【京都市】右京区「太秦」が『東洋のハリウッド』たる所以〜大映太秦撮影所〜
「太秦」という文字「ウズマサ」と読むのは「日本書紀」によると秦酒公の説話として「酒公が技術のすぐれた者を率いて、堅織りの絹を織り上げ献上品として天皇に奉ったところ、天皇は殊の外喜ばれ、酒公に”禹豆麻佐(ウツマサ)”の称号を賜った」と記されています。それには「諸説あり」ですが、葛野郡太秦村であったこの辺りは竹藪で覆われた広く開かれた地でした。
材木屋が多かったこともあり、映画のセットを作ったりロケ地には適していたと言われます。
日本映画の黄金期には、20を超える撮影所が稼働し、時代劇を中心に毎週1作品ペースで作られていたそうです。
大映、松竹、東映などの撮影所、また「高津商会」のような古美術、小道具、大道具などの映画関係の会社が存在してきたのも納得ですね。
「賞狙いの大映、監督(重視)の松竹、俳優(重視)の東映」などと言われてきた撮影所。
今日は、「大映京都撮影所」について少しご紹介いたします。
大映京都撮影所跡地(京都市立太秦中学校前)
大映京都撮影所は、元々昭和2年(1927年)日本活動写真(日活)の太秦撮影所として建てられたものです。
昭和17年には新興キネマ、大都映画、日活制作部門が合併したものが大日本映画製作株式会社として誕生。(のちの大映、現在の角川映画)
1971年(昭和46年)12月に倒産しますが、1974年(昭和49年)徳間書店傘下になることで再建し、撮影所は分社、株式会社 大映映画京都撮影所となりました。
1986年(昭和61年)4月には完全に閉鎖され、59年間の歴史に終止符が打たれました。
太秦中学校校門北側にはグランプリ広場といわれるところに、金獅子像とオスカー像をモチーフにした記念碑が設置されてます。
『羅生門』(1950年)が1951年にヴェネチア国際映画祭グランプリの受賞を記念したものです。
この撮影所では「雨月物語」「山椒大夫」「地獄門」「源氏物語」など制作され、カンヌやヴェネチアなどで国際賞を受賞、京都の映画技術が世界最高水準であると認められました。
技術面を見た場合、陰影を生かした照明技術に秀でており、野外ロケとセット撮影を気づかせないほどの巧みさは、大映京都の伝統的な特色と言われたそうです。
大映通り商店街の目玉像でもある『大魔神』は、1966年(昭和41年)に大映(現・KADOKAWA)が製作・公開した日本映画の特撮時代劇シリーズ三部作、その劇中に登場する守護神のことです。
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「太秦」で日本映画の歴史に思いを馳せながら、歩いてみるのも面白いですね。
大映京都撮影所跡
〒616-8167
京都市右京区太秦多藪町