「日本は情報鎖国をなんとかしないと…」 ~高遠さんにイラクの状況を聞く
サウジアラビアでのイスラム教シーア派指導者の死刑執行に端を発し、同国がイランとの国交を断絶し、それにバーレーンやスーダンや続くなど、宗派対立は激しさを増している。こうした対立が、いわゆる「イスラム国」(IS)を利する可能性もあると指摘され、新年早々新たな”処刑”の映像も公開された。シリアの和平は全く見通しが立たず、難民の流出は今も続く。中東がさらに不安定化する懸念と共に明けた2016年。日本はこの現状とどう向き合っていくべきなのだろうか。それを考えなければならないが、「日本は、情報鎖国の状態を何とかしないと、みんな何が問題なのかも分からないんじゃないですか」と指摘する人がいる。イラク戦争が始まって以降、同国への支援活動を続けている高遠菜穂子さんだ。
日本の支援でオープンした母子病院が……
高遠さんは2003年5月に初めてイラクに入り、ストリートチルドレンへの支援を始めた。翌年、ファルージャで他の2人の日本人と共に、武装勢力に拉致・拘束され、帰国後も日本で激しいバッシングに遭った。そのダメージは大きかったが、後に立ち直って、支援活動に復帰する。2009年から再び現地での活動を行い、ISが勢力を伸ばしていくさなかのイラクの様子を見、人々の思いに触れてきた。その高遠さんに、昨年末、話を聞いた。
まずは右の写真を見て欲しい。2013年10月にオープンしたファルージャ母子病院だが、右側を歩いているのが高遠さん。開院直前の病院を訪れた時のものだ。
実は、ここはかつては町で唯一の総合病院だった。それが別の場所に移転新築されたため、その跡を全面的に修理、改装し、最新の設備なども入れて、母子病院を作ることになった。ここに、日本は約19億円を支援している。地域の母子保健サービスの中心的役割を果たすことが期待され、表の看板には、イラクの国旗と併せ、日の丸を描かれていて、日本に対する感謝の気持ちも記されている。
同じ敷地には、重度の先天性疾患の子どもたちを治療する専門クリニックもできた。新総合病院を拠点にして活動していた高遠さんも、このクリニックを訪れて、子どもの支援を医師たちと話し合った、という。
ところが、昨年8月13日、この母子病院が空爆された。高遠さんは、この時は日本にいて、インターネット・メディアの報道で、新生児や妊産婦を含めた22人が死亡し、55人が負傷したと知った。ファルージャの医療関係者の知人からも、「日本の病院がやられたぞ」と連絡があった。こうした事実は、日本ではまるで報道されていない。
シリア化したイラク
高遠さんが現地の人たちから集めた情報によれば、攻撃をしたのは、イラク空軍ヘリだという。ネットメディアの報道や人権団体の調査結果でも、攻撃主体はイラク軍とある。
シリアでは、反政府勢力との内戦の中、政府軍の攻撃で多くの市民が犠牲になっている、という。では、イラクでは、なぜ軍が自国内の病院を攻撃したりするのか?
「イラク政府は『対テロ』と言いながら、実際はスンニ派の人たちが住む地域を攻撃する”スンニ派狩り”をやっていきました。村が襲われて男が皆殺しにされる、などということもありました。病院も、何度も攻撃されています。これは、イスラム教の宗派対立、いわばイランとサウジアラビアの代理戦争でもあるんです」
ファルージャは、スンニ派住民が多い地域で、市民による政府批判のデモも展開されてきた。それに対する攻撃だとすれば、シリアのアサド政権のやっていることと変わりがない。それがイランとサウジの代理戦争になっているという点でも似ている。
しかし、シリアと異なり、イラクでは独裁政権は倒され、民主化されたはずではなかったか?
