「10万人の宮崎勤」はあったのか?
コミケの受難とひとつの"うわさ"
世界最大規模の同人誌即売会、コミックマーケット(通称コミケ)が今夏も開催されました。92回目を迎えた今回は、3日の開催期間中にのべ3万2千のサークル(団体)が参加、50万人が来場し、会場の東京ビッグサイトは大盛況でした。
現在、第一線で活躍する漫画家・小説家の中にも、コミケで同人活動していた作家は多く、まさにクリエイターのゆりかごのような存在と言えるでしょう。
そんなコミケにも、受難の時代がありました。1988年から1989年にかけて日本を騒がせた幼女連続誘拐殺人事件で宮崎勤元死刑囚(2008年執行)が1989年に逮捕され、元死刑囚が収集していた本やビデオが山積みの部屋が報じられると、宮崎の"オタク"という属性に世間の注目が集まりました。そして、宮崎が過去にコミケにサークル参加していたため、報道直後に開かれたコミックマーケット36には、メディアが取材に殺到しました。
そういった受難の時代を象徴する、一つの「うわさ」があります。コミケ会場を取材したあるテレビ番組のレポーターが、来場者を前に「ここに10万人の宮崎勤がいます!」と伝えたというものです。このうわさは特に2000年代に入ってネット等で、当時のオタクへバッシングの象徴的出来事として広がりを見せました。
その後有志により発言が実在するか検証がたびたび進められ、その結果、確たる証拠がなかったことから、この問題はうわさに過ぎないではないかという見解がある程度広がっていました。そのはずでした。
ところが今年、オタク文化に詳しい大手新聞社記者が、SNS上で「あの差別的発言をした女性レポーターは徹底的に糾弾されていい。」と発言しているのを目にしました。記者なら知られていない事情を知っているかもしれないと質問を送ってみましたが、返答は得られていません。記者がどんな認識の上で、この発言をしたかは不明のままです。
情報のプロであるはずの新聞記者までうわさを信じていることに軽く衝撃を受けた私は、このうわさは果たして本当なのかを調べてみることにしました。
ネットでの調査。目撃証言と検索回数
ネットの「10万人の宮崎勤」に関するうわさは、報じた局、レポーターの名前・性別、状況がどれも定かではありません。匿名掲示板などで語られてきたことにより無責任な証言が出回ったためではないかと考え、まずは「実際にテレビで見た」とする証言をTwitter上でアカウントと紐づける形で集めようと、次のよう呼びかけました。
このツイートは1000以上リツイートされ、22万回以上閲覧されています。呼びかけに対する返信やDM、反応の中から実際に見たという証言を複数得ましたが、内容はまちまちでした。例えばレポーターの性別に関しては、女性だったという証言が4件、男性という証言が4件、性別不明が5件と、どれも一定ではありません。また、記憶を頼りに当時見た映像を絵に描いて下さった方もいらっしゃいましたが、その方の記憶では男性だったそうです。
放送した局の証言もバラバラでしたが、ワイドショーということはほぼ一致しています。その他には「ネットで実際の映像を見たが、今探しても見つからない」という証言もいくつかありましたが、映像は確認できませんでした。
「10万人の宮崎勤」は、ネット上ではいつ頃から関心を持たれた話題なのでしょうか? グーグルで検索されたワードについて、最も検索された月の回数を100として相対的に表示するグーグルトレンドを利用して、関心が集まった時期を調べてみました。仕様上、調べられる最も古い月は2004年1月なので、そこから2017年8月までの検索数の推移を見てみましょう。
2004年以前の状況は不明ですが、2004年8月までは0で推移していたものが、2004年9月には40に急上昇しています(ピークは2005年4月)。この急上昇の理由を調べると、「10万人の宮崎勤」発言について言及したマンガが、当月発売の雑誌に掲載されていたことがわかりました。このマンガの中に、登場人物が「翌月の夏コミケで参加した俺たちをある女レポーターはテレビでこう言ったそうな。『ここに10万人の宮崎勤がいます』」と話すシーンが出てくるのです。これ以降、ネットでうわさが大きく広がったと考えられます。
しかし、このマンガも、あくまで伝聞情報として登場人物が話しているだけで、うわさの範疇を出ないものでした。
現在確認できる、最も古い記述
ネット上で募った「10万人の宮崎勤」証言内容はみなバラバラでした。一方で、「10万人の宮崎勤」は紙媒体に書かれていたとする証言も存在します。それは、問題のコミケ36直後の1989年8月末に発刊された『おたくの本』内の記事です。これが現在確認できる「10万人~」発言に関する、最も古い証言になります。著者の米沢氏は漫画評論家で、当のコミケを主催するコミケ準備会代表だった人物です(2006年逝去)。事件当時にコミケを取材したマスコミについて、こう書かれています。
