「社長室なんか要らない」
社員7000名超を率い、年商1300億円以上の企業のトップ(CEO:最高経営責任者)が一般社員と同じフロアで、同じ広さの机で仕事している。社員からはドクターTの愛称で敬意をもって呼ばれ、社員と同じ食堂でランチをとる。その日本法人は中堅企業という範疇で、働きやすい会社の上位ランキングにも入っている。こんな米国本社の社長にインタビューした。
図1 ナショナルインスツルメンツ社のドクターTこと、James Truchard社長
この会社、ナショナルインスツルメンツ(National Instruments)は、測定器メーカーだが、ただの測定器メーカーではない。測定器をハードウエアだけで作るのではなく、ソフトウエアをうまく使い、しかもハードウエアは数台だけでほとんどすべての測定器機能を実現するプラットフォームという非常にフレキシビリティの高いアーキテクチャを持つ。米国テキサス州のハイテクの街オースチン市に本社を構える。
この会社は毎年、NIWeekと呼ぶイベントを開催、新しい技術トレンドを毎年アップデートしながら、それを会社の製品やテクノロジーに生かしている。だから不況時を除き、右肩上がりで成長を続けている。同社の製品アーキテクチャはフレキシビリティが高く、アジャイルで、時代の変化に対応でき、研究開発型製品に向く。パソコンが普及し始めた1990年代には、測定器の計測部分をボード1枚のモジュールにし、データを処理し表示する機能にはパソコンを利用する、といったモジュールベースの測定器を世に出した。モジュールを取り換えるだけで、オシロスコープにも、スペクトラムアナライザにも早変わりする。テストプログラムや設計はLabVIEWというソフトウエアのプラットフォームで行う。
今は、モバイル、IoT、5G、クラウドがトレンドになっている時代。この時代に合わせて、システムが変わるため、測定器のアーキテクチャも更新していく。いち早く誰よりも新しいテクノロジーとそのテスト方法を提供するため、常に新しいトレンドを見つけ出す。新しいWi-Fi(例えば802.11adやac、pなど)をはじめとする通信規格やIoT向けの規格(NB-IoTやBluetooth Mesh)などにいち早く対応する。そのテクノロジーのトレンドは単なる測定器だけではない。コンピュータ、通信、モバイル、半導体、自動車、医療、一般工業など幅広い分野に及ぶ。しかもそれぞれの分野で最先端のテクノロジーを確認しておかなければ、先端テクノロジーに合った測定器を生み出せない。だから、NIは常に最新トレンドをつかんできており、各社・各所の研究開発センターに向けて製品を出荷してきた。
こういったテクノロジー企業を運営するトップは、やはり自分の目でテクノロジーを確認し、それに合わせた経営判断を行う。最近「技術経営」なる言葉が歩き回っているが、残念ながら、日本には、「技術経営」にふさわしい経営者はいないようだ。技術を理解していれば、おのずと企業の限界を判断できるのだが、テクノロジーの企業なのに「最もクリティカルな場面」に遭遇しても経営者はまともな判断ができなかった。3.11の東京電力や、最近のシャープなどが好例だ。
NIの社長であるドクターTはテクノロジーの議論をいつもエンジニアと交わしたいと言う。「社長室で部屋を区切ってしまうと、エンジニアと気軽にディスカッションできない。エンジニアと常に議論したいから、私は社内外を動き回っている」と語っている。ドクターTは、カリフォルニア大学バークレイ校の諮問委員会のメンバーでもあるが、同じ委員会にはインテルの幹部もいる。最近のムーアの法則のトレンドなども知り尽くしている。エンジニアの生の声を常に拾い、トレンドを自分でも確認するためには、こういったディスカッションを常にしておく必要がある。
「動き回ることが好きだから、社長室などは要らないのです」とドクターTは謙遜しながらやや恥ずかしそうに語った。NIは最先端のテクノロジーを常に追い、それをビジネスとしているからこそ、社内外のエンジニアと話をする機会こそが、成長への手段の一つになるのである。逆に、日常的な財務の数字は常に見ておくだけで済むように必要な人材を配置しておけばよい。
日本のテクノロジー企業には、出世して経営幹部になれば「オレもここまで上ってきたなあ」という考えに浸りながら役員室のソファーや椅子に座り込んでしまう人が多いと聞く。このようなサラリーマンは、出世することが目的であり、企業をどのように進行させていくことは社長に従うのみであるから、「経営」することは難しいだろう。企業をどのような方向に導き、成長させていくかというミッションに強い意欲がなければ、企業が弱体化するのは当然である。
社長室は要らないといったドクターTに技術経営の神髄を見た気がした。
(2016/05/08)