ブリンケン国務長官 オーストラリアでホロコースト生存者の継父語る「ここで人間らしさを取り戻せました」
米国、日本、オーストラリア、インドの4か国の枠組み「クアッド」は2022年2月11日にオーストラリアのメルボルンで外相会談を開催した。それに先立つ2月10日には米国のブリンケン国務長官がメルボルン大学で講演を行った。ブリンケン国務長官は、継父でホロコースト生存者のサミュエル・ピサール氏について語っていた。ブリンケン国務長官はユダヤ系アメリカ人で戦後にアメリカで生まれたのでホロコーストの直接の被害は受けていないが、両親ともにユダヤ系であることから以前からホロコーストの歴史の伝達には積極的に取り組んでおり、ホロコースト博物館などでも多数講演を行っている。
ブリンケン国務長官はサミュエル・ピサール氏も戦後に法律を学んでいたメルボルン大学で同氏について講演。「継父は終戦間際に絶滅収容所から歩いて別の収容所まで行かされる"死の行進”をさせられている時に逃げ延びてアメリカ兵に救われました。そしてオーストラリアに来て人間に戻ることができました。4年間、絶滅収容所にいたので教育を全く受けていませんでした。そのような継父が知的な探求心を身に着けて、完全に人間らしさを取り戻すことができたのはオーストラリアのおかげです」と語って当時のユダヤ人難民を受け入れてくれたオーストラリアに感謝していた。
▼ブリンケン国務長官が継父についてメルボルン大学で講演しているのを伝えるニュース
ホロコーストを伝え続けてきたサミュエル・ピサール氏
ブリンケン国務長官の継父のサミュエル・ピサール氏は1929年にポーランドで生まれたユダヤ人で、ホロコーストで両親と妹が殺害された。オーストラリアで法律をまなんだ後にハーバード大学でも法律を学び法学者、弁護士としても活躍していた。また人権活動家としてホロコースト時代の経験や記憶を後世にずっと伝えてきた。フランスでホロコーストの歴史を伝えるショア博物館の建設などにも貢献してきた。国連機関のユネスコでもホロコーストの歴史を積極的に後世に伝えており、2015年に逝去されるまで「二度とホロコーストが繰り返されないように」と世界中で訴えていた。
戦後75年が経ち、ホロコースト生存者らの高齢化が進み、記憶も体力も衰退しており、当時の様子や真実を伝えられる人は近い将来にゼロになる。ホロコースト生存者は現在、世界で約24万人いる。彼らは高齢にもかかわらず、ホロコーストの悲惨な歴史を伝えようと博物館や学校などで語り部として講演を行っている。当時の記憶や経験を後世に伝えようとしてホロコースト生存者らの証言を動画や3Dなどで記録して保存している、いわゆる記憶のデジタル化は積極的に進められている。現在、世界中の多くのホロコースト博物館、大学、ユダヤ機関がホロコースト生存者らの証言をデジタル化して後世に伝えようとしている。デジタル化された証言や動画は欧米やイスラエルではホロコースト教育の教材としても活用されている。
ピサ―ル氏はその記憶のデジタル化の先駆け的な存在でもあった。今のように誰もがスマホで簡単に動画を録画してデジタル化することが容易ではなかった時代からピサ―ル氏は多くの証言をしていた。ビデオに撮影しておいたりテレビにも出演してホロコースト時の経験や記憶を語っており、当時の貴重なピサール氏の証言は現在はデジタル化されて、YouTubeで全世界に公開されている。いずれホロコースト生存者が全員いなくなり、ホロコーストの経験や記憶を語り継ぐ人がいなくなることを誰よりも理解していた。自分が死んだ後でもホロコースト時代の経験や記憶が語り継がれるために、インターネットもまだほとんど普及していなかった頃からビデオを回させてホロコースト時代の経験や記憶を語っていた。メディアにも積極的に出演していたようだ。
増える次世代によるホロコーストの記憶の伝承とデジタル化
ホロコーストの当時の記憶と経験を自ら証言できる生存者らがいなくなると、「ホロコーストはなかった」という"ホロコースト否定論"が世界中に蔓延することによって「ホロコーストはなかった」という虚構がいつの間にか事実になってしまいかねない。いわゆる歴史修正主義だ。そのようなことをホロコースト博物館やユダヤ機関は懸念して、ホロコースト生存者が元気なうちに1つでも多くの経験や記憶を語ってもらいデジタル化している。
また既に他界してしまったり、高齢化が進んで体力や記憶力がなくなり、当時の経験や記憶を伝えられない生存者も多い。そのような世代に代わって、今回のブリンケン国務長官のように、ホロコースト生存者の経験と記憶を子供たちの世代が伝えるようになってきている。ブリンケン国務長官のような有名人でなくても、子供や孫といった次世代が両親や親せきから聞いたホロコーストの経験をデジタル化して伝えているケースが増えている。ホロコースト生存者は高齢者が多く、デジタル化のためにスタジオや自宅で長時間にわたって収録カメラの前でかつての記憶を語るのが大変だが、生存者の子供や孫はそのようなことに心身ともに抵抗が少なく、ホロコースト生存者よりも積極的で、彼らが両親から聞いたホロコーストの経験や記憶のデジタル化に協力的である。
また両親世代はナチスドイツだけでなく現在のドイツ人や、当時自分達を差別迫害した人々への強い恨みがあったり、家族や友人が目の前で殺害されるような当時の辛い経験や思い出を公の場や録画されて語りたくないという人も多く、自分の子供にしか話していないという人も多かった。そして、そのような両親や親せきから聞いたホロコースト時代の親世代の経験や記憶を子供たちがデジタル化して、さらに次世代に継承しようとしている。
▼生前のサミュエル・ピサール氏の貴重な動画
▼ユネスコの特使としてホロコーストを後世に伝える生前のサミュエル・ピサール氏
▼ホロコースト博物館で継父の経験や、記憶の継承の重要性を語るブリンケン氏