悪化する宗派対立、後退する人権
確かに、サダム・フセイン政権はアメリカの武力によって崩壊し、民主主義や法の支配、法の下の平等などを謳う新憲法が制定され、選挙を経て、2006年にシーア派のマリキ首相が実権を握る政府が樹立された。だが、その後のイラクに、アメリカが思い描いていたような民主主義は花開かなかった。
サダム・フセインは独裁者ではあったが、その政権は世俗主義であり、少数のスンニ派が多数派のシーア派とクルド人をアメとムチを駆使して統合していた。キリスト教や少数民族は保護され、政権のナンバー2はキリスト教徒だった。一方、マリキ政権下のイラク政治は宗教色が濃くなり、露骨なシーア派優遇策をとった。汚職もはびこった。女性の人権はフセイン時代よりはるかに後退し、9歳以上の女の子を親の承諾で結婚できるとする幼児婚を復活させる法律もできた。こうした政治の改革を求める活動家は、次々に拘束されて拷問を受けたり、虐殺された。キリスト教徒も迫害された。
宗教対立は、市民生活にも及んだ。テレビの番組では、双方の宗派の過激な宗教指導者が、相手を激しく罵るスピーチを繰り広げた。かつては、宗派が違う男女が結婚することは珍しくなかったが、そうした家庭も崩壊の危機に瀕した。
高遠さんは、ある時、スンニ派の知人男性から、次のような相談の電話を受けた。シーア派の妻が、一人娘を連れていなくなり、その後電話をかけてきて「離婚して欲しい」と言う。娘と話したいと言っても、なかなか電話口に出してくれない。何度かやりとりしているうちに、やっと聞こえた娘の声。だが、その娘からは、こう言われた。
「パパ、スンニ派って悪いんでしょ。学校で習ったもの」
「こんな風に絶縁してしまう家族が増えている。過激思想が、イラクの家族を引き裂いているんです」
ファルージャがISの手に落ちたワケ
マリキ政権はアメリカの支援を受ける一方、イランとも緊密な関係にあった。その影響力は次第に強くなっている。町中を走る車もイラン製が増え、2012年頃、高遠さんは、タクシーが全部、サイパという黄色いイラン車になっていたのに気づいた。
「シリアのアサド政権は、(アメリカを中心とする)有志連合から批判をされていますが、実はこのアサド政権とマリキ政権は蜜月状態でした。そのバックはいずれもイラン。バグダッドでもプーチン大統領は人気で、肖像画が飾られるくらいです」
高遠さんによれば、2012年12月、スンニ派の財務大臣の自宅や財務省が襲われ、職員150人が拉致されるなどの事件が起きたのをきっかけに、ファルージャで支持者らがデモを始めた。これに対し、政府は軍が発砲するなど強硬な武力鎮圧に乗り出し、多くの死傷者が出た。高遠さんが2013年11月にファルージャ新総合病院にいた時にも、政府軍による攻撃があった。朝から銃声が聞こえ、緊急救命室(ER)に行くと、多くのけが人が運び込まれて床は血の海だった、という。
「そして、2013年12月28日に初めて空爆がありました。それまでは、どんなに激しくても陸からの攻撃でしたが、政府は『デモ隊のテント村がアルカイダの拠点化している』と言って、空からの攻撃を始めたのです」
その後、戦いは激しさを増した。地元の部族側も武装して応戦し、バグダッドとアンバールの県境では、激しい戦いで、双方に死傷者が出る激戦となった。
「ファルージャでは、警察も、地元と一緒に政府軍を迎え撃ち、その隙を突いてISが入り込んで、自分たちの旗を警察署に立てたんです」
無視された避難民の訴え
高遠さんは、2014年初めからクルド人自治区で、国内避難民の支援活動を行った。1月2月の2ヶ月で、ラマディとファルージャから40万人もの避難民が、同自治区に押し寄せてきた。ファルージャ出身の知人とクルド人自治区の主都アルビルに近いリゾート地シャクラーワを訪れると、ファルージャからの避難民であふれかえっていた。その知人は次々に故郷の知り合いと会い、「まるでここはファルージャみたいだ」と言っていた。ホテルにもアパートにも、複数の家族がぎゅうぎゅう詰めになって寝泊まりしていた。そのうち、避難民は320万人を超えた、という。
「この時、欧米のメディアは、『ISがファルージャを占拠した』ということばかり報じていました。でも、逃げてきた人たちにとっては、ISは『迷惑なジハーディスト』という存在ではあっても、もっと切実なのは、政府による空爆でした。避難民は口々に『ジハーディストのことより、とにかくヘリで空爆するのをやめさせて欲しい』と訴えていたんです」
この戦いでは、イラク兵にも犠牲者が出た。シーア派の民兵が駆り出され、イランの革命防衛隊もイラク入りした。政府軍や民兵による、スンニ派住民への虐殺や略奪が続いた。子どもが虐殺のターゲットになることもあった。そうした蛮行の後、『スンニ派の血を減らせ』などと歌って回る者もいた、という。ラマディに住んでいた高遠さんの友人も、家に帰ったら弾痕だらけで、家の中はパソコンからテレビから全部なくなっているのと見て、怖くなって逃げた。
しかも、残虐な殺害行為や死体を引きずり回したり、首をさらしたりしている状況を、彼らはスマートフォンで撮影し、FacebookなどのSNSで公開した。アメリカのABCテレビが、そうした映像を集め、実行者の制服のエンブレムなどから部隊を特定するなどし、報道したこともあった。
