ウィル・スミスの平手打ちがハリウッドに与えた怒りと傷は、今も癒えない
オスカー授賞式の舞台で、妻に対するジョークに怒ったウィル・スミスがクリス・ロックに平手打ちをしてから、1年半が経つ。
全世界に中継される格式ある祭典で暴力が振るわれるという信じられない出来事は、当時、ハリウッドを大きく震撼させた。その傷と怒りは、今も消えていない。先週は、レスリー・ジョーンズとショーン・ペンが、それぞれ胸に抱えた思いをぶちまけている。
ジョーンズは、ロックをずっと先輩として仰いできたコメディエンヌ。ロックは自分がかつてレギュラー出演した「Saturday Night Live」にジョーンズを推薦してくれ、それがきっかけでジョーンズはブレイクを果たした。西海岸時間19日に発売されるジョーンズの回顧録に、ロックは前書きを寄稿している。
そんな大事な人が暴力を振るわれる様子をテレビで見て、ジョーンズは大きなショックを受けた。「今すぐ車に乗って駆けつけたいと思った。すべての意味で、私はものすごく怒っていた」「私はウィルとも知り合い。(授賞式の)後でやれば良かったでしょうと言いたい。ここはオスカーよ。全世界が見ているのよ」と、「People」に対し、ジョーンズはその時を振り返っている。
「あれはすごい屈辱。クリスはすごく傷ついた。彼の娘や両親が見たのよ。彼は娘たちと一緒に心理カウンセリングを受けることになったの」と、ロックがその後ずっと苦しんだことも、ジョーンズは明かした。ロックが今年3月、Netflixがライブ中継するコメディショー「クリス・ロックの勝手に激オコ(原題:Selective Outrage)」でこの出来事をネタにしたことについても、ジョーンズは「それはコメディアンがやること。ひとりで悩むんじゃなくて、舞台で喋るの。舞台があることに感謝するわ」と理解を示す。
平手打ち事件についてそれまで口を閉ざしてきたロックだが、このコメディショーでは冒頭から「今日は誰も怒らせないようにする。何が引き金になるかわからないしね」「言葉で傷ついた、っていう人もいるよね。そういう人は顔をぶん殴られたことがないんだよ」「みんな知っているよね。僕はオスカーでぶん殴られたんだよ。『痛かったですか?』って聞いてくる人がいるけれど、まだ痛いよ。今も『サマータイム』の歌が耳鳴りしているよ」などと、このネタをジョークに使っている。最後には、「僕はウィル・スミスが好きだった。でも今は彼が鞭打ちされるのを見るために(スミスが奴隷を演じた)『自由への道』を見る。『もっと彼を打ってくれ』って」とまで言って、収まらない怒りを見せた。
スミスと同じことをした自分は刑務所に入れられた
一方、2度のオスカーに輝くペンは、「Variety」の長いインタビュー記事の中で、アカデミーに対する反感と不信感をあらわにした。
慈善活動に熱心で、政治的、社会的問題に強い関心を持つペンは、ロシアがウクライナに侵攻したすぐ後に行われる昨年3月のオスカー授賞式にはゼレンスキー大統領に登場してもらい、スピーチをさせるべきだと主張した。全世界が見るこの中継番組は、メッセージを伝えるのに有効な手段だ。しかし、アカデミーはそれを拒否した。
「オスカーのプロデューサーは『彼の話は重いな』と思ったんだよ。その代わりに何が起こったか?ウィル・スミスだよ!」と、(『Variety』によれば怒りで顔を真っ赤にしながら)ペンは語っている。
「ウィル・スミスは1度会っただけで、よく知らない。でも、会った時、すごくナイスな人に見えた。『ドリームプラン』の彼はとても良かった。なぜ彼は自分自身とみんなに唾を吐きかけるような愚かなことをしたのか?お前と同じことをしたせいで、俺は刑務所に入ったんだよ。なのに、お前はまだ平気でここにいる。それにほかのみんなも、奴の最悪の瞬間に、立ち上がって拍手したとはどういうことだ?」とぶちまけるペンは、自分に与えられたオスカー像を破壊するとも言った。「ウクライナにあげるよ。溶かして銃弾にしてロシア人を撃てばいい」。
ペンが言う刑務所体験とは、1987年、「カラーズ/天使の消えた街」の撮影中にエキストラを殴る事件を起こした時のこと。ペンはその前に別の事件で保護観察処分を受けていたため、実刑となった。言い渡された刑期は60日だったが、そのおよそ半分の33日で出所している。
多少なりともまたこの出来事に向き合う時が来る
ペンの言うように、事件後のアカデミーの対応は、内外から強く批判されてきた。
ロックに平手打ちをした後、スミスは自分の席に戻り、そこからも舞台に向けて「俺の妻の名前を出すな」と、放送禁止用語であるFワードを交えて2回もロックに叫んだ。それでもアカデミーは、「ドリームプラン」で主演男優賞受賞が確実視されていたスミスを会場から追い出すことをせず、予想通りに受賞すると、彼に6分も受賞スピーチの時間を与えたのだ。普通なら、長引けば音楽を流し始めてスピーチを終わらせるようせかすのに、それもしていない。しかも、それだけの時間があったのに、スミスはロックに謝罪しなかったのである。
もしこれがオスカー最有力候補の大スターではなく、撮影監督や美術監督など一般に知名度のない人たちだったら、ただちに連れ出されたのではないかと、スミスへの特別扱いを人は不快に受け止めた。暴力行為を見せられた後であるにもかかわらず、受賞者としてスミスの名前が呼ばれると、総立ちになって拍手をした会場の人たちに違和感を覚えたのも、ペンだけではない。
その夜、スミスは何事もなかったかのようにオスカー像を抱えて「Vanity Fair」主催のパーティに出席し、ご機嫌そうな表情を見せている。しかし、騒ぎが大きくなる中で、彼はアカデミー会員を辞任。スミスはまた、今後10年、オスカー授賞式をはじめとするアカデミー主催のイベントに出入り禁止を命じられた。だが、アカデミー会員かどうかは、オスカーに候補入りする上で関係ない。スミスは次にやはりオスカー狙いとされるApple TV+の映画「自由への道」が控えていたことから、また候補入りしたらどういうことになるのかと懸念されたものの、作品は期待外れの出来で、その不安は無用となった。
以後、スミスの周辺はまた静かに戻っている。彼の次回主演作は、来年の公開が予定されている「バッドボーイズ」4作目。また、Netflixで、タイトル未定のバラエティ番組を撮り終えてもいる。配信開始時期はわかっていないが、その時が来たら、スミスはまた多少なりともこの出来事に向き合うことになるだろう。その前に、来月には、妻ピンケット=スミスの回顧録が出版される。本の中で、彼女は自分の視点からあのことについて語るのだろうか。いずれにせよ、あの強烈な出来事が人々の記憶から薄れることは、しばらくなさそうである。