この本では「書いたマスコミ」と表現されています。少なくとも、事件直後の米沢氏はテレビではなく紙媒体に書かれていたと認識していたと思われます。ところが、15年後の2004年9月に出た本で米沢氏が書かれたコラムにはこうあります。
このように15年を経た記述では、米沢氏の証言は紙媒体からテレビへと変化しています。また、2002年頃にも、漫画評論家の伊藤剛氏が米沢氏に「10万人の宮崎勤」について質問したところ、特定の番組名を即答されたと証言しています。
ネット上で確認できる「10万人の宮崎勤」のうわさや、Twitterで集めた証言、米沢氏の証言と、これだけでも、そもそもその発言をどこで目にしたのか、テレビなのか紙媒体なのか、それぞれ大きく内容が異なっています。
映像ソース、文献調査
そこでまず、実際に放映された映像を確認しようとしました。しかし、放送番組専門アーカイブである放送ライブラリーでは、当時の報道映像はほとんど公開されていません。そこで、各民放キー局に「10万人の宮崎勤」発言について、放映の事実は無いかと質問状を送付しましたが、いずれも回答拒否または無回答という結果でした。
では、米沢氏が最初に「10万人の宮崎勤」があったと記述した、紙媒体はどうでしょうか? 検証のため、1989年8月から同年一杯にかけての宮崎勤関連の報道について、「宮崎」「コミケ」「コミックマーケット」「おたく」といったキーワードを手がかりに、主要紙のデータベースで該当する記事を全てに目を通しましたが、その全てに記述は確認できませんでした。雑誌についても、大宅壮一文庫雑誌記事索引を利用し、国会図書館で該当する300近い記事を確認しましたが、これにもありません。
しかし、オタクやコミケ参加者を宮崎勤と同一視する言説は確認できました。主だったものに、以下のようなものがあります。
大手誌でも、コミケ参加者やオタクを宮崎と同一視、犯罪者予備軍と位置づける報道があったことが窺えます。しかしながら、それでも「10万人の宮崎勤」は確認できません。
また、事件当時から宮崎勤に関する言説を全国紙、地方紙、各種雑誌等から収集してデータベースを作成されていた、札幌国際大学の大月隆寛教授にも伺いましたが、「10万人の宮崎勤」といった文言は、収集したものの中からは見つかっていないそうです。
「10万人の宮崎勤」という表現をどこで見たのか聞いたのか、証言主である米沢氏に確認するのが確実ですが、前述したように米沢氏は2006年に亡くなられています。ご本人が何を指して「10万人の宮崎勤」と書かれたかは、未だ不明のままです。
「冬の時代」 あるオタクの証言
では、当時のオタクを取り巻く状況はどうだったのでしょうか? 当時、同人誌作家らと親交を持ち、現在は翻訳家で国際オタクイベント協会(IOEA)の広報・渉外担当としてオタク文化の世界的発展にも貢献されている、兼光ダニエル真氏に話を伺いました。
兼光氏によれば、宮崎事件前から「不謹慎」、「子供の教育によくない」といったマンガバッシングの流れが盛り上がりつつあり、中でも事件のあった1989年から有害コミック騒動が加熱した1991年にかけては、同人創作の「冬の時代」であったそうです。1991年にはコミケの開催を予定していた幕張メッセから使用を拒否され、開催が危ぶまれる事態となっています。
兼光氏は主観論だと前置きした上で、当時の様子を話してくれました。宮崎事件でマンガ読者に対する「おかしな連中」といった空気を感じるようになり、1991年以降は創作にもバッシング対象が広がり、オタクイコール犯罪者というような社会の空気ができている、と兼光氏は感じていたそうです。実際に当時、友達の漫画家が編集者から原稿を「焼け」と言われたり、警察から呼び出しを受けるなど、社会からの圧力を感じるような出来事もあったそうです。
そんな兼光氏に「10万人の宮崎勤」発言について聞いたところ、うわさとして知ってはいるものの、いつどこで知ったかは定かではなく、改めて考えると「女性のナレーターがテレビで発言した」と、いつの間にか「刷り込まれていた」そうです。そして、こう付け加えました。
東海林のり子氏の証言
「10万人の宮崎勤」の発言者だとネットで名指しされた人もいました。その最たる例が、事件レポーターとして著名であった東海林のり子氏です。
インターネット百科事典Wikipediaの東海林氏の項目に、次のように記載されたことがありました。
この記述をしたのは匿名の人物で、根拠も一切示されておらず、現在はこの記述は消されています。本当に東海林氏がこのような発言をしたのでしょうか?
