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意識の高いゆるキャラ諸氏のためのサバイバル5ヶ条

山口浩駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授

熊本県のゆるキャラ「くまモン」が何やら怒られたらしい。

「くまモン、式典では礼儀を」 熊本県議からカミナリ」(朝日新聞2012年9月28日)

この日の特別委員会で自民の山本秀久議員は、くまモンが県のPRキャラクターとして成長していることに理解を示す一方で、「正式の式典でふざけていると感じる場面がある。礼儀をきちんとさせないとだめだ」と「しつけ」の必要があると指摘した。

一見なんともくだらんニュースだが、バカにしてはいけない。私の目(悪乗りフィルタ装着)にはむしろこの記事、ある重大な問題を提起しているものと映る。

それは何か。

ゆるキャラにも今やサバイバル術が必要ということだ。

ちなみにこのニュース、ぱらぱら検索した限りでは報じているのは朝日新聞だけのようで、いわば「特ダネ」ということになろうか。なんともしょうもない特ダネだが、そうはいっても「カミナリ」とか書かれると、そりゃどんなふうに怒られたのか、気になるではないか。見たいではないか。

熊本県議会ネット中継とか動画公開とかもけっこうやってるのだが、どうも見たところ対象は本会議だけのようで、このやりとりがあった「特別委員会」の映像で公開されたものは見当たらない。だいたい何もついてない無印の「特別委員会」って何さと思うのだが(実際、県議会の審議日程にも「特別委員会」としか書いてない)、ひょっとして名を明かせない極秘の委員会だったりするのだろうか。さすがくまモン、大物である。記事に添えられた写真を見ると、会議テーブルのような場所に、誰だか知らないが怖い顔をした政治家らしき男性と並んで座って写っている。会議の出席者扱いということなのであろうきっと。

ともあれ、怒られたわけだ。朝日の記事は「くまモンは会話ができない分、常に手足で感情を表現する。そのしぐさが「ふざけている」と映ったようだ」と書いている。まあ想像できる図ではある。写真に写っているこわい顔の男性が怒った県議さんなのかどうかは知らないが、たとえばあの位置に自分が座っていたとして、すぐ横でばかでかいくまモンがもぞもぞ動いてたら確かに気が散るだろうとは思う。よかれと思ってやったのだとしても、空回りになっては意味がない。

これに限らず、昨今氾濫するゆるキャラだが、脇が甘いと思しき事例が少なからず見受けられる。ゆるキャラは、当然ながら、そのデザインやコンセプトにおいて「ゆる」い「キャラ」クターだから「ゆるキャラ」であるわけだが、だからといって、意識までゆるくていいというものではない。いまや海外にもゆるキャラとしかいいようのない奇っ怪なキャラたちが登場するなど、ゆるキャラ界にもグローバル化の波が押し寄せてきている。上記の熊本県議のように「成長してきている」などと悠長なことはいっていられない。ゆるキャラも即戦力が求められているのだ。

特に自治体ゆるキャラの諸氏は、自治体における昨今のゆるキャラブームに乗って一気に増殖した面が強い。自治体等の財政状況も厳しい折、このままでは数年後の生き残りすら危ぶまれる者も出てこよう。ゆるキャラ諸氏は、隣接の企業キャラ業界においてあれだけの人気を誇りながら、未曾有の事故のあおりを受けたとはいえ、財政難であっさりとその命脈を断たれた「でんこちゃん」の末路を思い起こすべきだ。意識の高いゆるキャラは、その轍を踏んではならない。組織における自らの立場と使命を常に意識し、中長期的な視点と戦略的思考をもってその存在意義を高め、アピールしていくことが求められるのである。

というわけで、意識の高いゆるキャラ諸氏が心がけておくべきサバイバル術のポイントを5ヶ条にまとめてみた。

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(1)ターゲットを明確に意識する

現在、ゆるキャラがどのくらいいるのか、定義の問題もあるし正確なところはわかりかねるが、少なくとも数百に及ぶことはまちがいない。2013年に東京で開かれる国体等を盛り上げるためとして9月28日に開かれたイベントには、263体ものゆるキャラが集まったという(「ゆるキャラゆるゆる大集合…263体でギネスに」(読売新聞2012年9月28日))。

