聴覚障害があってもサッカー指導者の資格は取れるーーJIFF補助金制度の経緯と課題
聴覚障害当事者の声をきっかけに昨年整備された、JFA(日本サッカー協会)公認指導者資格講習における手話通訳費用補助制度。スポーツ現場の情報保障と、ろう者のサッカー指導者の活躍を促す画期的な制度だ。この取り組みが整備された経緯と、聴覚障害者、健聴者、手話通訳者それぞれの“課題”について掘り下げた。
◆JFA公認ライセンスを手話通訳士付きで取得
3月、サッカークラブ『レプロ東京』の伊賀崎俊さんは、JFA公認のサッカー指導者C級資格を、手話通訳士のサポートを受けながら取得した。
伊賀崎さんは聴覚障害の当事者で、現在は金融機関のシティグループに勤務する傍ら、『レプロ東京』の代表、監督、選手を務めている。同チームは、デフ(ろう者)サッカーの日本代表選手をはじめ、障害のある選手と、健常者の選手がともにプレーし、現在は東京都社会人リーグ4部に所属している。
伊賀崎さんがC級資格を受講しようと思ったのには理由があった。
「レプロ東京の監督になって2年目になりますが、指導の方向性が適切なのか悩みがありました。選手たちから『(今のままで)大丈夫』という声をもらってはいたものの、自分の中ではモヤモヤした部分があったので、(C級の)受講を決意しました」
上述のライセンスは、所定の講習会を修了した者に付与される。サッカーはキッズリーダーからS級までの6段階、加えて、フットサル(A級〜C級)、ゴールキーパー(同)の資格もある。その他、審判員資格も存在する。
しかし、手話通訳等の情報保障(音声情報を取得出来ない、または取得しづらい聴覚障害者に向けた配慮)が整っていなかったため、ろう者のサッカー関係者の受講が難しいという課題があった。テキスト変換アプリケーション(UDトーク等)の利用や、手話通訳を自ら手配する選択肢もあるが、テキスト変換における懸念や費用負担等の面から、受講に踏み切れない人もいたという。
そんな折、『日本障がい者サッカー連盟(JIFF)』が、18年から『手話通訳費用補助制度』を開始。JIFFの予算や寄付金を用いて、各講習会における情報保障の費用に充てる。伊賀崎さんは今回、この制度を利用し、手話通訳士を伴って全7日間あるC級ライセンス講習を受講したというわけだ。
◆「最初は“見切り発車”でした」
この制度ができるきっかけは、2015年まで遡る。現在デフサッカー女子日本代表の監督を務める久住呂幸一さんが、当時D級資格の取得を希望した。その際に、東京都台東区でスポーツ推進委員をしていた藤村孝幸さんの働きかけで、台東区が手話通訳費用を負担する形で講習会が行われた。
久住呂さんは無事に資格を取得し、以降16、17年も同様の形で講習会が行われ、結果的に計11人の聴覚障害者がD級資格を取得(※1)。その流れを受けて、JIFFによる補助金制度の整備に繋がっていった。
「とあるきっかけで久住呂さんとお会いした時に、『D級を取りたいけれど、どのように講習会を受ければ良いのか悩んでいる』と。当時、たまたま私が台東区サッカー連盟でD級講習会を担当する立場にあったので、見切り発車で『やりましょう』と(笑)。そこから台東区に掛け合って、手話通訳の予算を確保して頂くことになったんです。初年度から回を重ねるごとに、情報保障の意義を理解してくれる方も増えていきました。伊賀崎さんの『レプロ東京』が昨年、東京都社会人リーグに加盟したことも新しい動きです。加盟条件として審判資格保有者を一定数擁することが求められるので、ろう者の方が資格取得できる環境整備が促される要因にもなったはずです」と“立役者”の藤村さんは振り返る。
◆主催者の“合理的配慮”が望ましい
他方で、いくつか課題もある。
JIFFの制度の利用方法は、講習会等の主催者(=都道府県のサッカー協会など)が申請書を提出する形をとる。つまり、“受講者個人”ではなく“主催者”が、合理的配慮の上で情報保障を整備する、という考えに基づいている。
JIFF事務局の神谷衣香さんは「個人の方からの制度に関する問い合わせは増えましたが、“情報保障は主催者が手配する”という認識がまだ浸透していないとも言えると思います。当事者の方は自分で手配することに慣れているとも思いますが、一方で主催者側の意識付けを促す必要性も感じています」と話す。
JIFF専務理事の松田薫二さんもこう話す。
「台東区の取り組みを受けて、現在はJIFFが補助金を整備していますが、本来は各講習会の主催者それぞれが予算を確保することが望ましいと思います。当事者の団体は当事者の権利の為に働きかけをしていくものですが、現在は財源も含めて当事者の団体が補助しているという状況です。JIFFとしては制度を継続しつつ、課題提起もしていきたいですね」