東海林氏に趣旨を伝え取材を申し込んだところ、快く応じてくれました。東海林氏に直接「10万人の宮崎勤」発言をしたかどうか尋ねたところ、「言っていません、言うはずがありません」とはっきりと否定されました。東海林氏自身は10年ほど前、知り合いから「東海林さんって、宮崎事件の時に「10万人の宮崎がいます」って言ったんですか?」と聞かれ、初めてうわさの存在を知ったといいます。当時、東海林氏はWikipediaに書かれたTBSではなく、フジテレビの「おはようナイスデイ」に出演しており、コミケを取材したこともないそうです。
最初にこの話を聞いた時は、東海林氏もそのうちうわさは消えると考えていました。ところが様々な場所に拡散し、一緒に仕事をしている人にも「東海林さん、これ本当に言ったの?」と半ば信じている様に聞かれることもあったそうです。事件に対して真摯に取材してきたプロとして、それまでの仕事に対するプライド、やってきたことを汚されてしまったような、大変なショックを受けたといいます。しかし一方で、あくまでネット上のうわさであったため、正面から取材で真偽を確認されることはなく、これまで東海林氏が公の場で反論する機会はなかったそうです。東海林氏はうわさの怖さを、次のように語ってくれました。
当事者 コミックマーケット準備会の証言
「言った側」とされた東海林氏は明確に否定されましたが、「言われた側」とされるコミケ側はどう認識しているのでしょうか? そこで、米沢氏と共に事件当時からコミケの運営に携わっていた、現在のコミックマーケット準備会共同代表の市川孝一共同代表、里見直紀企画・広報室長に話を伺いました。
市川共同代表によれば、事件後、多くのメディア取材があったのは確かだそうです。当時の会場であった東京国際見本市会場は、手続きを経ずとも実質入り放題の状態で、準備会を通していない取材もあったのではないかと推測しています。
しかし、取材があったことは確かでも、「10万人の宮崎勤」と報じたメディアはあったのでしょうか? 市川共同代表の認識として、そんな報道があったら準備会でも話題になったはずなのに、そういった記憶は無いそうです。一方でそのような報じ方をしたメディアがある、といううわさについては知っているが、いつどこでそのうわさを知ったかは明確に記憶していないということです。発言があったとされる頃より少し後に人づてに聞いたそうですが、米沢氏から直接その話を聞いたこともないといいます。米沢氏は準備会内では、この話をしていなかったようです。
しかし、一連のメディアによるオタクバッシングによる影響があったことは確かで、事件を受けて親から趣味を非難されたり、友達から「お前やったんじゃないの?」と言われたサークル参加者もいたそうです。先程例示した週刊誌での犯罪者予備軍的な扱いのように、同類扱いされて不快な思いをした人は少なくないようです。こういった、犯罪者とオタクを同一視するような当時の言説に対し、市川共同代表らはこう振り返ります。
バッシングこそあったものの、創作を諦めたサークル参加者はあまりいなかったそうです。そして、事件後の翌1990年のコミックマーケット38の参加者は23万人を数え、1年で倍以上増加しています。これは、皮肉にも報道でコミケが認知されたことが理由のひとつではないかと市川共同代表は考えています。
受難の時代はありました。しかし、市川共同代表は、今はオタクであることを言いやすくなり、親にもコミケット行くと言えるようになったと語ります。取材に来るメディアも以前の「秘境探検」ノリだったのが、今はある程度コミケやオタク文化について理解あるメディアが多くなったそうです。若い世代が屈託なくオタク趣味を楽しんでいる今、オタクも変わった方がいいのではないか。そう市川共同代表は結びました。
なぜ語り継がれたのか? 研究者の視点
これまでの調査では、少なくとも「10万人の宮崎勤」という言葉を報じたメディア、発言者がいたという証拠はみつからず、具体的なうわさの中身も、細かい点がバラバラだったり、事実からかけ離れたものでした。なぜこのようなうわさが真実味を持って、長きにわたって語られ続けてきたのでしょうか。
そこで、『うわさとは何か ネットで変容する「最も古いメディア」』(中公新書)の著者・松田美佐中央大学教授にこれまでの調査結果を見て頂いた上で、うわさが拡散・信じられていくメカニズムについて伺いました。
──「10万人の宮崎勤」のうわさについて、どう思われますか?
