDが軍人枠を含めた議席全体の過半数、つまり民選枠の3分の2超を獲得すれば、単独で政権奪取が可能となる。

私たちも、選挙当日、選挙監視団は朝5時台から投票所に行って状況をモニタリングを開始した。

ミャンマー総選挙の投開票は午前6時から午後4時までである。  

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(写真 朝7時台  バハン地区の投票所前・投票を並んで待つ人々。)

私たちが訪れたヤンゴンの6つほどの選挙区に関する限り、監視団の監視は十分に保障されていたのではないかと感じた。

国際監視団としては私たちのほかの団体の姿もあったし、各政党代表も監視をしている。また、選挙の公正のため、または女性の政治参加のためにつくられたNGOが、監視団を出してずっと選挙の様子を見守っていた。

監視団メンバーは固定した椅子に座って動けない、というようなものではなく、自由に投票所を動き回り、投票の様子や投票箱の状況を確認し、投票する人や選管職員に話しかけたり質問することが出来た。二重投票防止の特殊インクが果たして長持ちするのか、調べるために自分たちも特殊インクを指につけてもらっりもした(なかなか色落ちしないことがわかった。投票から3日以上経過した今もって落ちない)。

監視団は投票所の中の、投票風景の様子を撮影してはならないとされていたし、選管に質問はできてもそれ以上意見を言うなどすることはできないとされ、仮に不正を確認したとしても是正するだけの権限はなかった。

それでも不慣れなところも含め、選挙の様子は包み隠さず、監視団の目に晒されていて、あからさまな不正など起こせない雰囲気はあったということができる。これはこれまでに伝え聞いた過去のミャンマーの選挙と比較して、格段の進歩といえるだろう。

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(写真  朝9時台  南オカラパーの投票所)

私たちがいく選挙区のなかでも、南オカラパーは激戦と言われ、そのため、意図的に騒動が作り出され、特別警察が動いて住民を鎮圧するのではないか、と心配するヤンゴン市民の声などを事前に聞いていた。しかし、実際に行ってみると、特に混乱もなく、安全が保たれていた。子ども連れ、家族連れの投票者たちのゆったりとした投票風景か見られた。

選挙実務に当たる人たちは、肩に力が入っている様子であり、非効率に思えるところも多々あり、作業に手間取り、投票所の前には長蛇の列、2時間、3時間もみんなが待っていた。日本の選挙とつい比較してしまい、「もっとこうすればいいのに」と思ったりもした。

しかし、皆さん懸命にがんばっていた。特に多くの投票所は、選挙管理委員会の委員長は男性の場合も多いようだが、実質上は女性が仕切っており、その下に若い女性たちが実務を担っているのが目立った。

ほとんどが当日ボランティアということであったが、「今、自分たちが民主主義を支えている」ということを強く意識して責任を全うしようとしている姿勢がうかがわれた。

■  何時間も行列をつくる人たち

そして何よりも素晴らしかったのは、朝から投票に行列をつくって投票に並ぶ人たちの姿だった。

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(写真  朝7時台 バハン地区の投票所前  すでに投票を終えた人が紫の特殊インクをつけた指(投票した証)を示す。)

彼女たち、彼らの顔には誇りがにじんでいた。自分たちが長いことかけて待ち続け、ようやく民主主義・自分たちが参加できる選挙、真の投票権を勝ち取ったのだ、この機会に自分の意思を示せる一票を絶対に無駄にしない、この一票に未来を託す、というひとりひとりの意思や想い、喜びなどが隠していてもあふれてしまうような光景であった。

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( 写真 朝7時台  バハン地区の投票所横の食堂 すでに投票を終えた男性たちが食事をとり、紫の特殊インクをつけた指(投票した証)を示す。)

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(写真 朝11時台 シュエピーダーの投票所)

どの投票所も長打の列でごったがえしていたが、特にこの投票所は大変だった。2時間待ち、3時間待ちという人がたくさんいた。

しかし、みなさん不平も言わず、並び続けている。長打の列であるが、怒って帰る人などいない。

よく考えれば、この方々は、25年も投票の機会を待っていたのである。それに比べれば、2~3時間待つことなどどうということもない。むしろ民主主義のためのプロセスを1分1秒かみしめているように見られた。

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(写真 朝11時台 シュエピーダーの投票所)

高齢の女性たちは、並び疲れて腰が痛くなり、家族に並んでもらって休んでいるという。それでも笑顔である。彼女たちは実はアウンサンスーチーさんと同じ年。スーチーさんがあれだけ頑張っているので、自分たちもへこたれるわけにはいかないということなのだろう。

みんなが民主主義を支えている、ひとりひとりがこの国の民主主義を担っているのだということに改めて深い感慨と感動を覚えた。

(続く)

弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

1994年に弁護士登録。女性、子どもの権利、えん罪事件など、人権問題に関わって活動。米国留学後の2006年、国境を越えて世界の人権問題に取り組む日本発の国際人権NGO・ヒューマンライツ・ナウを立ち上げ、事務局長として国内外で現在進行形の人権侵害の解決を求めて活動中。同時に、弁護士として、女性をはじめ、権利の実現を求める市民の法的問題の解決のために日々活動している。ミモザの森法律事務所(東京)代表。

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