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女子バレー岩坂名奈が引退。主将、涙、心折れた日々。でも「心残りはありません」

田中夕子スポーツライター、フリーライター
今に季限りの引退を発表した岩坂名奈(写真提供/SAGA久光スプリングス株式会社)

引退決断の理由は「結果がすべて」

 ユニフォームを着て最後に臨む紅白戦。

 今季限りでの引退を表明した岩坂名奈は、最後まで笑顔だった。その後開催された引退セレモニーで、同期入社の新鍋理沙さんから花束を渡され、言葉を交わすと涙を浮かべ、オンライン開催のため画面越しにファンへのメッセージを伝える際、言葉を詰まらせる場面もあったが、それでも最後まで堂々と前を向いていた。

「年齢を重ねるごとに1年1年が勝負と思いながらここまでやってきました。でも今シーズン特にコンディションも上がることないままリーグやVカップを終えた。私自身、結果がすべてと思っているので、今シーズンで区切りをつけようと思いました」

 大きな身体をそのまま大きく、胸を張って笑う。時に下を向きながらも、必死で堪え、歩み続けてきた日々を最後は笑顔で締めくくった。 

現役最後の試合となった久光での紅白戦。「最後は感情が溢れた」と言いながら、楽しそうに笑顔でプレーした(写真提供/SAGA久光スプリングス株式会社)
現役最後の試合となった久光での紅白戦。「最後は感情が溢れた」と言いながら、楽しそうに笑顔でプレーした(写真提供/SAGA久光スプリングス株式会社)

大きな身体を小さく屈めた世界選手権のミックスゾーンで見せた涙

 2017年、中田久美監督が女子バレー日本代表監督に就任。東京五輪へ向けスタートを切ったチームの主将に、岩坂が抜擢された。

 それまで久光製薬で指揮を執った中田監督からの「自分のバレーを一番理解してくれている存在」と絶大な信頼があったのだが、岩坂にとってはこれが人生初のキャプテン。想像しきれないほどの重圧に、記者会見で意気込みを述べる声は、いつも以上に小さく、か細かった。

 もちろんチームによってさまざまなスタイルがあり、キャプテンも人それぞれ十人十色。だがセルビアや中国、アメリカなど、まさに世界の強豪と呼ばれる国々ではコート内外で圧倒的な存在感を発揮する選手が主将を務める。そんな面々と比べ、岩坂は試合出場の機会も確約されていたわけではなく、プレーで引っ張るタイプではない。

 人を押しのけてまで自分が前に出る我の強さや、言葉や態度で発するカリスマ性よりも、彼女が持つ長所は真面目さや周囲を気遣う優しさ。それでも主将という責任ある立場に出来る限り全力を尽くしていたが、明らかにその重圧に押しつぶされそうになっていた。

 特に顕著だったのは、2018年に日本で開催された世界選手権の時だ。

 試合後にコートでのインタビューを終えた選手は、記者が待つミックスゾーンで取材に応じる。中継するテレビ局を最優先に、他のテレビ局や新聞、雑誌、web媒体などさまざまな記者がその日活躍した選手や、それぞれが伝えようとするテーマに基づく取材をすべく、次々選手に声をかける中、常に試合へ出場するわけではない岩坂を止める記者は少ない。いつしか、取材の邪魔にならぬように、できれば気づかれないように、と大きな身体を小さく屈め、足早に去るのが当たり前になった。

 大会を終え、久光でも主将を務めた18/19シーズンの天皇杯を制した後、小さく屈めながらミックスゾーンを足早に駆け抜けた真意をたずねると、岩坂の目が赤くなった。

「代表は結果が求められるところで、ましてや日本開催。前よりもっといい成績を求められることもわかっていたのに中途半端で。キャプテンだからまとめなきゃいけないのに、そういう言動、行動ができない。自分も試合に出て、日本が勝つためにコートの中にいたいのに現実は全然違う。口では『覚悟を決めました』と言っていたのに、脆くて、消えたいぐらい情けなくて、心が折れそうでした」

 同時期久光に在籍したアメリカ代表のフォルケ・アキンラデウォから、バレーボールに対する姿勢や、ブロックのステップ、目の使い方。聞けることはすべて聞き、実践する。これで結果が出せなかったら終わり、と意気込んだ翌年のワールドカップも5位。もうミックスゾーンを小さく屈んで足早に去ることはなくなったが、必死に前を向いて歩く目には、いつも涙を浮かべていた。

