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さあ、ドラフト。とっておきを探せ! その5 森田駿哉[Honda鈴鹿]

楊順行スポーツライター
Honda鈴鹿が出場を決めた社会人の都市対抗野球大会は、11月22日開幕(写真:アフロ)

 スポーツ界には、○○世代という特異年代があるものだ。代表的なのは松坂世代で、大谷翔平世代には野球に限らずフィギュアスケートの羽生結弦、バドミントンの桃田賢斗や奥原希望、水泳の萩野公介……ら、才能がきらめく。テニスの松岡修造やバレーの中垣内祐一は、桑田&清原のKK世代だ。いま売り出し中なのはさしずめ、本塁打王を争う岡本和真(現巨人)を筆頭に高橋光成(現西武)、栗原陵矢(現ソフトバンク)、飯塚悟史(現DeNA)らがいる世代じゃないか。

 この1996年度生まれの学年、大学から社会人野球に進んだとすれば、今年がプロ解禁年となる。代表格のトヨタ自動車・栗林良吏は、都市対抗東海地区2次予選・第1代表決定戦で、Honda鈴鹿を相手に1失点で完投した。実はこの試合、Honda鈴鹿で先発した森田駿哉も、同年代のドラフト上位候補だ。この2人、社会人代表として日韓台湾の若手プロと対戦した昨年のアジア・ウインターベースボールでは、ずっと同部屋。先発・救援でフル回転した森田だが、「あのストレートがあればファウルが取れるので、配球が楽になる」と、栗林から大いに刺激を受けていた。

富山商では飯塚(現DeNA)の日本文理に惜敗

 高校時代は、森田のほうが目立っていた。2014年夏の甲子園、森田が2試合連続完投して3回戦に進んだ富山商は、日本文理と対戦した。7回まで自責1と奮投したが、3点差を追う8回、代打を送られて降板。その代打の安打をきっかけに、チームは4点を返して逆転するのだが、2番手投手が相手打線を止められず、9回で逆転サヨナラ負けを喫している。このとき、ベスト4まで進んだ文理の投手が飯塚だった。

 森田はその飯塚、さらに岡本、高橋、栗原らとともに高校日本代表に選ばれた。彼らがそろいもそろってプロ志望と聞き、自分も「いずれは……」と、将来の視野に入れた。進学した法政大では1年春から1回戦に先発と、最大級の期待を背負う。ヒジを痛め、1年秋から3年を終えるまで登板はなかったが、19年に社会人入りすると、春先から登板して真価を発揮した。もともと練習&研究熱心。たとえば、右手中指をグラブの外に出すのは、「中指に目があるような感覚。それをホームにまっすぐ出すことで、体重移動の方向指示にする」ためだ。

 だが2年目は、栗林のまっすぐから受けた刺激が大きすぎたのか、トライした球速アップが裏目に出た。

「本来の腕の振りは、スリークォーターよりやや上。それが、球速を求めるあまり真上に近くなっていたんです」

 とは、今久留主成幸コーチ(そういえば同コーチも、KK世代。PL学園で捕手を務めていた)。本人も「自分のフォームを見失って」、6月下旬のオープン戦解禁直後はさんざんだった。なにしろ、最速150キロに近かった球速が130キロ台に落ちたのだ。今久留主コーチの指摘でようやくそれに気がつくと、「自分は、栗林にはなれません。それならまっすぐとフォークに加え、スライダーとカットボール、ツーシームなど横の変化を使う」本来の投球を思い出した。

 勝負の2年目、「なんとか間に合った感じです」と話す森田は、大学4年時にも志望届を出している。ただそのときは、ヒジ手術以後に目立つ結果を残せず、自信はなかった。「今回も似たような心境です」と森田はいうが、150キロ級左腕はやはり貴重な存在。プロで活躍する96年度世代に加わるか。

もりた・しゅんや/Honda鈴鹿/投手/左投左打/1997年2月11日生まれ/富山県出身/186cm86kg/富山商高→法政大

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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