【富田林市】3年ぶりに開催!富田林が生んだ歌人、石上露子生誕祭は、盛りだくさんイベントで1日遊べます
生誕祭といえば年末のクリスマス、あるいは釈迦の誕生を祝う花まつりなどが有名ですね。富田林では、明日6月11日に寺内町の重要文化財杉山家住宅で、作家・歌人の石上露子(いそのかみつゆこ:本名・杉山孝)の生誕祭が行われます。
露子は1882(明治15)年6月11日に、寺内町で当時造り酒屋をしていた杉山家で誕生しました。
露子は作家・歌人としての活動が短期間だったために、一般にあまり知られていないことを残念に思った富田林の芸術家の人たちが、「露子のことをもっと多くの人に知ってほしい」と、2011年に第1回の石上露子生誕祭を実施しました。
しかし、コロナ禍で2020年と2021年は中止、今年は3年ぶりに開催されます。この第10回目の石上露子誕生祭について、主催者の方にお話を伺いました。
またせっかくの生誕祭の前ですから、露子の創作活動が短くなった原因ともいえる露子の夫との関係についても、わかる範囲で考察してみました。
石上露子誕生祭の主催者の方でお会いした3人の方は、いずれも芸術家の皆さん。
その中でメインでお話をしてくださった富田林市美術協会会長の川邉和子さんは、「玉彩」という名前で絵を描かれる方。すばるホールで先日行われた講演会でも、即興で画像にある楠木正成を描かれました。
吟詠(ぎんえい)の間という短時間、一から描かれたのですから本当にすごいですね。
川邉さんによると、川邉さんが市役所勤務をしていた1983(昭和58)年に、主のいなくなった旧杉山家住宅を富田林市が購入。3年間の解体修理ののち一般公開しました。
旧杉山家住宅が保存されることが決まったことで、寺内町の町そのものの保存につながったのですから、市が購入したことはすごく大きな意義があったのですね。
6月11日当日、生誕祭セレモニーとして10時30分から旧杉山家住宅にて、供茶、献茶、筝曲の演奏が行われます。時間はおよそ20分間。当日は富田林市長の挨拶もあります。
その後、旧杉山家住宅中庭でお茶席があり、お点前が行われます。お茶券は400円で、別途、旧杉山家住宅の入場料が必要です。
14時からは歴史・文学講演会が行われます。会場は、旧杉山家住宅ではなく、旧田中家住宅なので注意しましょう。定員は50名で無料です。
講演会の内容は元富田林市文化財課課長で、歴史研究家の中辻さんによる歴史講演と「河内木綿」について大阪大谷大学教授の中道さんによる講演があります。また綿の花の種50人分がプレゼントされるとか。これも楽しみですね。
17時からは、再び会場を杉山家住宅に移し、黄昏(たそがれ)コンサートが行われます。これも無料とのこと。
川邉さんによれば、この日のために歌手を募集し結成された女性コーラスによる歌が披露されるそうです。
また、楠妣庵観音寺(なんぴあんかんのんじ)の解説、阿波踊りのパフォーマンスなども。
関連企画として寺内町センターでは、6月12日まで、第10回石上露子生誕祭を記念してアート作品展が行われています。寺内町と露子をイメージした日本画、洋画、彫刻、写真の競作です。
また「あなたが選ぶ特別賞」として、実際に見て良かったと思う作品に投票できます。
また書家が揮毫(きごう:字や絵を描く)した石上露子の詩歌もあります。書道家がこのために書き下ろした作品を見られる機会は、なかなかありません。なお寺内町センターは入場料無料なので、当日セットで回ると良いでしょう。
さて川邉さんによると、露子の活躍した同じ時代には、堺の与謝野晶子など有名な女流作家がいて、明星派として共に活躍しています。
また露子は旧家の娘でしたが、独身時代は富田林を出て東京に行くなど、当時としてはかなりハイカラさんと言える人だったとか。
さらに東京で知り合った男性と恋仲になりましたが、残念ながらその人とは家の事情でむりやり別れさせられるという悲恋に終わりました。
恋人だった男性は、その後アメリカに渡りました。そして若くして亡くなった時、その胸に若かりし頃の露子の写真を抱いていたという話しも残っています。
露子は富田林一の名家だった杉山家の長女として生まれたこともあり、杉山家とほぼ同格の名家から跡取りとしての婿養子を迎えます。ところがこの夫になる人は、露子の創作活動を否定し、完全に辞めさせてしまったのだとか。
露子が他家に嫁に行ったのなら、その家のしきたりで創作活動が困難になったのはわかりますが、婿養子で迎えるのだから立場的に露子の方が強そうなイメージ。
さらに川邉さんによれば、露子の父は露子の創作活動に理解があったそうですから、余計に不思議だと思いました。
夫がなぜそこまで露子の創作活動が嫌だったのか。調べるとやはり次の作品「小板橋」が大きく影響したのかなと考えられます。
この作品は旧家の家を継ぐ運命を背負い、初恋の人に対する叶わぬ思いを詠んだ歌として高い評価を得ます。
この詩は露子の作家としての名を不朽のものにしただけでなく、明治期の文学の代表作品のひとつとして紹介されることになります。
この作品を発表したときと同じ、1907(明治40)年12月に結婚したとあるので、露子はこの歌に、最後の抵抗を託したかのような心情も垣間見えるようにも思えました。
しかし、これはいくら家同士が決めた結婚とはいえ、夫側から見ると「好きではない相手だ」と明らかに否定されてしまったとも読めますね。この仕打ちは、婿養子になる夫にとって相当辛かったのではと考えられます。
ここからはあくまで想像ですが、これ以上プライドを傷つけられたく無いため、露子の夫は妻の創作活動を禁止したのではないでしょうか?
その後は男子がふたりも生まれて跡取りも出来ましたが、夫は投機をして自滅。また息子たちが京都の学校に行ったことを機に露子は京都に移り住み、夫と別居します。京都に行った露子は1931(昭和6)年に、そこで創作活動を再開したとか。
その後、露子のふたりの息子にも不幸が襲います。兄が若くして病死、弟が自殺という最期、残された露子は晩年を静かに旧杉山家住宅で過ごしました。
川邉さんによれば露子の墓は、杉山家の他の家族とは異なり、河南町の高貴寺にあります。恐らく露子は、最後まで家族に対していろいろな想いがあったのでしょう。
ということで、生誕祭を前に、露子の人生についていろいろ勝手に推測してみました。
今の時代では考えられないような家同士による強制結婚、家長である夫の独断による創作活動の停止など、当時の時代が生んだ不幸があります。でも、その環境だからこそ生まれたであろう露子の最高傑作「小板橋」の存在。
川邉さんによれば、当日はいろんなイベントで一日遊べる予定だそうです。明日の石上露子生誕祭に行って、いろいろと思いを巡らせてみてはいかがでしょうか?
旧杉山家住宅(石上露子生誕祭メイン会場)
住所:大阪府富田林市富田林町14-31
入場料:大人(16才以上)400円、小人(6才~16才未満)200円、団体(20人以上)は2割引(生誕祭で入場するときも必要)
アクセス:近鉄富田林駅、富田林西口駅から徒歩8分