店主が歌いだす喫茶店。京都地下音楽界伝説の歌姫アリスセイラーが開いた「喫茶室 やんちゃなアマリリス」
■レトロなおやつが味わえる、謎めいた雰囲気の喫茶店
「なぜ喫茶店を始めようと思ったのか、ですか? 理由はありません。だって人は誰しも、この世に命を授かったならば、一度は『喫茶店がやりたい』と夢を見るものじゃないですか」
「喫茶室 やんちゃなアマリリス」店主、アリスセイラーさんはそう語ります。
京都市伏見区。京阪本線「中書島」駅を降りて、駅前の商店街「中書島繁栄会」を北へ(店主さん曰く『小走りで1分』かけて)上がってゆくと、「月に一度、第1日曜日にのみ開店」という、謎めいた喫茶店が現れます。
店名は「喫茶室 やんちゃなアマリリス」。開店時間は正午から18時まで。1か月に6時間しかオープンしない、極めて狭き門です。
おそるおそる扉を開けると、壁にはライブや演劇、映画などのフライヤーがびっしりと貼られ、まるで“深夜のできごと”のようなアンダーグラウンドな雰囲気。
フードメニューは、コッペパンにホイップクリームをはさんだ「甘口」、ソーセージをはさんだ「辛口」の2種類がある「やんちゃプレート」と、ショートケーキやゼリー、あんみつ、和菓子など多彩なおやつ(食べ物は400円)。そして、ジュースをはじめとしたソフトドリンク(ノンアルコールの飲み物は300円/ビール400円/飲食はすべて税込み)。
どれも1960年代に発行された婦人雑誌の洋菓子教室ページに掲載されていたような、どこか追憶感がある、なごむ色合い。メニューはその日によって、あったり、なかったり。早くも「やんちゃ」です。
アンティーク風な食器も楽しい。ホットカルピスを注いだグラスには、東郷青児のイラストがプリントされていました。
「器やスプーンなどは特にこだわっています。メルカリで『これだ!』って感じたものを見つけたら購入して使っているんです」
■「ハプニングを楽しんで」。店主が唐突に歌いだす
そして、お客さんが飲食を終えて人心地ついた頃、突然始まるのが、カウンターの中でのライブ。下町にはよく客が歌うカラオケ喫茶がありますが、こちらは店主が自ら歌唱します。
カウンターはステージへと一変。激しいパフォーマンスとともに、ポップかつ、かすかに狂気性をはらんだ歌声が店内に響き渡るのです。
「お客さんにハプニングを楽しんでほしいんです。『なにごと?』『急に歌うんや!』ってね。ハプニングバーと言えばこの頃は性的なナニかをするお店って意味らしいけれど、うちはそういうのではない、純粋な驚きとしてのハプニングを提供したいです」
ライブとて、必ずするわけではない、されどDJや楽器演奏を披露する日もあるというアバウトな点も「やんちゃ」です。何が起きるかわからないスリルが刺激的で、ハプニングを楽しもうと、わざわざ東京や他府県など遠方からも客が詰めかけます。
■店主は京都地下音楽界伝説の歌姫
それにしても、のんびりとした雰囲気に包まれた商店街の一角で、日曜日の昼下がりに、こんな不条理な音楽体験ができるとは驚きました。
それもそのはず、店主のアリスセイラーさんは京都でニューウェーブバンド「アマリリス」(現:アマリリス【改】)を結成して42年! という、地下音楽界の伝説にして現役の歌姫。今なお、暗黒の世界で神々しく輝くディーバなのですから。
「いろんなお客さんが来はるけれど、一番多いのは、やっぱりファンの人なんです。ファンの人に支えてもらえて、ほんまに嬉しい。だからこそ、この店は大切にしたい。ファンの人が楽しくないと感じてしまう店なんて、あかんと思う。よく『ちいかわカフェ』とか『進撃の巨人カフェ』とか、コンセプトカフェがあるでしょう。あの感覚がこの店にもっとも近いかな。ここは“アリスセイラーのコンセプト喫茶”なんです」
■結成42年にしてどのジャンルにも属さない孤高の存在
還暦を迎えた昨年秋には京都のギャラリーで、これまでの活動の集大成と言える「アリスセイラー展」を開催した彼女。これまで生みだしてきた音楽は、ニューウェーブを始め、アバンギャルド、オルタナティヴロック、ジャズ、ジャンク、ノイズ、ゴシック、プログレッシブロック、ローファイ、童謡、ミュージカルなどなど、あらゆる音楽ジャンルの名称で呼ばれました。しかし、どのカテゴリーからも微妙にずれ、いまだに正体がつかめないのです。
そんな彼女が率いてきたアマリリスは、1981年、嵯峨美術大学の2回生(註*当時、関西では○年生を○回生と表記していました)だったときに結成。1980年代初頭、京都のクラブシーンから突如として現れ、ニューウェーブ音楽のシーンを牽引したEP-4の佐藤薫に見出され、鮮烈なデビューを飾りました。
