ある日、夫が消えた。〜行方不明だった弁護士が拷問を証言
5年前の7月9日を境に、中国では人権派の弁護士や活動家が一斉拘束された。そのうち3年以上、安否さえ不明だった弁護士が、拘束期間に拷問を受けていた事実を証言した。
5年ぶりの帰宅
「パパ、晩ご飯にギョーザを食べよう」
シャワーを浴びて、着替えた王全璋(44歳)に7歳の息子、泉泉が駆け寄った。
「これで、やっと抱っこできるね」
大柄な王全璋は、歩き去ろうとした息子を振り向かせると、ひょいと抱き上げた。泉泉は、飛びつくように王全璋に抱きつくと、少しはにかんで頭を父の肩に委ねた。王全璋は、何も言わず息子の背中をしばらく撫でていたが、泉泉を下ろすと、今度は、2人の側で泣きそうな表情をしていた妻の李文足(35歳)に近づき、しっかりと抱きしめた。
李文足が夫の肩に顔を埋めたまま、どれだけ時間が経っただろう。泉泉が「僕を忘れないで」というように2人の腰のあたりにまとわりついた。それに気づいた王全璋が、再び息子を抱き上げると、李文足が右手を泉泉の背中に、左手を夫の首に回し、頬をすり寄せるようにして2人抱き寄せた。そこで初めて、李文足がわずかな笑顔を浮かべた。
今年4月27日、中国の北京にあるマンションの一室で、そんな出来事があった。それは、壮絶な日々を経た家族が、5年ぶりに1つになった夜だった。
弁護士は政治犯として服役
王全璋は人権派と呼ばれる弁護士。2015年7月10日から音信不通となった。王は、中国政府が邪教とみなす法輪功の信者の弁護なども引き受けていた。後に中国当局による一斉摘発の対象となったことが分かるが、3年以上裁判が開かれないまま勾留されるという異常な状態が続き、一時期は安否さえ不明だった。妻の李文足は夫の情報を求め奔走し続けた。
王全璋は、国家政権転覆罪で懲役4年6か月などの有罪判決を受け、今年4月5日に刑期を終えた。その後も新型コロナウイルス対策を理由に隔離されたが、4月27日に北京に戻ることが許され、家族との再会を果たした。
弁護士や活動家の一斉拘束から丸5年となる今年の7月9日、王全璋に話を聞いた。午後、自宅を尋ねると、泉泉が駆けずり回る家の中で、王全璋はひっきりなしに電話を受けていた。李文足は、彼の電話が終わるのを待たせていることをこう詫びた。だが、どことなく嬉しそうだった。
「彼は忙しいんです。毎日掛かってくる電話も多いし、取材も多いし、それから文章を書いたりしている。告訴の準備もしている。だから、最近は結構忙しい」
王全璋は、長い刑務所暮らしを経たとは思えないほど、ガッチリした体格を維持していた。肩幅もあり、身長は176センチ以上あるだろう。弁護士というよりスポーツ選手といった方がしっくりくるような堂々たる容姿だった。
王全璋の証言
その王全璋の身に、この5年間、一体何が起きたのか。
王全璋は正式に逮捕される前に、約1か月間、取り調べで厳しい拷問を受けていた。両手をバンザイするかのように高く掲げて見せ、こう証言した。
「1日15時間、1か月近く腕を上げ続けた。毎日朝6時に起きたらこのように両手を持ち上げる。食事の時だけを除いて、ずっと上げている」
部屋には冷房がかけられ、室温は16度くらいだったが常に全身に汗をかき、両腕は腫れていたという。
「後遺症が残り、今も肩の筋肉が痛い。筋肉を損傷したようだ」
それ以外に、頬を殴られたり、ペンで脇腹を突かれたりもした。罵しられ、侮辱され、顔に痰を吐かれた。
また睡眠の際には、仰向けで体を伸ばし、常に背中をベッドにつけていなくてはならなかったという。寝返りを打ちたくても、体を少しでも動かすと大声で怒鳴られた。ほとんど眠ることはできなかったという。
「睡眠面での処罰も非常に辛いものであった。殴るなど直接的な暴力は受けなかったとしても、そのようにされると死んだ方がましと思うようになる。一番辛かった時、生きる希望すら完全に失った。蝋燭が燃え尽きるように、死に向けて歩んでいるようだった」
極限まで追い詰められた状態。家族のことさえ思い出さなかったという。
「自分がどのように死んでいくのかを待っているようだった。そんな時に、家族のことを思い出すなんて、それは他の人たちの勝手な想像に過ぎない。実際には、何も考えないんだ」
王全璋はそう言うと、大きくかぶりを振った。