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日本のポップス史に残る名曲「あなた」発売から45年 音楽家・小坂明子が語る“あの頃”と今

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
「小坂明子には何を書いたら喜ぶのかが、最後まで見出せなかった気がする」

発売から45年、数多くのアーティストに歌い継がれ、聴き継がれてきた名曲「あなた」

『小坂明子 オリジナルアルバム・コレクション』(12/21発売) 74年~76年に発売された4枚のオリジナルアルバムをリマスタリング。Blu-specCD2、紙ジャケ仕様によるCD BOXとして復刻
『小坂明子 オリジナルアルバム・コレクション』(12/21発売) 74年~76年に発売された4枚のオリジナルアルバムをリマスタリング。Blu-specCD2、紙ジャケ仕様によるCD BOXとして復刻

日本のポップス史に残る名曲のひとつ、小坂明子が歌う「あなた」(1973年)。約165万枚のヒットを記録し、これまでに森山良子、岩崎宏美、徳永英明、Acid Black Cherry、Chara、May J.ら、数多くのアーティストにカバーされ、歌い継がれ、発売から45周年を迎えた。それを記念して、小坂明子のキャリアを網羅した4枚組CD-BOX『小坂明子 オリジナルアルバム・コレクション』が12月21日に発売された。実は小坂の初期のアルバムは、1stアルバム『小坂明子の世界』(1974年)以外4枚目までは、CD化されていなかった。今回、『愛のメルヘン』(1974年)、『ひとりごと』(1975年)、『海とショパンとバーボンと』(1976年)が初CD化され、『小坂明子の世界』と共にリマスタリングが施され、小坂の瑞々しい歌声と、美しいメロディが甦った。名曲「あなた」の制作秘話、4枚のアルバムへの思い、当時の音楽シーン、そして今の音楽シーンに思うことなどを、インタビューした。

初期作品が初CD化され「すごく愛おしくて、置いてきてしまったものに出会えた感じ」

まずは今回のアルバムの初CD化についての思いを聞くと、「すごく愛おしいです。置いてきてしまったものに出会えた感じです。しかも、数多くのアーティストの名作を手がけている世界的エンジニアのGO HOTODAさんがマスタリングを手がけてくださり、素晴らしい音に生まれ変わりました。改めて自分の歌を聴いてみて、昔は幼い声だなって思っていた時期もありますが、今回聴いて、うまいなって思いました(笑)。自画自賛(笑)」。

「「あなた」は自分で歌うのではなく、当時好きだったガロに歌って欲しくて書いた曲」

その言葉通り、4枚の作品にはシンガー・ソングライター小坂明子のメロディメーカーとしての才能、少女から大人の女性へと成長していく過程を捉えた言葉、メロディ、歌がパッケージされている。4枚のアルバムについては、後ほど詳しく語ってもらうことにして、まずは、代表曲「あなた」の制作秘話を聞かせてもらった。この曲は当時16歳、高校生だった小坂が授業中にノートに20分で歌詞を書き、家に帰り、ピアノで曲をつけ完成させたという逸話が残っているが、これは本当なのだろうか。

「本当です(笑)。最初に作ったものがダメで、作り直してできた曲が「あなた」です。でも今思うと、1曲目に作った「あなた」をボツにしたというのは、これじゃ売れないと思ったからですよね?なんで素人なのに、売れないなと思ったのかが謎で、そもそも売れるって何よっていう(笑)。何を考えていたのか、わからないですね(笑)。もともとガロ(フォークロックグループ/「学生街の喫茶店」(1972年)等のヒット曲があり、’74年『NHK紅白歌合戦』にも出場)が大好きで、彼らに歌って欲しくて書いた曲なんです。確かにガロに会いたいと思っていましたが、それよりも歌って欲しいという気持ちが強く、音楽家の父の勧めで、ポプコンに応募しました。でも色々あって、結局自分で歌うことになりました」。