◆資格を生かせる“現場”の大切さ
JIFFの制度ができる前も、ろう者が指導者ライセンスを取得した例はある。その一人が、現在デフサッカー男子日本代表の監督を務める植松隼人さんだ。9年程前にC級ライセンスを取得し、昨年はJIFFの制度とUDトークを併用してB級ライセンス講習を受講。先述の伊賀崎さんに制度の利用を勧めたのも植松さんだ。植松さんはこう話す。
「ライセンスを取得してからがスタートだと思うんです。僕がC級を取る前から取得者はいたようなのですが、それを生かせる場は十分とは言えませんでした」
植松さんは、フットサルFリーグのトップチーム『バルドラール浦安』の下部組織である『デフィオ』(※2)や『サインフットボールしながわ』(※3)の立ち上げなど、フットボールを通じて障害の有無に関わらず人々が混ざり合うコミュニティづくりを精力的に進めてきた。まさにライセンスを現場で生かしているというわけだ。“コミュニティ”ができれば“活用の場”も増えていく。
「以前に比べれば、状況は多少改善できています。伊賀崎も『レプロ東京』で監督をやっているわけですし、ろう者の指導者が輝ける場所がこれからも増えていけばいいなと考えています」
前出の久住呂さんも言う。
「一度サッカーをやめたけれど、『また関わりたい』というろう者が少しずつ増えてきています。『手話通訳がつくの? じゃあ(講習会を)受けてみようかな』という声もある。私自身も資格取得が大きなきっかけになりました」
◆手話通訳者にも“経験”が必要
加えて、手話通訳者の側にも課題がある。
医療現場を筆頭に、専門分野の知識を有する手話通訳者の育成は、目下の課題となっている。喫緊性は違えども、サッカー、ひいてはスポーツ現場でも同様だ。手話通訳士の森本行雄さんは、豊富な手話通訳経験に加えてサッカーにも親しみ、サッカー関連イベントにおける通訳経験も多い。
「専門分野の通訳では、知識の裏付けがないと、例えば誤った情報が伝わってしまったり、相手を混乱させてしまったりすることがあります。スポーツに関して言えば、手話通訳士の中に、スポーツ経験者が少ないことも背景にあると思います」と森本さんは言う。
同じく手話通訳士の樋口真弓さんは、森本さんの依頼で、2016年からサッカー現場の手話通訳に関わるようになった。今回、伊賀崎さんのC級講習会で通訳を担当したのもこの2人だ。樋口さんは、もともとサッカーとは無縁だったが、指導者・審判員の両講習会や、JIFFの理事会での通訳経験を通じて、知識も増えていったという。
「最初に戸惑ったのが『オフサイド』。テレビ中継等で、“審判が旗を出してプレーが止まる”のは知っていたのですが、ルールに関する知識がなく、当初は上手く通訳することが難しかったです…。オフサイドに限らず、知識がないことで相手に不要な不安を与えてしまう場合もある。回数を重ねていくことで、徐々に理解できるようになっていきました」(樋口さん)
森本さんが続ける。
「聴こえる世界では当たり前の指導者講習会ですが、一連の情報保障の取り組みで、ろう者のサッカー関係者にもより門戸が開かれました。それに伴って、通訳者にも、スポーツについても勉強が必要だという気づきが生まれていくかもしれませんし、もともとスポーツに親しんでいた人が、デフスポーツに関わりたいと手話を学ぶきっかけになるかもしれません」
指導者ライセンスを取得した当事者にとっても、手話通訳者にとっても、“現場経験”が大切なことは共通している。そこではまた、前述の植松さんらが取り組む“コミュニティづくり”が、その“経験”を提供する役割も果たし得ると言えるだろう。
◆ろう者の子供の可能性を広げる助力に
晴れてC級指導者ライセンスを取得した伊賀崎さん。自身のチームである『レプロ東京』で、ゆくゆくは下部組織としてジュニアサッカーチームを作ろうと考えているという。
「ライセンスの取得にあたって、手話通訳は大変助けになりました。今回のC級指導者講習会での経験を、将来的に子供たちの指導に生かしていければいいな、と。それは、聴こえる人、聴こえない人に関わらずです。また、ろう者の中高生にとっては、まだサッカーを楽しめる環境が十分に整っているとは言えません。聴こえる人たちとも一緒にプレーすることで、コミュニケーションの達成感を感じてほしいという思いもある。彼らが人間の幅を広げていく手助けに、指導者ライセンスを生かしていけたらと考えているんです」
※1:18年は『台東区サッカー連盟』が手話通訳費用を負担する形で3名が4級審判員資格を取得した
※2:障害のある人と健常者の混合チーム
※3:サッカーを通じて、聴こえる子供と聴こえない子供が触れ合う空間。サインは『手話』の意
[参考]