フェンシング女子フルーレ日本代表は6位。Z世代、メダル獲得ならずもパリへ向け、さらなる飛躍を!
初の五輪は悔しい6位
初戦にして、大一番。
世界ランク5位の日本は、4位のアメリカと対戦。この試合に勝利すれば準決勝進出が決まり、目指すメダル獲得に大きく近づく。
4日前の25日に行われた個人戦、上野優佳が同種目で過去最高の6位入賞を果たすも、東莉央、東晟良は共に2回戦で敗れ、皆が目指した「金メダル」には及ばなかった。心身ともに次へと切り替え、個人戦の悔しさを晴らすべく臨んだ団体戦だったが、個人戦で優勝したリー・キーファーを筆頭に、手堅く得点を重ねたアメリカが序盤から日本をリード。終盤、東晟良が19対30から7ポイントを取り26-33と詰め寄り、東莉央に代わった辻すみれが直後にポイントするなど積極的な攻めを展開。アンカーの上野も31対40から34対40へと猛追するも届かず、36対45で敗れた日本は順位決定戦へと回った。
目標が叶えられない中、エジプトに勝利するも5位決定戦ではカナダが勝利し、日本の最終成績は6位。沈んだ選手たちの表情からは、メダルに届かなかったこと以上に、すべての力を発揮することができなかった悔しさが滲んでいた。
勝つための組織で選ばれるべくして選ばれた4人
個人、団体の全種目出場を目指したフェンシングで、唯一自力で団体戦の出場枠を勝ち取ったのは女子フルーレだった。
18年のアジア大会、翌年のアジア選手権も団体で金メダルを獲得。ユースやカデといったアンダーカテゴリーから世界で結果を出して来た上野や東晟良の台頭もさることながら、メダルを狙う強豪として期待を集めるまで成長した背景には、さまざまな理由がある。
北京五輪で太田雄貴・前フェンシング協会会長が日本のフェンシング選手として初めてメダルを獲得し、一躍脚光を浴びた。北京までは強化の中心が男子フルーレに一本化されてきたが、10年からは練習拠点も拡大し男子フルーレのみならず、エペやサーブル、女子フルーレも外国人コーチを招聘し、特に飛躍的な進化を遂げたのが、17年に元フランス代表選手、コーチを務めたフランク・ボアダン氏がヘッドコーチに就任してからだ。
指導者としても選手としても豊富な経験を持ち、練習時のウォーミングアップから工夫を凝らし、フェンシングの技術指導のみならず、いかにモチベーションを高めるか。選手には常に「アグレッシブ」を求める。
ボアダンコーチの指導を受け、何が変わったか。157cmと小柄ながらスピードを武器とする東晟良はこう言う。
「試合で、相手のポイントを突いた時に声を出すこと。練習の時は失敗が多くても諦めないこと。ネガティブになりすぎず、しっかりトライする気持ちを持つことを学びました。技術的にもダメなことを言われるのではなく、いいところを伸ばしてくれる指導を受けているので、日本人は身長が低いけれどスピード感やフットワークを武器に戦っていける、と思うようになりました」
細部にわたるボアダンコーチの指導を、アテネ、北京、ロンドンと三度五輪出場経験を持つ菅原智恵子コーチがサポートする。勝つための盤石な“組織”に、10代前半から世界で結果を出してきた強い選手の「個」が加わる。
それぞれが着実に力をつけ、選ばれた4人。
大会中に誕生日を迎え23歳になったばかりの東莉央と、1つ下で現在は21歳の晟良と辻。そして19歳の上野。平均年齢21歳、いわゆる“Z世代”の彼女たちを、ロンドン、リオの2大会に出場し、東京五輪に向け共に日本代表として活動してきた西岡詩穂も「文句なしに選ばれた、世界で戦える最強のメンバー」と期待を寄せたように、彼女たちならこれまで叶えられなかった夢も実現させるのではないか。
何よりその場に立つ選手たちが、自分はどこまでできるのか。初の五輪に胸を躍らせていた。
悔しさを力に
大一番のアメリカ、トップバッターでアンカーとして登場したエースの上野は、個人戦同様に攻めの姿勢を貫いた。
3月に股関節の手術をし、リハビリを経て5月中旬に復帰。「国際試合がなかったので不安な部分はあるけれど、ケガに関しては全く問題ない」と話していたように、個人戦でも軽快なフットワークで相手より素早く動いてポイントを重ね、団体戦も速さだけでなく力強いアタックを何本も見せた。
個人戦で敗れた悔しさを団体戦で、とフェンシング選手として初の姉妹出場を果たした東莉央、晟良も持ち味を発揮。7巡目に東莉央に代わり投入された辻も、開始早々にポイントをもぎ取り、大声で叫ぶ。団体戦のキーマンでもあった辻が「自分が流れを変えてやる」とばかりに攻めに転ずる姿勢は、これまで磨いて来た技術や努力の賜物だった。
だが、それでも世界の壁は厚い。
メダル候補としてもてはやされた日々は終わり、6位という現実に向き合う。出場できただけでも立派で素晴らしいことなのに、それだけでは「よかった」と終われない、結果を求められるアスリートは実に残酷だ。
ただ、どれだけ悔しくても、悲観することはない。
この悔しさも、経験も、すべて糧として生かせる可能性も、力も、間違いなく秘めた選手たちばかりなのだから。
事実、点差が離されても最後まで食らいつく。最終戦となったカナダ戦でも見せた姿勢は、確実にこれからへつながる力にもなるはずだ。
揃いも揃って負けず嫌いな面々が、悔しいまま終わるはずがない。
振り返った時に「東京五輪の悔しさがあったから」と笑って言える日に向けて。今日からが新たなスタートだ。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】