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【富士宮市】信長公黄葉まつりまで、後1ヵ月!織田信長の最初で最後の富士遊覧ルートを巡る!

渡辺雅来地域情報発信ライター・執筆家(富士宮市・御殿場市)

天下統一!と言えば豊臣秀吉ですが、その足掛かりを作った人物、そして歴女の中では人気が高い織田信長。
富士宮市西山本門寺には、織田信長の首塚が祀られているという伝承が残り、境内のイチョウの黄葉に合わせた11月13日(日)に、信長公首塚前での供養祭、火縄銃演武や武者行列・和太鼓演奏などが披露される『信長公紅葉まつり』が開催されます。
富士宮には織田信長にまつわる史跡がいくつか残っているので、今回は織田信長に想いを馳せて富士宮巡りをしたいと思います。

1582年、甲斐国(武田氏)を滅亡させた織田信長は、本拠地の安土城(滋賀県)へ帰る帰途に富士山を見物し、静岡県を通ったそうです。

信長公記によると、4月12日、本栖を出発した一行は、山梨県と静岡県を結ぶ中道往還を南へ下りました。ルートとしては本栖 →根原 →人穴 →浮島ヶ原(寄り道?!)→大宮 だと思われます。

人穴の溶岩洞窟
人穴の溶岩洞窟

人穴では茶屋を立てて休憩をしたとされています。
富士の巻狩の際には、源頼家が新田忠常に人穴の調査を命じています。物怖じしないイメージの織田信長。もしかしたら、自ら溶岩洞窟を覗いてみたかもしれませんね。

井出家
井出家

白糸の滝
白糸の滝

かみ井出の丸山と思われる天神社
かみ井出の丸山と思われる天神社

源頼朝が狩をした時の宿所狩宿の井出館、白糸の滝、こちらは憶測となりますが天神山(かみ井出の丸山)を馬で駆け抜けながら、詳しく尋ねたと言われています。

その後浮島ヶ原(現富士市浮島辺り)で野駆けしたのちに、大宮に到着したとあります。

浅間大社
浅間大社

戦乱の中、武田氏の寄進に寄り社殿が建立された浅間神社は、北条氏に焼き払われてしまいましたが、徳川家康が浅間神社内に御座所、御陣宿を建設して、信長を接待したそうです。

富士見石看板
富士見石看板

市立図書館前には織田信長が腰を下ろして富士山を眺めたという富士見石が残っています。

富士見石は右下にちょっとだけ映る石…
富士見石は右下にちょっとだけ映る石…

富士見石と間違えて道祖神を撮影して来てしまいました…肝心の富士見石は道祖神の横の右下に少しだけ映っている石です。
興味のある方は見に出かけてくださいね。

釜口峡
釜口峡

13日、富士川を越えて蒲原へと入ったそうです。富士宮から富士川を渡って蒲原に抜けるには釜口峡を渡るか、富士川舟運を利用したと思われます。

釜口峡に橋が架けられたのは1608年、徳川家康の命令でした。川幅が狭くなり、急流のこの場所を越えるのは至難です。

富士川
富士川

富士川舟運はその1年前の1607年同じく徳川家康の命で開かれたものですが、富士川を船で渡った方が考えやすいように思えます。

西山本門寺
西山本門寺

その2か月後、本能寺で明智光秀の裏切りにより、志半ばで自害し生涯を閉じます。
亡骸の行方は謎に包まれていますが、一説には本能寺の変当日、信長の供をしていた原志摩守が西山本門寺に運んで供養したのだと記されています。

信長の首塚
信長の首塚

「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」と詠んだ俳句は有名で気象の荒い中にも、何ものにも捕われない自由の性格や、気さくな一面を合わせ持った優れた指導者だったゆえ、現在でも人気がある人物なのでしょう。

身分に関係なく庶民とふれあい、誰でも参加できる相撲大会を開催していたという織田信長。信長公紅葉まつりでは、祭りの参加者に交じって楽しんでいるかもしれません。

☆今回訪れた場所☆
人穴富士講遺跡:富士宮市人穴206
井出家:富士宮市狩宿
白糸の滝:富士宮市上井出273-1
上井出天神社:富士宮市上井出字笹原830
富士山本宮浅間大社:富士宮市宮町1-1
富士見石:富士宮市宮町13-1
釜口峡:富士宮市長貫1063
富士川舟運:富士宮市沼久保
西山本門寺:富士宮市西山671

☆信長公黄葉まつり☆
場所:西山本門寺
住所:富士宮市西山671 西山本門寺
開催日:2022年11月13日(日)
時間:9:00〜15:00
※新型コロナウイルス感染症の拡大状況により、開催内容の変更や開催中止の場合もあります。
問い合わせ先
芝川商工会
〒419-0315 静岡県富士宮市長貫1131-6
TEL 0544-65-0273
FAX 0544-65-2093

地域情報発信ライター・執筆家(富士宮市・御殿場市)

身近の新しい発見や、小さな幸せを探して日々バイクで放浪しながら活動しているライターです。記事を通じてみなさまの発見や幸せに繋がれば嬉しいです。趣味はバイク、ガーデニング、猫(無類の猫好き)です。

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