「横浜家系ラーメンブームに一石を投じたい」―「武蔵家」総大将が考える家系ラーメンの“幅”
東京メトロ丸ノ内線・新中野駅から徒歩1分。1997年創業の横浜家系ラーメンの人気店がある。
「武蔵家 中野本店」だ。
吉祥寺にも別の「武蔵家」があることから、「新中野武蔵家」と呼ばれている。暖簾分け店が90店舗弱あり、家系ラーメンの一大勢力と言っていい。
そんな「武蔵家」の総大将を務めるのが三浦慶太氏。27歳で松戸店にアルバイトで入ったのが家系ラーメンとの出会いだ。
「もともと若い頃に居酒屋を経営していたんですが、上手くいきませんでした。その後は旅館で働いていて、“接客”に自信がついたんです。
接客を生かしながら、昔から大好きだったラーメンの仕事をしたいなと思って『武蔵家』に入りました。実はそれまで家系ラーメンのことは全然知らなかったんですよ(笑)」(三浦さん)
店で実際働いてみると、従業員がお客さんにタメ口を使っていることに大きな違和感があった。
自分はそうはなるまいと、完璧な接客を目指していたが、先輩たちと違って自分には一向にファンが付かないことに気がついた。
「自分の接客は形だけだったんですね。修業を通して接客の深さを知りました。
『武蔵家』はラーメン作りも接客もマニュアルがありません。それが楽しかったですね。自分で学んでいく感じが性にも合っていました」(三浦さん)
その後、三浦さんは川口店の店長を経て、35歳で総大将となった。
地元・金町で「三浦家」を凱旋出店
「武蔵家」を任されて2年が経ち、三浦さんは修業を始めた当時からの夢を叶える。地元である葛飾区金町に自分の店を開いたのである。
「昔から絶対地元で店をやりたいと思っていました。自分の大好きなラーメンを地元のお客さんに食べてもらいたかったんです。
自分の中では背水の陣。ここがダメなら全部ダメぐらいな勢いでオープンしましたね」(三浦さん)
店の名前は「ラーメン 三浦家」。
「武蔵家 金町店」にするのではなく自分の名前(「三浦」)を付けたところに本気を感じる。
今の家系ラーメンブームは、店でスープを炊いて作る伝統的な製法ではなく、スープや具材をセントラルキッチンで作り、各店に配送する“資本系”が中心だ。「武蔵家」はここに一石を投じたい。そういう思いだ。
「本気をここで見せたかったんです。
『武蔵家』も店舗が多いので、チェーンと言われていますが、うちは全店舗味が違いますし、作り方も違う。各店がその地域のお客さんを大事にして手作りしています。
『三浦家』はそんな『武蔵家』のフラッグシップ店を目指しているんです」(三浦さん)
一番目指しているのは地元に愛されるお店になることだ。
地元の学生や仕事帰りや近くで働いているサラリーマンが気軽に来られるお店にしたい。
ラーメンの価格はギリギリまで下げて650円だ。“安くて旨くて腹いっぱい”が「武蔵家」の基本。
原料の値上がりの波も来ているが、なるべく安く提供する。さらにライスも無料だ。食べ残しなどがなければ、今後もライス無料は続けたいという。
「今後は『三浦家』の支店を考えていて、物件を探しています。
さらに、『武蔵家 成増店』の数軒先に“離れ”を作ろうと思っています。
材料も一緒、醤油も一緒、だけど作り方でこれだけ変わるんだということを“離れ”で証明します。作り手、技術、センスで家系ラーメンは全く変わるんだということを見せていきたいと思っています」(三浦さん)
手作りだからこそ出てくる店ごとの「幅」、これを「武蔵家」は見せていく。これからがますます楽しみである。
筆者が監修を務めるインターネット番組「DON-BURI」にて三浦さんのインタビューを配信しているので、YouTubeでもチェックしてみてほしい。
※写真は一部を除いて筆者による撮影