「猫の玉袋について書いた歌詞などを歌っているため、本名がバレちゃうと困る。だからアリスセイラーにした」というよくわからない理由でスタートした彼女のアーティストライフ。瞬く間に全国のインディーズ少年少女たちを虜にして、トラウマを植え付けたのでした。
■「今もっともクールでカッコいい表現活動は“間借り営業”だ」
そんな彼女が「喫茶室 やんちゃなアマリリス」をオープンしたのが2018年5月6日。今年で5周年を迎えます。
いったい、アーティストがどういういきさつで喫茶店を開く運びになったのでしょう。
「この店は、日頃は『MICA(ミカ)』という名前でね。夕方以降に営業をしているバーなんです。当時、*ULTRA BIDE(ウルトラ・ビデ)にいたドラムのチマキくんがアルバイトをしていて、私はライブの打ち合わせをするために、この店に来たんですよ。居心地がよくて、『ふうん。雰囲気のええ店やなあ』と思ってね。すると、お店を経営している女性が『ほんまは昼間に喫茶店をやりたいんです。でも人手がなくて……』と悩んでおられたんです。私は平日は医療事務の仕事をしているので毎日は無理だけれど、『月に一度、日曜日だけならできますよ』と手を挙げました。それ以来、間借り営業をする流れになったんです」
註*ULTRA BIDE(ウルトラ・ビデ)…1978年に京都で結成されたパンクバンド。エレクトロニクスや即興演奏を採り入れ、のちのパンクロック、ノイズ、サイケデリックなどの日本のアンダーグラウンドシーンに影響を与えた。「キングオブノイズ」ことノイズユニット「非常階段」のJOJO広重がベーシストとして参加している。
ひょんなことから始まった間借り喫茶店。彼女はこれまで喫茶店など飲食業に携わった経験はありませんでした。しかし、このタイミングには「運命を感じた」と言います。
「私はちょうどその頃、『今もっともクールでカッコいい表現活動は“間借り営業”だ』と思っていたんです。カッコいい人が間借りでお店をやり始めたのが目につきだしてね。カレー屋さんだったり、カフェだったり、呑み屋さんだったり。そういうお店へ行くと、店主がみんなアツいんです。儲けたい、売り上げで生活したい、じゃなく、『表現したい』という強いパッションを感じる。そこへきて、このチャンスでしょう。偶然じゃない気がしました。私に『やれ』ということなんやなって。私の表現欲に火がついたんです」
そう、彼女にとって喫茶店は「表現」であり、「作品」なのです。すなわち「やんちゃなアマリリス」への入店は、客自身がアリスセイラーの生みだす作品の一部になる行為と言えるでしょう。
■店名の命名者は乙女のカリスマこと嶽本野ばら
「やんちゃなアマリリス」という店名をつけたのは、京都在住である「乙女のカリスマ」こと小説家の嶽本(たけもと)野ばらさん。アマリリス【改】の研究生(メンバー候補生)でもあります。
「いい店名が思いつかなくて、野ばらさんに相談したんです。するとすぐに『やんちゃなアマリリスがいいよ』って返事がきてね。かわいいなって、すっかり気に入りました。あとでわかったんやけど、『ラブホテルみたいな名前にしよう』と思ったらしいです(笑)」
やんちゃな……確かにありますね、そんな名前のホテルが関西に。そうしていよいよ、泊まれはしないけれどラブに溢れた喫茶店が誕生。間借りというかたちで、これまでは閉店していた昼時間のおるすばんを任されました。
医療の現場で学んだホスピタリティのたまものか、温かな接客が話題となり、開店以来およそ5年にわたって愛されています。客どうしの交流も活発化してきているのだそうです。
■京都の音楽シーンが商店街に根を張っている
間借りによって喫茶店を開く夢がかなったアリスセイラーさん。「ゆくゆくは自分の喫茶店を開きたい」という目標はないのでしょうか。
「いいですね。小さなお店を開いて、2階に住んで、お客さんの男の人を引っ張りこんだりしてね(笑)。ドラマチックで面白そう。でも、ないかな。ただ将来的には、開店日を増やしたいとは考えているんです。お店を切り盛りする自信もついてきたので」
かつてのクリスマスに一度、生みの親ともいえる佐藤薫氏も来店したという「やんアマ」。伝説のアーティストたちが、ふらりと扉を開けて入ってくるかもしれません。
80年代に巻き起こった京都ニューウェーブが商店街に根を張り、今日も息づいている。アリスセイラーさんが運んできてくれたおいしいホットカルピスをいただき、やんちゃにゆがんだ歌を聴きながら、「京都の底知れなさ」を改めて感じた日曜日の午後でした。
「やんちゃなアマリリス」Twitter