「デビューしたものの、普通の学生生活が送れなくなり、当時は、人生の楽しみを奪われて最悪と思っていた」

写真提供/ソニー・ミュージックダイレクト
写真提供/ソニー・ミュージックダイレクト

小坂は当時、全盛だったアマチュアのためのプロのミュージシャンへの登竜門『ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)』に、「あなた」で出場。73年10月に行われた全国大会で入賞を果たし、新人歌手奨励賞に加え、グランプリも獲得。11月に開催された『第4回世界歌謡祭』で最優秀グランプリを獲得し、一躍注目の的になった。小坂の運命が変わった瞬間だった。そしてこの年の12月21日ワーナーパイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)から「あなた」でメジャーデビューを果たした。当時、彼女に付けられたキャッチフレーズは“ラブフォーク”。まだニューミュージックという言葉が登場する前に、歌謡曲ともフォークとも違う小坂の音楽性を表す言葉として選ばれた。「あなた」は発売と同時に、その美しい旋律と歌が話題となり、爆発的ヒットになった。16歳の少女が描くその哀しい歌詞の世界も注目を集めた。

「歌うつもりもなく作った曲が、こんなにも聴いてもらえるなんて、信じられませんでした。レールが敷れてデビューしてしまいましたが(笑)、友達と遊んだり、デートしたり、普通の16歳の生活ができなくなり、人生の楽しみを奪われて最悪、と当時は思っていました(笑)。私の子供の頃からの趣味が散歩で、家(神戸)の近所をよく散歩していて、当時から外国人が多く住んでいたので、カラフルで、低い垣根にお花が咲いているような家が多かったので、ああいう歌詞ができたのだと思います。昔から披露宴などでもよく歌われているとお聞きしますが、この曲は大失恋の歌なんですよね(笑)。全部過去形になっていて、<もしもわたしが家を建てるなら>が正しくて、<建てたなら>は過去進行形ではないと言われました。でも私はそれを変えるだけで、終わった夢を4小節で表せると思いました。聴いた人に色々想像してほしくて、“マチ”をちゃんと取ってある歌詞なんです。当時、自分なりに分析したのだと思います」。

「あなた」の好調さを受け、急遽制作され74年2月に発売されたのが1stアルバム『小坂明子の世界』だ。オリジナル6曲、提供曲6曲という構成で、シンガー・ソングライターとしての才能はもちろん、シンガーとしての表現力の豊かさが際立っている。小坂の父・務氏による「あなた」のジャズアレンジが収録されている。

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「一週間で作れと言われました(笑)。その時オリジナルが7曲しかなく、でもそのうちの2曲はシングル候補曲だったので使えず、あとの5曲はポプコン関係の曲でした。提供していただいた曲を歌う時、父から「そこで張り上げるな、1番高いところでは引く方が素敵だ」と初めてアドバイスをもらいました。それは私の中に今も生きています。当時は若くて怖いもの知らずだったので、言いたいことを言って、大人たちと戦っていました(笑)。でも2枚目の『愛のメルヘン』では、大人たちの意見を初めて取り入れました(笑)。デビューしてから書いた曲が入っていて、でも売れているということもあって、調子に乗っていましたね(笑)。1stアルバムのように、素人時代に一曲一曲大切に作っていたのと比べると、デビューして時間に追われていた中で、締め切りに合わせて書いてしまっている感じは、当時の自分の罪悪感として残っています。でも今聴くといい曲だなって思うし、選曲もすごくいいなと思いました」。

3rdアルバム『ひとりごと』は、高校を卒業した年に発売され、少女から女性へと成長を遂げる多感な時期ということもあり、さらに当時の苦悩が描かれた、内省的な歌詞が印象的だ。そんな中、山川啓介や藤公之介といった職業作家に初めて歌詞を委ね、自身が書く詞とはいい意味で温度感が異なる言葉の数々に曲をつけることで、作曲家としての才能をさらに進化させた。のちの作家活動につながる、そういう意味では彼女にとって重要なアルバムともいえる。「事務所や出版社が変わり苦悩していた時期でした。誰の言うことを聞いていいのかわからず、だから独り言のような歌詞が多いと思います」。

「4枚目のアルバム『海とショパンとバーボンと』から、ちゃんと“音楽”としてやり始めた感覚がある。自分の中ではずっとうまくいってなかったのかなって」

4thアルバム『海とショパンとバーボンと』については「今聴くとオシャレですごく垢ぬけていると思います。事務所を変わって、初めて自分のバンドが持てました。だからこのアルバムは、そのバンドで演奏するということを前提に曲が書けたことが大きいです」というように、洗練された多彩なサウンドを聴くことができる。

