読売新聞の「キヨタケの乱」訴訟報道への違和感
ちょっぴり多忙なのと持って生まれた怠惰な性格のせいで、ウィークデイは新聞(一般紙とスポーツ紙)をじっくり読むことが無く、週末に纏めてサラっと目を通すことが多い。そして7日(土)も一週間分の見出しチェックにいそしんでいると、ちょっと気になる記事を見つけた。それは、清武英利元巨人球団代表兼GMと巨人が互いに損害賠償を求めている訴訟の証人尋問に関する6日(金)の読売新聞社会面の記事だった。
内容は「清武氏はGM解職の不満から単独会見を開いた」とする巨人側の主張を伝えるもので、巨人と読売は海外在住の清武氏の知人女性のパソコンを調べて証拠を入手したという。
この記事を読んで戸惑いと違和感を禁じえなかった。
このコーチ人事に端を発する2011年11月の巨人の清武氏の解任劇は、舞台が巨人軍という超人気球団であり、その背後に存在するのが読売新聞と言う巨大メディアであることで世間の耳目を集めたが、突き詰めればどこの会社にもある経営上層部内での権力争いという「内輪もめ」でしかなかった。双方が「コンプライアンス違反」を持ち出してはいるが、スキャンダルと言えるほどの物でもない。当事者の片方である清武氏がすでに巨人を去っているにせよ、「内輪もめ」でしかない以上大新聞社が紙面を割くことなのかという思いを拭い去れなかった。これが、全くの外部の個人なり団体を相手とする訴訟事件ならまだ理解できるが。
そして、この日の読売新聞の記事の内容はジャーナズムとしての「報道」なのか、裁判当事者の「主張」なのかも戸惑うところがあった。よく読んでみると、やはり「報道」なのだが、であれば双方の主張がほぼ公平な分量で取り上げられているべきだ。しかし、実態は9対1かそれ以上の比率で「巨人の主張」だった。自らの主張を読者に伝えるのが主旨であれば、社会面での記事ではなくあくまで広告として展開すべきだろう。
事件直後にも似たようなことがあった。11年11月11日の清武会見から約1ケ月後の12月上旬に、読売新聞は丸々1ページ(業界用語で15段という)を費やした清武氏への批判記事を掲載したのだ。
この訴訟は9月18日の次回で結審し、年内に判決が下されるらしい。その結果は知る由もないが、一個人で大新聞社を敵に廻している清武氏の不利は否めないようにも思える。私はそもそもなぜ清武氏が「反旗をひるがえす」という行為に出たのかがもうひとつ理解できない。
清武氏も球団代表という立場を任されていたほどの人物だから、ビジネスを進める上での戦略や戦術のセンスもそれなりに持ち合わせているはずだ。感情としては我慢にも限界があったということは理解できるが、理性的には巨人軍という組織に属して「上司」である本社の代表取締役会長のナベツネ殿に謀反を起こしても勝ち目がないことが判らぬほど愚かではなかったろう。
優秀な(賢明な?)ビジネスマンというのは常に、あるアクションを起こした際にそれがどのような影響を呼ぶか?それが自分に対しポジティブかそうでないのか?それがネガティブなものであった場合に、どのようなリカバリーショットを打つか?最終的な落とし所をどこに設定するか?を踏まえた上で行動に出るものだ。
11年11月の「記者会見」行為もGM職を解かれたことに対する反発からの衝動的行動とは思えない。記者会見を開いてメディアの力を借りても、問題自体がいわば「社内問題」である以上、その結果は一層自らに不利になることは火を見るより明らかだったからだ。
ということは、「記者会見」を開いた時点でその余波が「解任」に及ぶこと、そこから法的手段に訴えても勝ち目は少ないことは「想定内」であったはずで、それ以前からナベツネ帝政にホトホト嫌気がさしていた清武氏は巨人軍を飛び出す機会を伺っていたのではないか。
「週間ベースボール」等で文筆活動も展開していた氏のこと、その後は「経営者」の視点からの野球評論家に転身する「戦略」を持った上での行動だったと私は見ていた。その意味では「記者会見」は、「ナベツネに反旗をひるがえした男」というイメージをマスに対し印象付ける絶好のプロモーションだった。
しかし、現実にはここ数年の清武氏の活動は著書の出版こそあったものの、随分大人しかったなあというのが私の率直な印象だ。私の見方が間違っていたのか?それとも、何か見えざる力が作用して彼の活動を妨げたのか?