のび太なら強盗、ジャイアンなら恐喝か ー強盗における脅しの程度ー
■のび太なら抵抗できなかったとしても
今朝の朝日新聞(2017年5月16日多摩版)に面白い記事が載っています。
都内の金券ショップから現金約1000万円を奪ったとされる裁判員裁判で、強盗罪における「暴行・脅迫」の程度が議論されています。
強盗罪は、暴行や脅迫を手段に被害者の抵抗を抑えて、現金や財物などを奪う犯罪です。もしも被害者がプロレスラーのように豪胆な人で、何も恐怖を感じずに、哀れみから犯人にお金を渡したとすれば、そもそも「強盗行為」はなかったのではないかということが問題になります。
上の事件では、弁護人が「のび太ならば抵抗できなかったとしても、普通の人なら抵抗できた」と述べて、被告人の行った暴行や脅迫の程度は低く、強盗罪ではなく、より軽い恐喝罪とすべきだと主張したということです。
■強盗における脅しの程度
強盗罪における「暴行」とは、〈殴る〉とか〈切る〉といったように、被害者に向けて物理的な力を行使することであり、「脅迫」とは、〈殺すぞ〉とか〈殴るぞ〉といったように、害を加えると告げることです。いずれも、被害者の抵抗を排除する程に強いものであることが必要です。この程度に至らない場合は、恐喝罪が問題になります。強盗罪の条文では、「強取(ごうしゅ)」という言葉が使われ、恐喝罪の条文では、「恐喝して財物を交付させる」という表現になっています。
では、抵抗を抑えることができるほどの強さかどうかは、どのように判断されるのでしょうか?
【実例1】
強盗を計画した3人の男が、深夜Aの家に行き、2人の男が無言でAの傍らに立ち、あとの1人が匕首(あいくち)をAに示して「金を貸せ」と脅した。しかし、Aは脅しに屈することなく、「いくら要るか」などと答えて、少しだけ現金を財布から渡したところ、男はその現金を奪い、さらに他の1人が匕首を示して財布をもぎ取り、3人で逃走した。Aは直ちに鎌を持って追いかけた。
実は、この直後にAさんは死亡していて、上の場面ではどの程度恐怖を感じたのかは分かりません。Aさんはよほど豪胆な人で、犯人たちの脅迫には屈しなかったのではないかと思われます。しかし、最高裁は恐喝罪となるか強盗罪となるかは、暴行・脅迫が、社会通念上(常識的に)一般に「被害者の反抗を抑圧するに足るものであるかどうかという客観基準によって決せられる」のであって、被害者の主観を基準として判断すべきではないとして、本件では強盗行為があったことを認め、さらにその行為と財物の取得に因果関係がある以上は強盗罪になるとしました(最高裁昭和24年2月8日判決)。
ただ、客観的基準で判断するといっても、具体的な事情を無視するということではありません。こんなケースがあります。
【実例2】
夜間、58歳と26歳の女性だけの家に3人の男が侵入し、強盗しようとして母親の口元を手で押さえようとした。
相手の抵抗を排除できるかどうかの判断では、犯人や被害者の人数、男女の別、年齢、場所・時刻などの具体的事情は当然に問題になってきます。屈強な男性被害者に対しては抵抗を排除できなくとも、力の弱い女性は抵抗できない場合もあります。また昼間の人通りの多い場所で行われた暴行や脅迫も、深夜の人通りのない場所で行われれば、両方とも同じ程度だと評価することは不合理です。さらに、たとえばおもちゃの水鉄砲を突きつけて強盗しようとした場合であっても、暗がりで本物の拳銃のように見える場合には、それは被害者の抵抗を排除する力を持っているといえます。【実例2】のケースでは、最高裁は、強盗罪を認めました(最高裁昭和23年11月18日判決)。
なお、客観的には強盗行為とはいえなくても、被害者がとくに臆病であり、軽い暴行や脅迫でも固まってしまうということを知りながら、そのような暴行や脅迫を加えた場合は、強盗罪が問題となります。
■まとめ
以上をまとめると、次のようになります。
- 強盗行為とは、被害者の抵抗を排除するほどの強さが必要で、それは客観的に判断される。
- 具体的な事件では、犯人の数、年齢や体格、性別、人相や風体、犯行場所や時刻、凶器の有無など、さらには被害者側の事情も考慮される。
- 強盗行為と評価されるような行為がなされれば、被害者が実際に抵抗できない状態になったのかは問題にはならない。
朝日新聞に載っていた事件では、具体的にどのような状況で、どのような行為がなされたのかが興味あるところです。
*上の記事を教えていただいたWさん、ありがとうございました。(了)