しかしデビュー曲にして「あなた」という国民的なヒットソングが生まれ、しかもその時16歳で、本来はスポットを浴びたくなかった、裏方志向の少女が受けた影響は、よくも悪くも大きすぎた。

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「4枚目あたりからちゃんと“音楽”としてやる始めた感覚がありますが、自分の中ではずっとうまくいってなかったのかなって。出発時点で、自分の中でも方向性を決めていなかったですし、こういう方向だろうと思っていた感じからズレて出発したので、ものすごく遠いところに行ってしまって。歌うということに対しては、ステージに立って俯瞰して見られるようになるまで10年かかりました。ようやくお客さんの気持ちと、こちらの気持ちが一緒になれたというか。レコーディングで思い通りに歌えるようになるまでにも、10年かかりました。でも10年経った時は作家に転身しているので、一番歌がうまい時は、デモテープの中での歌なんですよ(笑)。たぶんそのデモテープの歌がよかったので、曲が採用されたのだと思います(笑)」

これまでに2000曲以上楽曲提供。「小坂明子には年20曲しか書けなかったけど、他の人に書くのは困ったことがない(笑)」

小坂は83年からは、元々やりたかった作品提供およびプロデュースに集中した。松田聖子やももいろクローバーZをはじめ、多くのアーティストに楽曲提供を行うほか、アニメやゲーム、CM、さらにライフワークといってもいい『美少女戦士セーラームーン』の音楽を手がけるなど、これまでに2000曲以上の曲を生み出し、多岐に渡り活躍している。

「小坂明子という歌手に曲を書くことに関しては、本人が何を書いたら喜ぶのかということが、最後まで見出せなかったような気がします。何を歌いたいのかが、本人がわかっていないというか。だから自分には年に20曲くらいしか書けなかった(笑)。でも小坂明子じゃない人に書くのには、困ったことがないんです。嘘がつけないタイプだし、歌ってメッセージでもあるし、ある意味演じることでもあり、それも苦手なのかもしれないです」。

「色々な才能が集まれる「場所」を作って、音楽が好きな人を、音楽から離れないように育てていきたい」

小坂は現在、作家活動と並行して東京・高円寺にある活動拠点でもある音楽スクール・NNGスタジオで、歌唱指導やプロデュース、人を育てることに注力している。

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「今まで色々な人に育ててきてもらって、今度は自分が誰かを育てたい。私が持っているノウハウは全部伝えるので、素晴らしいアーティストになって、私の音楽を守っていって欲しいという気持ちはあります。この世界はもちろんそればかりではないですが、数字が求められる世界です。でも数字を出せない人は、自分で育つしかないけど、自分で育つのには限界があります。今、昭和の音楽が再評価されていますが、それはたくさんの人がスタジオに集まってきて、例えばシンセサイザーの音を作る人、歌う人、コーラスの人、プロデューサー、エンジニア、みんながプロ中のプロで、6人が集まったら100点のものではなくて、300点のものができてしまったのだと思います。奇跡を起こせる人の集まりだったと思う。だからそういう作品は時代を超えます。でも今は、詞もアレンジも含めて、もしかしたらミックスまで一人でやる人もいるかもしれませんが、この中からは100点以上のものは、出てこないと思っていて、人間の持っている力を最後まで信じてもらいたいです。だから今「みんなが音楽家 のんのんじゃんるプロジェクト」という色々な才能が集まれる「場所」を作って、音楽が好きな人を音楽から離れないように育てていくプロジェクトを進めています」。

「あなた」から45年。時代を超える名曲を生んだ音楽家・小坂明子の才能の原点に触れることができる初期の4作には、圧倒的な「瑞々しさ」がパッケージされている。そして今もその「瑞々しさ」は失われることなく、手がけた2000曲を超える作品の中で、輝いている。さらに、小坂の元に集まっているミュージシャンを通して、その音楽は受け継がれていくはずだ。

otonano『小坂明子 オリジナルアルバム・コレクション』特設サイト

小坂明子 オフィシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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