これだけ集まると、写真を見てもどれがどれやらわかったものではない。 ゆるいだけでは、認知すらしてもらえないのだ。多くのゆるキャラは、地方自治体等の広報という役割を担っている。ゆるキャラも、ゆるいというアイデンティティを保ちつつも、一定のプレゼンスを示さなければその存在意義を問われかねない。そして存在意義に疑問を持たれたゆるキャラは、容赦なく淘汰される運命なのだ。

もともと当該自治体に興味のある人々ならともかく、そうでない人々の関心を引くには、それなりの「地力」がいる。某企業のねずみのキャラクター氏のような、ブランド力も予算も豊富な場合は別として、そうした資源の裏打ちがないゆるキャラ諸氏の場合、万人受けを狙うことは必ずしも有効な戦略とはいえない。この点は、組織の性格上つい万人受けを志向しがちな自治体関係者との意識合わせが必要であろう。しかしひるんではならない。人々の趣味嗜好が多様化する新しい市場環境の下、意識の高いゆるキャラは、自らの立ち位置を自覚し、どの層に向けてアピールするのかを明確に意識した行動が求められるのだ。ポピュラリティへの道は、一点突破を越えた先に開けている。

(2)自らの「場」を守る

キャラクターの魅力はデザインだけではない。むしろ、そのプロフィールを含む「世界観」と「物語」こそがその魅力のカギだ。そしてデザインやキャラクター自身の立ち居振る舞いがそれらと整合し、ときにずれたりするさまが愛着を呼ぶ。すなわち、意識の高いゆるキャラは、その登場の場やシチュエーションを慎重に選ぶことが求められるのだ。

上記のくまモン氏が怒られたという記事についていえば、彼は明らかに登場の場の選定をまちがった。口を利くことのできないゆるキャラが動作で感情を表現するのは自然なことであって、それが「ふざけている」ととられるような場にはそもそも出るべきではない。したがって、あの件はくまモン氏本人というよりスタッフの安直な姿勢こそが責められるべきだが、イメージを自ら守るのは意識の高いゆるキャラとして他人任せにしていい問題ではない。くまモン氏は、こうしたゆるキャラの本分に沿わない仕事に対しては毅然として「ノー」と言うべきだったのだ。

この点でも、お手本になるのはかのねずみのキャラクター氏であろう。彼は登場する場とシチュエーションを慎重に選ぶ。千葉県にある彼の「国」においても、彼の登場機会は厳密にコントロールされているし、テレビなどに出る際には必ず「大使」がアテンドしてその発言を代弁するなど、その場に受け入れられ、場の「主」として振る舞えるよう、細心の注意が払われている。たとえ予算が限られていても、意識の高いゆるキャラは、こうした事例をふまえ、少なくとも、自らのイメージと魅力が保たれない場での仕事は避ける努力が必要だろう。

(3)暴言を吐かない

かつてゆるキャラは、言語によるコミュニケーションを期待されないケースが多かった。しかし最近はソーシャルメディアの発達もあって、ツイッターなどでさまざまなゆるキャラがアカウントを開設している。言語によるコミュニケーションは、メッセージを伝えるには有効であり、その言説のキャラクターとのマッチないしミスマッチが魅力を高めたりもするのだが、それとて限度というものはある。

一時過激な発言で物議を醸したまんべくん氏などは、それがうまくいかなかった事例ということになろう(今は復活して快調にトバしてるようだが前回の反省を踏まえているなら何より)。あの路線は、個性の主張としては有効なものたりうるが、リスクが比較的高い。意識の高いゆるキャラ諸氏におかれては、かのねずみのキャラクター氏のように、あえてツイッター降臨は控えるというのも手だが、もしやるなら、基本的にはゆるい雰囲気を保つ戦略が有益と思われる。日本有数のフォロワー数を誇るかの恐竜キャラクター氏のツイートは参考になろう。

