【パリ】フランス人の心に響いた「吉野材」に日本ブランドの未来を見る。
9月のパリ恒例となった行事「Design Week」(デザインウィーク)の期間中、異色のイベントがありました。
それは「YOSHINO WOOD 吉野材」のお披露目会。全長7メートルの吉野桧のカウンターが、パリ・マレ地区の一角で訪れる人々を魅了していました。
奈良の吉野地方といえば、日本有数の林業地帯。日本三大美林のひとつにも数えられるほどです。ここから産出される杉と桧を総じて「吉野材」とよびますが、古くから神社仏閣、日本家屋に珍重されてきた高級木材としての伝統は今も連綿と受け継がれています。
では、どうしていまパリで?
このプロジェクトの経緯からは、日本の伝統産業が今抱えている問題と、これからの方向性が浮かび上がってくるような気がします。
新しい日本文化の発信地でお披露目
カウンターが展示されていたのは、マレ地区にある「OGATA」。17世紀の歴史建築を大改装して、茶房、レストラン、ギャラリーとして再生させた施設で、研ぎ澄まされた日本の美意識が体感できる場として、2019年暮れにオープンしています。
そのゆったりと贅沢なエントランス空間に、吉野桧のカウンターは見事な姿を見せていました。作品のタイトルは「Nuage(ニュアージュ)」。フランス語で「雲」という意味です。
全長7メートル、幅50センチ、重さおよそ400キロというカウンターは、まぎれもなく無垢の木そのもの。けれども匠の鉋の技で究極のミニマムデザインに形作られた姿からは、ほとんど神々しいまでのオーラが放たれているようです。
居合わせたフランス人たちも、惚れ惚れという表情で、木に触れ、関係者の説明に耳を傾け、こんな感想を語りました。
「年輪の細かさが見事。ヨーロッパならば、ニスをかけたり、たくさん処理をしてツヤを出すところですが、そういったことがまったくされていないのにこの滑らかさだということに本当に驚きました」
各界の叡智を集結したプロジェクト
パリに巨大な吉野桧カウンターを飾るという今回のプロジェクトにはたくさんの人々が関わっていますが、会場には代表として4人の日本人男性の姿がありました。
山中耕二郎さん(プロジェクトの統括)
ICHI株式会社取締役。2017年から欧州で吉野材の初輸出に着手。
後藤 豊さん(マーケティングディレクター)
スウェーデン・チャルマーズ工科大学研究員(木材工学、建築環境工学)、奈良県木材輸出アドバイザー。TIMBER HUB代表
岡部太郎さん(クリエイティブティレクター)
パリ在住の建築設計士
籏 邦充さん(テクニカルディレクター)
数寄屋・木造建築「京こと」株式会社代表取締役
すーっとたなびくように伸びる「Nuage(雲)」をデザインした岡部さんは、フォルムのストーリーをこう語ります。
「吉野の山って、いつも雲に覆われているのです。すごく雨が多い。日本でも特に降雨量の多い地域。そのためにいい木が育つわけですが。その雲をフランスにつれてきた、というのがコンセプトです。もうひとつは、こういう切り方をすると、木目がきれいにでるかな、と思っていて…」
と、カウンターの下のほうの造作を示します。
「どことなく、舟の先端のようにも見えますが」
と、わたしが口にすると
「はい。そうなんです。隠れコンセプトが『戦艦大和』なんです。大和(やまと)の国から来ていますから、吉野材の船出、という思いを込めています」
日本の木材輸出はようやくこれから
船出。その意味するところは、山中さんが語ってくれたお話で納得が深まります。
「日本人のライフスタイルの変化とか、安い外国材などいろいろな理由があって、国内での吉野材の需要がだんだん減少してゆくなかで、森に関わる人々の高齢化、将来人材の不足など、林業や木材生産の維持がだんだん難しくなってきています。
吉野材の価値がきちんと評価されて、適切な価格で販売できる。そして、その利益をまた山に戻す。つまり、これまでずっと続けてきた林業のサイクルを継続させるために、小さくてもなにか貢献できないだろうかという思いから、ヨーロッパへの輸出ということを考えました。
まずは2017年から、オーストリアに吉野の杉、桧の原木と板に引いた製材品を輸出することにしました。ですが、当時、ヨーロッパから木材を輸入するということはあっても、日本からヨーロッパという流れはなかった。ましてや原木を海外に出すには、検疫の問題などいろいろとクリアしなくてはならないことが多い。
