【富士宮市】『しゃもじ神社』ってなんだ?地図上で見た名前に釣られてやって来たけれど…
行きたいところがあって、地図を調べている最中に見つけた『しゃもじ神社』。
『しゃもじ』ってご飯をよそるあれだよね?
気になったので、早速散策しに出かけました。
場所は地図上でも分かる通り、県道182号、大中里本通りのバス停、親華楼さんを北に曲がった住宅地の一角にありました。
もとはかなりの古木だったと思われる木は老化のためか、根元近くで伐採されていましたが、そこから樹木と言っても良いくらいに太い枝が3本、力強く空へと伸びています。
小さいながらに神秘的なオーラの『しゃもじ神社』。手を合わせて、祠の中を覗かせてもらうと中にはさらに小さな石祠が祀られていました。
広島県厳島神社では弁天のもつ琵琶と形が似たしゃもじが販売されていて、商売繁盛などの御利益があると聞いていたので、この神社にもしゃもじが祀られているのかと思いましたが、それらしいものは見当たりませんでした。
帰ってから調べてみると
①中部地方を中心にミシャクジ信仰という民間信仰があり、霊石を御神体として祀る石神信仰や、賽の神、道祖神信仰とも関連があるそうで、「御石神」、「御社宮司」などと表記される古代の神様で、木に降りて石に宿る神霊と信じられ、古木の根元に石棒を祀ったという説。
②検地で使用する道具の検地棒や検地縄を祀ったという説
など、いろいろな説があるようです。
大きな古木の横にある石祠から、木に降りて石に宿る神霊を祀るミシャクジ信仰『御石神(ミシャクジン)』のようでもありますが、大中里にある『しゃもじ神社』は『尺神(シャクジン)』を祀っているという伝承が残されているようなので、②の説の方が信憑性がありそうです。
1590年豊臣秀吉が全国統一すると、徳川家康は関東へ転封となり、秀吉の三中老の一人、中村一氏が駿河国に入りました。そして中村一氏の家臣横田村詮は、検地、交通路整備、土木施策などを行ったそうです。
農民が自分の土地を持ち、耕作量に応じて年貢を納める方法は、当時画期的だったそうです。
戦国時代は、農民も武器を常備し、いつでも武士になれる習慣がありましたが、刀狩令や身分統制令で、農民が武器を持って戦う必要がなくなったといいます。
検地は平和な社会の第一歩だったのかもしれません。
『しゃもじ神社』は『御石神(ミシャクジン)』、『尺神(シャクジン)』どちらを祀っている神社かは特定できませんでしたが、長い年月を経て未だここに存在する姿は神秘的なオーラに包まれていました。
しゃもじ神社:富士宮市大中里