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【光る君へ】大河ドラマで描かれない「意外な人物」の「裏の人間模様」(家系図/相関図)

陽菜ひよ子歴史コラムニスト・イラストレーター

NHK大河ドラマ『光る君へ』。世界最古の女性文学『源氏物語』の作者・紫式部(まひろ・演:吉高由里子)と、平安時代に藤原氏全盛を築いた藤原道長(演:柄本佑)とのラブストーリー。

とにかく登場人物が多く、そのほとんどが「藤原氏」か「源氏」で「わけがわからん!」となりがちな平安時代。登場した人物のつながりをすべてドラマ内で描き切るのも困難です。

そんなわけで、ドラマの中では描かれない人物たちの「意外な関係」(裏の人間模様)について書いてみます。「知るとますます大河がおもしろくなる」に違いない、このシリーズ、ときどき書いてみようと思います。

◆「悲劇の皇子」の娘・婉子(つやこ)女王とあの堅物の意外な関係

前回、道長の妻・源明子(演:瀧内公美)の父を襲った悲劇についての記事を書きました。(関連記事:「【光る君へ】なぜ明子は兼家を呪った?光源氏のモデルになった「悲劇の皇子」の存在(家系図)」2024年4月24日)

前記事に登場する「悲劇の皇子」は2人います。一人は明子の父・源高明(たかあきら)で、「光源氏のモデル」と言われている人です。皇子として生まれるも一世源氏となり、失脚して流罪となる点が源氏と似ています。

もう一人の「悲劇の皇子」は、為平(ためひら)親王高明の娘(明子の異母姉)を妻としていたために天皇になり損ねたとされています。

高明はドラマスタート時には生きていましたが、現在は故人です。まだ存命の為平親王も高明の娘もおそらくドラマには登場しないでしょう。しかし、実はこの2人の間に生まれた娘は登場しているのです。

悲劇の皇子・為平親王と高明の娘の間に生まれた婉子(つやこ)女王は、13歳で花山天皇に入内しました。しかしご承知の通り花山天皇は、寵愛した藤原忯子(よしこ・演:井上咲楽)の死後1年ほどで出家・退位してしまいます。

ここまでなら婉子女王は「悲劇の女王」。そしてここまではまだ彼女はドラマに登場していません。

彼女はその後再婚するのです。その相手はなんと藤原実資(演:ロバート秋山)

そう、実資のお腹を触っていた若い後妻婉子女王(演:真凛)なのです。まひろを「鼻クソ」呼ばわり(※)した実資はやはり「高貴な姫君」が好きだったのですね。

婉子女王は道長の妻・明子の姪に当たります。しかし、だいぶキャラが違いますねぇ…。

腹を触っていた時点で実資33歳、婉子女王18歳くらい?2人は一回り以上の年の差がありましたが、仲睦まじかったといわれます。婉子女王は27歳で若くして亡くなりますが、実直な実資に大切にされて幸せだったようです。

※ドラマで藤原宣孝(演:佐々木蔵之介)にまひろとの縁談を持ち込まれた実資は、「鼻くそのような女(身分の低い女)との縁談ありき」と日記(小右記)に記していた

◆父の愛人?の娘は実は・・・さわとまひろの意外な関係

◎紫式部の友人「筑紫にいく人のむすめ」の正体

父・為時(演:岸谷五朗)らしき「高倉の女」(演:藤倉みのり)

その娘・さわ(演:野村麻純)は、当時としてはちょっと風変わりで率直な女性です。彼女は父方に引き取られているけれど家に居場所がない、という話。

紫式部には実際に、姉妹のように仲の良い友人がいたと伝わります。しかし彼女は、父の赴任で筑紫(福岡県)に行ってしまうのです。筑紫に行った時期からすると、その友人は平維将の娘だったと想定されます。

さわはこの"筑紫へ行ってしまう友人"です。NHK公式サイトの人物紹介にも「やがて父親の九州赴任についていくことになる」と書かれています。

しかし、そうなるとちょっとモヤることが…

平維将の妻は紫式部の父・為時の異母妹のため、さわと紫式部は従姉妹同士になるのです。つまり、「高倉の女」は父の妹

うーん、それだとあまりに味気ないので、設定を変えたのかもしれませんね。

◎紫式部の屈折したプライドの理由

ちなみに、今は父が無職状態のまひろの家ですが、紫式部の曽祖父の藤原兼輔は、三十六歌仙の一人に数えられる歌人で、従三位・権中納言までのぼった公卿(高官)です。

その娘の桑子(くわこ)醍醐天皇に更衣(身分の低い妃)として入内し、章明親王を産みました。章明親王は父・為時の従兄に当たります。

まひろたちが今住んでいる家(ボロ屋)は、もともとは曽祖父・兼輔の建てた大豪邸。母・桑子の実家であるこの家で章明親王は生まれたと考えられます。

大叔母に当たる桑子が醍醐天皇の寵愛をもっと受けられていたら…との想いが『源氏物語』の桐壺更衣(※)への着想となったのかもしれませんね。

桐壺更衣光源氏の母。身分の低い更衣ながら、桐壺帝の寵愛を一身に受けて光源氏を産んだ

でも醍醐天皇は20人もの妃がいて36人もの皇子がいたのです。その中で一番になるのはそりゃ、なかなかの「無理ゲー」ですよね。

紫式部日記からは、式部の気位の高さを感じます。それは、「少しさかのぼれば我が家にだって帝に入内するほどの姫君がいた」という事実とは無縁ではないでしょう。

特に道長の正妻・倫子とは遠縁であるだけに、複雑な想いがあったのでは?

道長との関係も含めて、今後のドラマがそこをどう描くか?楽しみですね。

(イラスト・文 / 陽菜ひよ子)

主要参考文献

ワケあり式部とおつかれ道長(奥山景布子)(中央公論新社)

紫式部日記(山本淳子編)(角川文庫)

歴史コラムニスト・イラストレーター

名古屋出身・在住。博物館ポータルサイトやビジネス系メディアで歴史ライターとして執筆。歴史上の人物や事件を現代に置き換えてわかりやすく解説します。学生時代より歴史や寺社巡りが好きで、京都や鎌倉などを中心に100以上の寺社を訪問。仏像ぬり絵本『やさしい写仏ぬり絵帖』出版、埼玉県の寺院の御朱印にイラストが採用されました。新刊『ナゴヤ愛』では、ナゴヤ(=ナゴヤ圏=愛知県)を歴史・経済など多方面から分析。現在は主に新聞やテレビ系媒体で取材やコラムを担当。ひよことネコとプリンが好き。

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