マリナーズもう1人の日本人選手。砂川ジョセフ隆オブライエンの挑戦
弟はソフトバンクでプレー
「ソフトバンクのリチャードくんだよね」
「あ、それは僕の弟で・・・」
今回の地元・沖縄での自主トレ取材中にもそんな場面に出くわしたが、砂川ジョセフ隆オブライエンは「よくあるんですよね。悔しいな」とポツリと呟いた。「やっぱり弟に負けたくない気持ちはある?」と尋ねると、「いや負けてないです」と即答した。
沖縄尚学高校からソフトバンクの育成選手として入団した弟・砂川リチャードは大型内野手として期待されており、先月のアジアウィンターリーグでも活躍を遂げた。
一方、兄のジョセフも「負けていない」との言葉の通り、北中城(きたなかぐすく)高校卒業後にアメリカへ渡り、サザンネバダ大で186センチ102キロの恵まれた体格を生かして投打ともに活躍。特に投手としては最速156キロを投じたこともあり、2018年のMLBのドラフト会議でマリナーズから6巡目(全体178位)で指名を受けた。
ペンシルバニア州のピッツバーグで生まれ、2歳の時に米軍で働く父ジョンさん、母あけみさん、弟リチャードとともに来日。沖縄県の北中城村で育った。友人の父が監督をしていた学童野球のチーム・熱田フレンズに入ったのが小学2年生の時。最初は空振りばかりだったが、バットに当たって遠くに飛んだ時の快感が最高だった。
中高はともに地元の学校でプレーをした。「地元の学校を地元の子たちで強くしたい」という思いがあった。中学3年夏から高校入学までの約半年で一気に10センチも伸びたことにより、野球の実力も上がっていった。
と同時に、日本の高校野球ゆえの上下関係や長時間の全体練習に疑問を感じるようにもなっていった。高校2年の夏には退部。野球はアメリカの大学で続けようと、以降は高校の通学は続けながら、野球は個人練習と父が監督を務めるソフトボールチームでプレーしていた。
渡米して覚醒
「縛られず、自分の伸ばしたいところだけ自由に練習できたのが良かったです」
そう“無所属時代”を振り返るようにジョセフにとっては、その環境がベストだった。ソフトボール大会に出ていた際にはMLB機構のアジア担当の人間がおり「絶対にMLBへ行けるよ」と声をかけられた。
また、アメリカの大学を探す際にも、ラスベガスに住む叔父らを通じてサザンネバダ大の監督に映像を送ったところ「ぜひ来て欲しい。これは掘り出し物だ」と二つ返事でトライアウトに呼ばれた。そこでも、高校野球をしていた際は最速でも143キロほどだったが149キロを計測。ブライス・ハーパー(フィリーズ)の母校でもある同大から特待生の条件で迎え入れられた。
大学も「全体ノックは10分15分ほどで終わって、あとはポジションごとの個別練習と打撃練習。全体練習は2,3時間です」と話すように、個人での練習時間を多く取れたことで「覚醒しましたね」と笑うように、MJCAA(全米短期大学体育協会)ディビジョン1で投打にわたって大活躍しドラフト6巡目という高評価を得てプロの世界に飛び込んだ。
トミージョン手術
2018年6月のマリナーズ入団後は順風満帆とは行っていない。
当初はシングルAでプレーする予定だったが、肘に違和感があったためルーキーリーグに配属され、少ないイニング限定で間隔を空けて投げていた。ところが7月に右肘の靭帯を断裂。トミージョン手術(靭帯再建手術)を受けて、昨年はリハビリに専念することになった。
今年のキャンプからはブルペンに入れるほど回復に至っていることもあるが、この手術も前向きに捉えていられるのがジョセフの強さだ。
「ダブルAとかトリプルAに上がって、メジャーに近づいてからの方がショックは大きかったと思います。プロになるのが目標なのではなく、MLBでプレーすることが目標。プロでイチからスタートするタイミングで良かった。不安になる時もありましたけど、ドクターやチームスタッフ、そして一番は自分の体を信じてリハビリをやってきました」
どうしてそこまでポジティブにできるのかと尋ねたが「だって人生1回きり。他の人に左右されず、やりたいことを夢中にやって自分を信じるだけですよ」と答え、「あとはナンクルナイサですよ」といたずらっぽく笑った。
将来の夢
マリナーズは日本人選手も多いだけに可愛がられている。イチローには「緊張したんですけど、笑かそうと思って」と冗談をふんだんに織り交ぜて会話していたところ、「おまえ面白いな」と認められた。ジョセフが「いろんなことを学びたいんです」と何度か口にしたところ、あだ名は「マナブくん」になった。
菊池雄星にはトレーニングや食事に誘われて様々な話を聞き、岩隈久志(現巨人)や中澤好宏トレーナーには、心構えやMLBで活躍する選手の特徴などを教えてもらうなど、周囲にも恵まれているという。
手術から復帰となる2020年は「マウンドに戻って怪我に気をつけながらもチームに貢献できるようベストを尽くしたいです」と抱負を語り、将来については「MLBで活躍して、家族や彼女、お世話になった人たちに恩返しをして幸せにすることです」と、まっすぐな目で話した。
日本の野球界には収まりきらなかったジョセフだが、広い大地のアメリカでそのポテンシャルを遺憾なく伸ばし、周囲に感謝するとともに高みを目指し続けている。
「砂川リチャードの兄」ではなく「メジャーリーガーの砂川ジョセフ」。そう認識される日も遠くはないのではないかと思える、強さ・ひたむきさが、1月でも温暖な沖縄の太陽以上の熱さで感じられた。
文・写真=高木遊