「シリア政権が樽爆弾で自国民を殺せば、国際社会は批判するけれど、ファルージャでは数え切れないほどの樽爆弾が使われ、子どもたちも死んだのに、何も反応がなかった。ISの残虐な行為は非難されるけれど、同じことをイラク兵士がやっても、同じ有志連合のだからか、何も言われない。『有志連合』『対テロ』という二つの言葉がくせ者で、『対テロ』と言われると、国際社会は安心して(見逃して)しまう」
「イラクでISに入っていく若者は、このようなスンニ派狩りの被害者か肉親を殺された人たちです。一昨年の前半の時期に、もう少し国際社会が声を挙げていれば……。病院を攻撃するのはやめなさい、いくら『対テロ』でも、ジュネーブ条約に反する行為はやり過ぎです、と。そうすれば、事態は違っていたかもしれない。でも、とにかく反応がまるでなかった」
「それでもアメリカのマスコミは、ABCテレビのような調査報道をするけれど、日本では、こういう事実はまったく報じられない。母子病院が空爆された時も、日本のテレビ局に伝え、事実確認までしたのに、結局番組にならなかった。日本のメディアは、ISの恐ろしさについては話が作りやすいけど、日本も入っている『有志連合』のイラク軍がこんなに恐ろしい、というのは、作りにくいんでしょうか。その結果、日本の人たちは、ものすごい情報鎖国の中にいるわけです」
歓迎された米軍の空爆
そうこうする中、ISが勢力を拡大。高遠さんは、IS支配地域から逃げてきた人から、状況を聞いた。
「IS系の宗教指導者がモスクに子ども達を集めて、シーア派がどれだけ悪いかをどんどん洗脳しているそうです。子どもたちに憎しみだけを植え付けられていくのが怖い、と人々は言っています。かつては女性達がつけていたヒジャブ(頭髪を覆うスカーフ)はすごくカラフルでおしゃれだったのに、今ではみんな全身真っ黒。女の人が外食したりすると、夫が公開むち打ちされたり、男性はヒゲを剃っちゃいけない。町を出るのも、ISに許可をもらって、帰ってくる日も申告しなきゃいけない。帰ってこないと、携帯電話にメッセージが来る。私の友人にも、『お前の家の土地建物、財産すべて没収。どこにいても助かると思うな』という趣旨のメッセージが来て、今は身を隠している人がいます」
ISに迫害されたヤジディ教徒やキリスト教徒なども、クルド人自治区に逃げ込んできた。アルビルの学校すべてが避難所になって、授業ができない状況も起きた。一昨年8月には、イラク北部の山地に追い詰められた数万人のヤジディ教徒が、シンジャル山で周辺をISに包囲される形で孤立する事態になり、とうとうオバマ政権も空爆を再開。包囲するISを攻撃しつつ、食糧を投下するなどして、ヤジディ教徒の避難を助けた。
「日本では、『アメリカはまた空爆を始めてけしからん』という人がいましたが、イラクではこの時の空爆は歓迎されていました。ファルージャ出身で反米感情が強い友人も、『(この救出は)米軍しかできない』と言っていました。この時の空爆を『けしからん』と言うなら、そのような事態になる前に、何らかの声を挙げるべきなのですが、情報がなく、何が問題なのか分からないのでしょう」
現実を踏まえた議論を
昨年夏、日本は集団的自衛権行使を認める憲法解釈の変更と安保法案を巡り、反対世論が盛り上がった。ただ、高遠さんは、その議論も現実から遊離しているように感じたようだ。
「『(法案を成立したら)戦争に巻き込まれる』『平和憲法を守ろう』という言い方は、かなり(現実から)ズレている。『巻き込まれる』も何も、日本はイラク戦争(への協力)で、すでに(戦争に)片足は突っ込んでしまった。『有志連合』にも入って、今や『対テロ』で両足を泥沼に突っ込まされている状態です。平和憲法の形骸化も見透かされています。私はイラクの人たちから『日本は”戦争放棄”と言うけれど、”戦争支援”はいいの?』と、何度も聞かれました。この問いに答えられる日本人はいるでしょうか」
昨年1月、安倍首相がエジプトで『ISILと闘う各国に』支援を約束した時も、高遠さんはイラクの知人たちから「人道支援とか言っても、殺す側に支援するんでしょ?」と言われた、という。政府によって迫害されたスンニ派の人々には、日本がイラク政府へ行う支援は、すなわち”スンニ派狩り”への支援と映るのだろう。
そのような現実を知ったうえで、私たちはどうふるまうべきかを考えないと、善意の支援も逆効果にもなり、熱心な議論も現実から乖離したものになってしまうのではないか。
マリキ首相は、後ろ盾だったアメリカとイラクの信を失い、3選を断念。昨年9月に発足したアバディ政権に、スンニ派との融和が期待されている。年末に、イラク軍は西部アンバル州の州都ラマディをISから奪還した、と発表した。ここで同軍がスンニ派住民の信頼を回復できるかどうかが、今後のイラク情勢や対ISの戦いにとって重要なポイントの一つかもしれない。
確かに、日本は「情報鎖国」ではあるが、それでも、高遠さんら現地を見聞きしてきた人たちや専門家がSNSなどを通じて発信をしている。できるだけ多角的な情報を集めながら、この難しい情勢を、自分自身でもしっかり考えていきたいと思う。
(注:イラクでの被害状況を示す写真は、高遠さんが現地の病院関係者などから託されたものです)