(4)子どもを敵に回さない

企画意図にかかわらず、ゆるキャラは子どもたちの関心を呼ぶことが多い。「人を射んとすれば先ず馬を射よ」ということばもある。子どもの人気を得れば、親はついてくる。意識の高いゆるキャラは、子どもをおろそかにはしない。しかしここで重要なことは、子どもの視点は大人とは異なるということだ。ゆるキャラのゆるさを愛好するのは主に大人であり、そうした「ゆるさリテラシー」を欠くことが多い子どもの場合、ゆるキャラといえども、わかりやすい「かわいらしさ」や「親しみやすさ」で勝負しなければならない。例のねずみのキャラクター氏の路線を嫌々でも真似なければならないのだ。

しかし、ゆるキャラによっては、こうした戦略をとりづらい場合もあろう。夕張メロン熊氏などは、その意味ではなかなか立ち位置が難しい。実際、彼の風貌は純真なお子様方にはやや刺激が強いだろう。とはいえ、みたところ、彼はその風貌からくる「許容範囲」を慎重に選んだ上で、意識的にぎりぎりの線をついているようでもあり、そのポジショニングはこれまでのところ奏功しているようだ。夕張といえば、かつて「夕張夫妻」という実につっこみづらいキャラを打ち出した土地柄でもある。こうした難易度の高いキャラで勝負しようという戦略は、再起に賭ける夕張の人々の「覚悟」と「気合」のようなものが感じられるが、これは多数派のためのものではないから、うかつにマネをするのは危険だ。リスク管理は、意識の高いゆるキャラの基本である。

(5)仲間をもつ

ゆるキャラは、特に自治体などの場合、単独で作られる場合が少なくない。予算の関係というのが大きいだろう。着ぐるみの制作費は安く見ても1体あたり数十万円に及ぶ。運営経費も考えれば、なかなか難しいところであろう。

とはいえ、ゆるキャラにとって、「仲間」の存在はけっこう重要なのだ。ゆるキャラにはそれぞれ性格やプロフィールの設定があるが、複数のゆるキャラがいれば、そこでそれらにバリエーションをもたせることができる。これは、ゆるキャラの「キャラ」を守る上で重要なポイントだ。たとえばだらしない性格のゆるキャラに「税金を払いましょう」といったキャンペーンを行わせても、その効果はあまり期待できないばかりか、そのキャラクターが崩れてしまうのである。しかし、もし複数のゆるキャラがいれば、別にきちんとした性格のゆるキャラを作ることもできる。

また、ゆるキャラ仲間の存在は、危機管理という面でも有効である。かの世界一有名なねずみのキャラクター氏も、かつて水上ショーの途中で乗っていた水上バイクから水に転落するという失態を演じたことがある。しかし彼は引き上げられた後、救援にかけつけたガールフレンドのねずみキャラクター女史の水上バイクに相乗りさせてもらって無事撤収することができた。サポートスタッフでなく、同じキャラクター仲間に助けられた形を演出することで、世界観を守ったのである。意識の高いゆるキャラ諸氏も、こうした事例にならい、仲間を持つことを検討すべきであろう。場合によっては、隣接地域、隣接領域のゆるキャラたちと大局的見地に立った戦略的互恵関係を構築するというのも1つの手なのではないか。

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数百ものゆるキャラが乱立する現代は、ゆるキャラにとってまさに戦国時代である。うかうかしてはいられない。比較的歴史の浅い場合が多いゆるキャラ諸氏が学ぶべきは、やはりキャラ界の大先輩にあたる、ねずみなのに犬を飼っているというあのやけにばかでかいねずみのキャラクター氏</a>であろう。彼が有する長い歴史やブランド力、潤沢なサポートスタッフや予算はまねができなくとも、キャラクターとして自らを律する姿勢、細部へのきめ細かい配慮など、学ぶべき点は多い。意識の高いゆるキャラならば、あの高みを目指し、いついかなるときも油断することなく、そのゆるさに磨きをかけ、厳しい競争を勝ち抜いていっていただきたいものである。

駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授

専門は経営学。研究テーマは「お金・法・情報の技術の新たな融合」。趣味は「おもしろがる」。

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