「やらせ騒動」で一度封印された映画「ガレキとラジオ」の再開上映会に行ってきた
今年の3月、朝日新聞が「やらせがあった」と告発し、上映中止に追い込まれた映画「ガレキとラジオ」の再開後初の上映会が11月9日、秋葉原で行われたので足を運んだ。岩井俊二監督らが運営している「ロックの会」が主催で、上映後のトークイベントには東ちづるさんや、宮本亜門さん、岩井監督らそうそうたるメンバーが顔を見せた。
そもそも新聞が「やらせ」と告発したのは、準主役とも言える高齢の女性が、南三陸の避難所生活で本当はラジオが聞こえないのに「FMみなさん」という災害FM放送を聞いていたかのように描かれている、というものだった。しかも、やらせをさせられた女性が悩み苦しんでいる、という読んだ人の情緒に訴える記事だったために、大きな反響を呼んだ。
ところがその後、当の女性がそういう事実はないと朝日新聞に抗議。事態は予想外の展開をたどったのだった。その騒動の経緯については月刊『創』8月号に書いた記事をヤフーニュース雑誌で公開しているのでご覧いただきたい(下記をクリック)。
さて、その騒動について取材していた段階では、私は映画「ガレキとラジオ」を見ていなかった。騒動勃発後は映画を封印するという決定がなされたために、関係者に見せてもらうこともできなかったのだ。当時「やらせと演出」の線引きはどこなのかという議論になったその騒動でコメントした識者もほとんどが映画自体を見ていなかったと思う。聞こえない避難所でラジオを聞いているかのように演出がなされていた、と聞いたら、誰だってそれはドキュメンタリーではあってはならないことだ、と答えるに違いない。しかし、今回、映画を見て、問題はそう単純でないことを思い知った。
ちなみに、今回再上映された映画は、問題になったシーンを削除し、新たに撮り直したシーンを加えているために「ガレキとラジオ2014」という、前作とは別のタイトルになっている。そんなふうに問題を指摘された表現を削除して済ませてしまうという対応に、私はもちろん不満はあるのでが、それ以上に実際に映画を見て、多くの発見があった。そして、この議論は、きちんと作品を見てからやらないといけないと感じた。
この映画は、全編を震災で亡くなった「死者」が語るという設定でなされている。その死者のナレーションを役所さんが行っているのだが、これがすごい。役所さんの語りもすばらしいが、ナレーションの内容もすごいのだ。
11月9日のトークイベントで、宮本亜門さんが、それについて監督に訊いていた。「ドキュメンタリー映画と思って見にいたら、いきなりファンタジーで幕をあけたので驚いた」というのだ。監督はそれに対して、震災で家族を亡くした人たちにとっては、まだ身元不明者も多いし、死者とともに生きているというのが実感だ。だから死者とともに生きるという設定がリアリティをもっているのだ、と説明した。つまりこの映画は、従来のようなドキュメンタリー映画とも、震災を描いたドラマとも、どちらとも違うものなのだ。
だから本当は、3月に「やらせ」が議論された時に、この映画のそういう特性を含めて語られなければならなかったのだと思う。それを含めて、ドキュメンタリー映画における演出や表現について議論されるべきだったのだ。
この映画をめぐる話については、もう少し取材して、次号の『創』に記事を書きたいと思っている。9日のトークイベントには、映画に出演していた女性・平形さんも登壇し、前の取材では電話で話しただけだった私はイベント終了後、初めて直接話をした。ちなみに前述した朝日新聞に抗議したという高齢の星さんは、震災の津波で子供と孫が行方不明となり、いまだに避難所で暮らしながらその家族を探している。震災は東京にいると風化しつつあると感じるが、被災者たちにとってはまだ終わっていない。そういう深刻な現実を、笑いとペーソスに包んで描いているのが「ガレキとラジオ」だ。
これから各地で自主上映が始まるので、ぜひ多くの人に見てほしいと思う。震災を描いた映画としてなかなかよくできた作品だ。そして2人の監督がチャレンジした映画の手法についても、見てからおおいに議論してほしいと思う