主将としてチームのためにと振る舞う。だが内心は自らの不甲斐なさに心が折れそうだった、と振り返る2018年の世界選手権
主将としてチームのためにと振る舞う。だが内心は自らの不甲斐なさに心が折れそうだった、と振り返る2018年の世界選手権写真:森田直樹/アフロスポーツ

「めんどくさい選手だったのかな、って思います」

 代表の主将を外れた20年、東京五輪が1年延期となり、新鍋も引退。自身の進退も考えなかったわけではない。だが、出産を経て再びアキンラデウォが久光に復帰することや、高校の1学年後輩で、苦しい時も共に戦い続けて来た長岡望悠が長いリハビリを経て再びコートに戻って来たこと。

 キャプテンだから、代表だから、オリンピックがあるから、と重責を背負うのではなくシンプルに。自分がやりたいバレーと前向きに、できることをやりきって勝負したい。そう決意して挑んだシーズンだったが、自身のコンディションが上がらなかったことに加え、若手も台頭。試合出場の機会も減少する中「結果がすべてなので、今季限りで区切りをつけようと思った」と、岩坂は引退を決断した。

 華々しい戦績と共に重ねた、久光での選手生活。

「入団当初は先輩の背中にくっついて、どちらかと言えば陰に隠れてやってきましたが、最終的に振り返れば、いろんな先輩の背中を見てここまで続けてこられた。自分自身を自分でこんな選手、というのは難しいし、言い方は悪いかもしれないですけれど“めんどくさい”選手だったのかな、って思います」

 あれほど大きな身体で、手を伸ばせば相手にとってこれほど嫌な壁はない。だが、縦への脅威はあれど、横に移動するスピードや攻撃力、代表でライバルとして争った選手と比べれば、自身も「結果がすべて」と繰り返したように、残念ながら秀でていたとは言い難い。自分自身が常に突きつけられながら、なおかつキャプテンとしても踏ん張らなければならない。それだけの責任を与えられたと捉えれば前向きだが、数えるまでもなく、苦しいことのほうが圧倒的に多かった。

 だが、今振り返ればそのすべてが財産だった。

「自分はエースでも絶対的存在でもなかったんですが、チーム(久光)でも代表でもキャプテンという大役をさせていただいて、人としてどうあるべきか。今までは陰に隠れながらやってきた岩坂名奈でしたが、常に周りを気にしながらも自分自身が芯を持ってやり抜かないといけないというのはキャプテンをやらせてもらったから思えたこと。その経験が、今後の人生にも活かされるのかな、と思います」

 最後の試合に続き、最後の記者会見。

 代表でもVリーグでも、試合の後は枯れた声を振り絞っていたが、この日は最後まで笑顔で一語一句、丁寧に答える。相変わらずの生真面目さを、これ以上ない形で象徴していたのが、こっそり手元に用意していたメモだった。

 指摘すると、顔を赤くしながらテーブルの下に隠し、笑う。

「今まで受け答えがしっかりできていなかったので、最後ぐらいは皆さんからの質問に対してうまく答えられたらと思いメモを用意させてもらったんですけど、あんまり触れてほしくなかったです(笑)」

 これから何をするか、今はまだ将来の設計図は明確ではないが、どんな形であれバレーボールに携わっていきたい、と言う。肩肘張らず、でもこれからはさらに堂々と胸を張ればいい。

 持ち前の優しさで、笑いながら生きていく。人生は、まだまだこれからだ。

共に引退を発表した座安(前列左から3人目)と小島(前列右から3人目)、チームメイトと共に。後輩へ「新しい久光をつくりあげてほしい」をエールを送った。(写真提供/SAGA久光スプリングス株式会社)
共に引退を発表した座安(前列左から3人目)と小島(前列右から3人目)、チームメイトと共に。後輩へ「新しい久光をつくりあげてほしい」をエールを送った。(写真提供/SAGA久光スプリングス株式会社)

スポーツライター、フリーライター

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、月刊トレーニングジャーナル編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に「高校バレーは頭脳が9割」(日本文化出版)。共著に「海と、がれきと、ボールと、絆」(講談社)、「青春サプリ」(ポプラ社)。「SAORI」(日本文化出版)、「夢を泳ぐ」(徳間書店)、「絆があれば何度でもやり直せる」(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した「当たり前の積み重ねが本物になる」(カンゼン)などで構成を担当。

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