EU基準を知るために、日本の植物貿易商などに問い合わせてはみたのですが、『じつはいままでヨーロッパに輸出した事例がないからわからない』と言われました。木材輸出関係の協会などにも尋ねましたが、『ヨーロッパはわからない』と。結局だれもやっていなかったのです」
煩雑な手続きなどをクリアしたうえで、ようやく海を渡った吉野材はオーストリアのバイヤーの手に委ねられましたが、思うような成果は上がらず、しかも先方の企業が手を引くことに。「付加価値の低い状態のものを、向こうで初めて扱う人が商売にするのは難しかったのです」と、山中さん。
トラブルの解決のためもあり、彼は単身ウイーンに向かいました。そして、ちょうどドイツのケルンで開催されていた木材メッセにも足を伸ばして、日本から持参した角材を披露したそうですが、それも現地の人の心には響かなかったといいます。
最強のチームを作る
「これはだめだ。自分ひとりでやっていてもどうしようもない」と痛感すると同時に、「そもそも木材を売ろうとしていることが間違っているのではないか」と、自問することになりました。
「フランスのワインでいえば『テロワール』が重視されますが、良質の木材が育てられる背景、環境、あるいはどういう人がかかわって、どういう木材の文化があるのかという、地理的、環境的、歴史的な部分、そういうストーリーと一緒に見せてゆく必要があるな、と考えました」
そうして、山中さんの思いに共感した各分野の第一線で活躍する人々が集結し、新しいプロジェクトが生まれたのでした。
「ここにいるのは4人ですが、吉野の森、合計で8000ヘクタールほどの山林所有者のグループの方々には、ずっと失敗も見せつつ、(次はこうやって行きます)と語ることで、応援いただいています。製材の分野もなかなか厳しい状況ですが、木材生産の川上、川中、そして川下がちゃんと連携して、海外で新しい土俵を作りたい。そういう思いがあります。たとえば、これひとつ作るのにも50人から60人が関わっている。いろんな人が直接的にも間接的にも関わっていることの結晶なんです」
人の手が育む吉野の森の恵み
今回パリで披露されているカウンターの桧は、フランス革命以前、つまりゆうに200年以上前に植えられたものだといいます。江戸の昔、いえ、もっともっと前から人間の手と知恵で受け継がれてきた吉野材について、後藤さんはこう語ります。
「太さがあって、フシがなく、とても美しい。このクオリティのものはヨーロッパにはないと思います。吉野は300年でも待ちますが、ヨーロッパの森はそこまで待たずに伐ってしまうことが多いので、同じようなものはないと思います。
世界的にみると、アラスカとか北米のほうで古い300年もののスプルースの木とか、桧のような木が出ることはあるのですが、それは天然木なんです。吉野は人が育てている木。一本伐ったら一本植える。人が林業のサイクルを成立させているというのが、天然林と人工林の大きな違いです。
吉野材は素材としての強度も優秀。日本の他地域との数字を比べても、強度の面でも優れた数値がでてきます。耐朽性、腐りにくさの実験などもしていますが、海外のものと比較しても桧はとくに素晴らしい数字を出します。加えて美しくてストーリーがあるのですから卓越していると思います」
美意識の高い国の人々
あたりにたちこめる桧の香りを満喫し、木肌を撫でるようにしていたフランス人たち。そのうちの一人のマダムからこんな声が聞かれました。
「シャルロット・ペリアンが『木には触れてみなくてはいけない』と言っていたのを思い出しました」
シャルロット・ペリアンといえば、ル・コルビュジェに認められ、彼の建築事務所で前川國男、坂倉準三らとともに仕事をした女性です。日本とも縁が深く、商工省が装飾美術の輸出工芸指導のために彼女を招聘。日本滞在中には『選択・伝統・創造』と題した一大展覧会を開催する一方、各地の伝統工芸を訪ね歩いています。
シャルロット・ペリアンの言葉を引いたマダムは、デザイン関係の仕事をしているということでしたので、特に感受性が高いのかもしれません。とはいえ、吉野桧のカウンターに触れつつ彼女が語った言葉は、世界にはわたしたち日本人が想像する以上に、日本の美と技を理解してくれる土壌があることを示唆するに十分なように思えます。
ちなみに、フランスでは木に触れる(toucher du bois)行為には、「不運を防ぐ」という、おまじないのような意味があるのです。