松田教授 要するに「面白い話」ですよね。「10万人の宮崎がいます」とテレビで言っていた、なんて言うと、オタクバッシングの具体例として、象徴的で分かりやすく説明できる話だから、みんな信じる。当時の東海林さんはレポーターとしてみんな顔を知っている。わかりやすさ、面白さをみんなで共有できる。東海林さんがそう言ったと言えば、誰もが東海林さんがマイクを持って歩いている姿を想像できる。「有名でない誰か」だと、みんなイメージができない。
──Twitter上で集めた「実際に見た」方の証言は、状況が一致しないものの多くあり、絵で再現して頂いた方もいました。
松田教授 記憶の研究では、実際に見てないものを「見た」という、後で記憶をすり替えられることは珍しくないと言われています。目撃証言もあいまいな部分があって、時間が経つにつれて映像はこうだったと本当に思ってくる。本人が嘘をつくつもりでも、不誠実な訳でもないんです。
──米沢氏の証言は事件直後は紙媒体、後でテレビと変わっています。当事者の証言の変化はどう考えたらいいでしょうか。
松田教授 普段の生活の中で、その情報がどこから来たか、みんなきっちり覚えていません。雑誌をたくさん読んで、テレビもたくさん見て、ワイドショーも点けている、というのは当時は割と普通のメディア環境。何で見たのかなんて、ごっちゃになって当たり前ですし、意図的でなくても混同は十分ありえると思います。
──このうわさは30年近く続き、新聞記者にも事実と受け止めている方がいます。その理由はなんでしょうか?
松田教授 残りやすいうわさは分かりやすく、誰もが納得しやすいものです。当時を知る人間からすれば、あの事件の衝撃と、オタクがバッシングを受けた状況が実際にあって、ある程度関心を持った人間からすれば、その話は一回聞いたら忘れられないと思うんです。「どこかで聞いた」話が、いつの間にか「どこかで見た」に記憶の中ですり替わってもおかしくないでしょう。
ある種の「定番」になっている話は誰も確かめません。例えば、運動会の徒競走で手を繋いでみんなでゴールさせる学校がある、というのがゆとり教育の象徴として語られていたことがあります。「ゆとり教育」、「悪平等」と言った時の、すごく分かりやすい例ですよね。しかし、実際にそれをやった学校があったかあるラジオ番組が調査したところ、そういう話を聞いたことがあるという人まではいたものの、自分自身でそれを目撃した人は見つかりませんでした。それをやっているという学校も。でも、みんなそういうのがあったと言われても、それ以上確かめません。
──メディアで報じられることである種の「権威付け」がなされることがあります。このうわさのように、最近はWikipediaに書いてあったから、と信じる人も多く見られますが、こういったネットでの権威付けについて、どう思われますか?
松田教授 それは難しい話で、一方で「ネット情報は疑わなければいけない」という教育も広がっています。むしろ、最近のフェイクニュースを踏まえるならば、シェアやいいね!を集めていることが見えている状況が、現状では信憑性に繋がっていると考えます。多くのいいね!やRTをされていると、これは事実ではないかと思ってしまう。あるいは、それが事実かそうでないかという軸ではなく、「みんなに支持されているか」という支持不支持の軸があります。
フェイクニュースもみんながそのまま信じているわけではなく、ものすごくシェアされると目にする機会は増えるし、こんなにシェアされているということは、この情報を「いいね!」と思う人がこんなにいるんだ、という支持数になります。テレビの視聴率と同じで、高いからといって良い番組かは関係ない。「みんな見ているということは支持を集めていることだ」という部分がありますよね。ネット特有というよりは、昔からあったのがネットに移ったと思います。
──今回の検証でも「言った」事実は確認できませんでした。
松田教授 言ったことは証明はできても、絶対に言われていなかったと証明することはできません。調べた限り証拠がないことを示しても、それでも「見た」と主張する人は絶対になくなりません。ただ、今のWikipediaの東海林さんの項目には、うわさはデマとして記載されています。ネット上で怪しい情報も膨らんでいく一方で、検証した結果もネット上に残せるのはいいことだと思います。ネット普及以前はその場所が無く、うわさは広がるだけで、反論してもその場で終わっていました。ここまで調べて証拠がない、ということを示すことは重要だと思います。
検証の終わりに
今回の検証や取材の中でも、「10万人の宮崎勤」と言った(書いた)メディアは確認できず、関係者にも実際に見たという方はいませんでした。しかし、松田教授が指摘するように、今後もこのうわさが完全に消滅することはないでしょう。
検証を通じて、このうわさは他のうわさと同じように、悪意から広まったものではないだろうと感じています。しかし、負の感情で生じたものでなくても、東海林氏の名誉が傷つくなどの実害が生じています。ここにうわさ、そして情報そのものが持つ怖さがあると思います。常に多種多様な情報に晒されている現代、そして誰もが強力な発信者・拡散者になってしまうかもしれない今、情報の扱いは慎重になって越したことはないかもしれません。
心残りなのは、テレビ局の協力が得られず、検証がどうしても弱くならざるを得なかったことです。紙媒体と比べて過去のテレビ番組の検証は容易ではなく、当時を知ることのできる過去の貴重な報道映像については、放送ライブラリーを活用することなどで、後年の検証可能性を確保して頂けることを望みたいです。
「10万人の宮崎勤」を完全否定するのは、今回の記事でもできませんし、恐らく誰にもできません。しかし、このうわさについて、ネット上に残せる記録のひとつなれば幸いです。
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