家康・瀬名の子 松平信康が自刃した二俣城へはどう行くの?
関東圏の穴場ずらし旅の愛好家、とらべるじゃーな!(記事一覧)です。
【どうする家康】ゆかりの地(城・古戦場)一覧と旅行モデルコース(とらべるじゃーな!)
大河ドラマ「どうする家康」では、家康と瀬名(築山殿)の間の子・松平信康が、悲しくも二俣城で自刃する展開となりました。今でも信康の影が感じられる二俣城には、どのように行けばよいのでしょうか?
二俣城跡は、天竜浜名湖鉄道の二俣本町駅から、徒歩10分の場所にあります。東京からなら、新幹線の掛川駅で降り、二俣本町駅まで電車で50分前後の道のりです。
浜松城や敷地内のドラマ館を見学する場合、浜松駅から遠州鉄道で西鹿島駅まで行き、天竜浜名湖鉄道で1駅、二俣本町駅へ向かいます。
大阪、名古屋方面の方なら、新幹線の浜松駅経由が便利です。ただし、愛知県周辺から来訪の場合、JR東海道線と天竜浜名湖鉄道を乗り継ぎ、新幹線代を浮かせることも可能です。
マニアックですいているずらし旅ルートが、浜松駅→浜松城→犀ヶ崖古戦場→三方ヶ原古戦場碑(写真)→金指駅の順路。路線バスで移動できます。
写真の三方ヶ原古戦場碑は、住宅地のなかで石碑しかありませんが、家康が大苦戦した三方ヶ原古戦場の中心地であることが分かっています。
三方ヶ原古戦場碑からバスで、天竜浜名湖鉄道の金指駅に到着。国鉄二俣線の面影が色濃く、のんびりとディーゼルカーが走り、旅情満点です。
金指駅周辺には、うなぎ屋さんや、ハンバーグステーキ屋さんがあり便利です。二俣本町駅周辺の飲食店は地元向けで、営業時間など下調べが必要です。
二俣城最寄りの、二俣本町駅に到着! 周りには何もなく、旅情あふれる、素晴らしい場所です。
二俣の町は、お隣の天竜二俣駅の方が栄えています。二俣が栄えたのは、山地を流れる天竜川が平地に顔を出し、山沿いに東西の道が横切る交通の要所だったからです。
二俣城も、山と天竜川に囲まれた天然の要害かつ、浜松一帯の支城の要となり、今川や徳川、武田といった有力大名がその領有を争った歴史があります。
※さらに地形に注目すると、二俣は扇状地の要である扇頂にあたります。また、かつては東西に流れを置きく変えた、暴れ天竜(天竜川)が作った河岸段丘[緑の点線が目安]の南東のへりに、浜松城は作られました。二俣から浜松にかけては、歴史だけでなく、地形のデパートとも言えます。
二俣本町の町を見下ろし、二俣城へ登ります。階段は、写真に写っているものがメインで、全体として比較的楽に登れます。
二俣城跡に到着! 現在は天守台が残されています。家康と瀬名(築山殿)の間の子・松平信康が、悲しくも自刃した場所です(1579年)。
それに先立ち1572~1575年にかけ、この城を巡って、徳川家康と武田信玄・勝頼親子との攻防戦が繰り広げられました。結局、武田氏が占拠し、浜松城、三方ヶ原へと軍を進めます。
天守台は、徳川家康が江戸に移った後、豊臣家の家臣が築いたものです。
家康の子・松平信康は、二俣城で自刃。介錯を命じられていた服部半蔵は、あまりの悲しみに刀を振り下ろすことができず、代役が任を務めたと伝わります。
松平信康ゆかりの二俣城を訪ねるなら、築山殿をまつる西来院や、築山殿が船で上陸した佐鳴湖も、あわせて訪ねてみたい場所です。
西来院と犀ヶ崖古戦場は、距離が近く、路線バスを使い、浜松城とともに訪ねるとよいでしょう。その場合、時間的に、三方ヶ原古戦場碑は諦め、遠州鉄道で二俣城へ向かいます。
クルマの方は、浜松駅でレンタカーやカーシェアを利用し、浜松城(P駐車場有)→犀ヶ崖古戦場(Pあり)→西来院(南から入りPあり)→三方ヶ原古戦場碑(P有)→二俣城跡(Pあり)のルートがおすすめです。なお、新東名浜松浜北ICは、二俣城跡に近いです。
なお、二俣城を経てさらに進むと、天竜川の美しい流れと、印象的な堤防が広がります。その先には、鳥羽山城跡があり、要塞である二俣城の迎賓館的な役割を果たしたと考えれています。ご関心があれば、下のページもご確認ください。
【どうする家康】ゆかりの地(城・古戦場)一覧と旅行モデルコース(とらべるじゃーな!)