諸君、脱帽したまえ。天才だ。藤井聡太七段(17)奇跡的大逆転勝利で史上初3年連続勝率8割超え達成
3月24日。大阪・関西将棋会館において王位戦リーグ紅組▲藤井聡太七段(17歳)-△稲葉陽八段(31歳)戦がおこなわれました。
10時に始まった対局は19時36分に終局。結果は129手で藤井七段の勝ちとなりました。
リーグ成績は藤井七段3勝0敗、稲葉八段1勝2敗となりました。
また発表によれば、未放映のテレビ棋戦の結果も合わせ、藤井七段の今年度成績は52勝12敗に。3月31日におこなわれる残り1戦を残して2019年度勝率8割以上が確定しました。藤井七段は過去に誰もなしえていない、3年連続勝率8割超えという偉大な記録を、デビュー以来の3年で打ち立てました。
藤井七段、信念を貫く長考
戦型は角換わり腰掛銀の最新形。
62手目、稲葉八段が藤井陣に歩を垂らす手を見て、ここから時間を使う中盤戦となりました。
藤井七段は昼食休憩中、早めに席に戻って考え続けます。
62手目が指された後、藤井七段は休憩を合わせ1時間半近くを使って、63手目を指しました。対して稲葉八段はすぐに応じ、今度は8筋に歩を垂らします。
ここでもまた、藤井七段はこんこんと考え続けます。中盤で勝負所と見るや、惜しみなく時間を投入するのが藤井七段のスタイルです。それはもちろん、仮に終盤で時間が切迫してもある程度は指せるという自信の裏返しでもあるでしょう。
そしてまた1時間半近くを使って、次の手を指しました。応手はもっとも自然な、直前に打たれた歩を取る手です。
藤井七段は断続的に時間を使い、4時間の持ち時間がどんどん削られていきます。
藤井「中盤で長考した局面があったんですけど、そこで読み筋が当たらずに少し・・・その後は時間の面でも、形勢の面でも、苦しくなってしまったのかなあ、という気がします」
稲葉「妥協せず、時間を惜しみなく使って将棋の棋理というか、しっかりと。時間がなくなってくると結構妥協する棋士も多いんですけど、そういうことないんだなって思いました」
74手目。稲葉八段はほとんど時間を使わずに、王手の駒を玉をみずからで取り、三段目に上がる意表の応手を見せます。
75手目。藤井七段はそこでまた考え、歩を打って王手をかけます。そこで残り11分。対して稲葉八段は3時間26分を残しています。終盤の難しいところで、これだけ時間差がつくことはそうありません。
稲葉「予定していた局面まである程度いったんで。あまり相手との兼ね合いとは関係なく、自分のペースを貫きました」
稲葉玉は中段四段目に上がっていきます。「中段玉寄せにくし」の格言通りで、危険なようでも、強者は玉を上に逃げる手を最善と読めば、そうする順をいといません。
藤井七段は桂を打って王手をかけます。そこで稲葉八段はふんだんに残された時間を使って考えます。そして金を取らせる間に玉を逆サイドに逃げていく順を選びました。
89手目。残り時間が切迫した藤井七段。残り9分から1分を割いて、自陣一段目の飛車を中段五段目に浮いて、攻めに使います。
ソフトの評価値は稲葉八段に傾きました。とはいえ、局面は難解です。少なくともほとんどの観戦者には、何がどうなっているのか、さっぱりわかりません。
そこから最善に近い手を指し続けることができなければ、勝ちにはたどりつけないのでしょう。稲葉八段には、2時間近い時間が残されています。もしもこうした展開が事前にイメージした通りとすれば、その戦略はズバリ当たったことになります。
稲葉八段が考えている間、藤井七段は足早に席を立ち、トイレに行きます。たとえトイレであっても、手番の側であれば容赦なく時間を削っていくのが将棋界の決め事です。お隣の囲碁界はその点優雅で、トイレに立つ時間は消費時間としてカウントしないそうです。
相手が席を立った間、盤の前に残された棋士は何かをぼやくのが定跡とも言えます。藤井七段がいない間、稲葉八段は「ひえー、そうかー」などとしきりにぼやきます。どれだけ時間があっても、難しい局面なのでしょう。
稲葉八段はなお考え続けます。そのうち藤井七段を前にしても「いやあ、ひえー」と口にするようになり、身をよじり、やがてぼやきが止まらなくなってきました。
90手目。稲葉八段は37分を使って、受けに銀を打ちました。それを左から打つか右から打つか、わずかな違いで進行はまた違ってきます。
藤井七段は1分で王手で攻防の角を打ちました。これもまた多くの観戦者の意表をついた、めまいがしそうな手です。稲葉八段が逆サイドに銀を打てば、この角打ちはありませんでした。
天才のみ演出しえる大逆転劇
藤井七段が追い込むか。それとも稲葉八段が逃げ切るか。手に汗握る、白熱の終盤戦です。
95手目を藤井七段が考える間、稲葉八段もトイレに立ちます。稲葉八段には1時間以上の残り時間がありますが、ここはやはり足早になるようです。
藤井「途中からかなり複雑で、考えてもなかなかわからないという局面が続いたんですけれども、かなり時間がなくなってしまって、厳しいかなと思ってました」
局面は次第に稲葉八段優勢がはっきりしてきたようです。しかしわずか一手のミスでひっくり返されるのが将棋であり、藤井七段の終盤です。
106手目。残り4分のうち2分を使って、藤井七段は▲6一飛と打って、6三にいる稲葉玉に王手をかけます。この王手もかなりの迫力で、対応もまた悩ましい。どちらかといえば、いつもそっと指す藤井七段が、ここはかなりの駒音をさせての着手でした。
考慮中に残り時間50分を切った稲葉八段。しきりに「いやあ」とぼやき、舌打ちも聞かれます。名人挑戦経験のあるA級棋士にして、この終盤を読み切るのは至難の業。改めて「将棋は難しすぎる」と感じさせる一場面でした。
飛車の王手に対しては△6二金合と△6二歩合、いずれも考えられます。
藤井「▲6一飛と打ったところで、△6二歩合とされたら厳しいかなと思っていました」
藤井七段の局後のコメント通り、ここでは△6二歩合ならば、稲葉八段の勝ち筋だったようです。
「稲葉先生、残り40分です」
記録係の声がした後、稲葉八段は一呼吸おいた後「はい」と答えます。そして「いやあ」とぼやいて、また舌打ちをしました。
「稲葉先生、残り30分です」
その声を聞いて、「はい」と答える稲葉八段は落ち着いているようにも見えました。そして駒台に乗せられている金を手にして、盤上に手を伸ばし、△6二金と打って合駒します。
稲葉「ある程度有利に進んでいったかなと思うんですけど。時間がない中で勝負手を連発されて、長考する場面が多かったですけれど・・・。うーん、最後▲6一飛の対応を間違えてしまったですかね」
108手目、稲葉八段は王手で角を打って藤井玉を追います。驚くべきことに、ここで形勢は逆転したようです。
稲葉八段の終盤の指し手が、不自然だったとは思われません。ひどい悪手を指したという印象もありません。しかし現実として、盤上の形勢は逆転しています。将棋は難しすぎる。改めて、そう感じざるをえません。
「正直、これが逆転するとは思いませんでした」
佐々木勇気七段はそうつぶやきました。おそるべきは藤井七段の終盤力というよりありません。
111手目。藤井七段は残り2分のうち1分を使って、成桂を引きます。この王手もまた、そう簡単な手ではありません。しかし多くの観戦者は、藤井七段がその最善手を逃しはしないであろうことを予想していました。これまでつちかわれてきた、藤井七段の強さに対する信頼がそうさせるのでしょう。
逆転して、形勢は藤井七段勝勢です。そして稲葉八段の手が止まりました。藤井七段には残り時間がないのだから、本来であれば少しでも早く指したいところです。しかし指せない。
稲葉八段は7分考えた後、玉を一つ上がって逃げます。そして稲葉玉には三十数手にもおよぶ即詰みが生じました。藤井七段が中段五段目に上がった飛車がよく利いていて、逃げる場所がなくなっています。すべての駒が、不思議と藤井七段が勝つように配置されているように見えてしまう。しかしそれはもちろん、藤井七段が導いて、そうなっているわけです。
122手目を指した後、稲葉八段は残り22分。そしてまた足早にトイレに立ちます。
123手目。盤の前に一人残された藤井七段は、一分将棋で秒を読まれながらも、指し手はずっと誤りません。稲葉八段が戻ってきてみると、そこには稲葉玉の死命を制する銀が王手で置かれていました。
130手目、金打ちの王手を見て、稲葉八段の首ががくっと折れました。そして一呼吸を置いて「負けました」。投了を告げました。
藤井七段はこれで王位戦リーグ白組で3連勝。リーグ優勝、挑戦者決定戦進出に向けて、大きく前進しました。
藤井「残り2局も最善を尽くして指したいというふうに思っています」
史上初の3年連続勝率8割を達成した藤井七段。その記録については、どう感じていたのか。
藤井「そのことはまったく意識してなかったですけど、今年度も一局一局全力を尽くしてきた結果、そういう結果を残せたことはよかったかなと思います」
われらの時代を代表する天才は、そうした記録にまったく無頓着のようです。
天才藤井七段の奇跡的な大逆転劇、そして達成された記録の偉大さを前に、筆者は同時代の観戦者の一人として、泣きたくなるような思いがします。脱帽し、ただただ拍手を送るよりありません。