日本の大学に統廃合は本当に必要か?
経営難の私大、3年集中指導…改善なければ公表 : 読売新聞
現代の日本社会において、大学不要論は根強く蔓延している。なかでも経済界と政界から、その傾向を強く感じる。それを受けるかたちで、文科省も大学の統廃合を2000年代に入って以来さまざまなかたちで推奨してきた。国公立大学のアンブレラ方式もそうだし、国公私立を超えた統合も検討されている。
冒頭の報道もその流れに位置付けられるものだ。だが、果たして、我々の社会にとって大学の統廃合が理想的な解なのだろうか。改めて考えてみたい。大学の統廃合が想起されるとき必ずといってよいほど言及されるのが、18歳人口の減少と私立大学の経営環境の悪化である。
文科省の「高等教育の将来構想に関する基礎データ」を参照すると、確かに18歳人口の減少が予想されている。人口構成についての予測は出生数の影響が大きいので、それなりに妥当性を有すると考えられる。この間の120万人から2030年代には100万人を割り込むわけだから、20万人程度の減少が見込まれる(文科省「高等教育の将来構想に関する基礎データ」より引用)。
私立大学の経営環境の悪化というとき、しばしば言及されるのが、「私立大学の定員割れ(≒定員充足率の悪化)」の状況である。文科省「高等教育の将来構想に関する基礎データ」でも「大学等の経営状況について」という章の筆頭に置かれている。この資料によると、平成28年度の入学定員未充足校は、257校、私立大学数の44.5%となっている(文科省「高等教育の将来構想に関する基礎データ」より引用)。
確かにこの2つの資料を見ると、大学の統廃合が不可欠だという解を導出してしまうかもしれない。だが、果たして、それだけが解なのだろうか。
そもそもこの間、大学数は減少していないどころか、2000年代を通して増加している。文科省は1991年に大学設置基準の大綱化を実施した。わかりやすくいうと、規制緩和を通じて、大学の設置を容易にした(すでにこの時点で2000年代の統廃合や集中化の議論と全く整合的ではない)。下のスライドを見てほしいが、この間、大学に限定すればその数は増加している。平成の30年を通じておよそ250校、過去10年に限定すれば、50校近く増加した(近年は1桁の微減傾向だが、私立大学に限定すれば微増傾向)。概ね、学校法人は民間に区分できるが、彼らはまったく「勝算」のない「事業」に参入し続けているのだろうか、という疑問も生じる(文科省「高等教育の将来構想に関する基礎データ」より引用)。
さらに大学在学者数を見てみると、どうか。平成の30年間で90万人程度、過去10年で6万人ほど増加している(近年はほぼ横ばい)(文科省「高等教育の将来構想に関する基礎データ」より引用)。
ちなみに上のデータには大学院課程(修士、博士等)のデータは含まれていないように見える。というのも、文科省の「平成28年度学校基本調査(確定値)」によれば、大学院課程等を含む、平成28年度の大学在学者数は2873624人とされているからだ。一般に大学と大学院は連続して設置されることが多いだけに、大学経営を考えるにあたって、大学院在籍者数を除外して考える合理的理由はあまり見当たらないように思える。なお大学院在籍者も近年に限定すれば、減少傾向にあるが、2000年代の大学院重点化を通して私立大学にも多くの大学院が設置され、大学院在籍者数は顕著に増加した(「中央教育審議会大学分科会 大学院部会(第81回)」より引用)。
経営面についてはどうか。文科省の「学校法人の経営等に関する参考資料」(p.3)によれば、平成26年の帰属収支差額がマイナスになっている大学は219校、私立大学の37.0%だ。さらに過去10年で解散したり、廃止された私立大学の数は年間1桁に留まっている(ちなみに1や0の年が多い)(文科省「学校法人の経営等に関する参考資料」より引用)。
こうしたデータを細かく見ていくと、「大学が18歳人口減少下のもとで、学生数が激減し、経営状況が劇的に悪化し、もはや大学統廃合以外の選択肢はない」という結論の妥当性は必ずしも自明ではなくなってくるのではないか。
さらにいくつかの補助線を引くことができる。日本の「低学歴社会」についてだ。日本の大学進学率はOECD平均を10ポイント程度下回り、男女間、都市と地方のあいだに格差を抱えている。さらに人口あたりの大学院進学者が他国と比較して相当程度少ないことが知られている(文科省「第7期大学分科会の審議事項に係る関連資料・データ」「高等教育の将来構想に関する基礎データ」より引用)。
またこの間、日本への海外からの留学生は相当程度増加している(日本学生支援機構「平成29年度外国人留学生在籍状況調査結果」より引用)。
大学進学率の是非については様々な議論がありうるが、少なくとも経済的には第3次産業の存在感が大きくなり、また情報化社会や知的基盤社会を推奨するなかで、日本の「低学歴社会」の現状についてはまだまだ改善の余地がありうるのではないか。つまり都市と地域、男女間の進学率の格差を解消し、OECD平均程度まで大学進学率を引き上げるだけでも18歳人口の減少分は補いうるともいえる。また留学生も大きなポテンシャルを有している。確かに日本の大学は近年世界ランキングのうえでは存在感が乏しくなっている。その一方で、急速に発展する中国を始めとする近隣諸国における中流層の劇的増加と我々の社会以上の学歴志向によって、日本への留学意欲は冷えるどころかいっそう強力になっている。
運営費交付金の影響が大きい国公立大学と異なり、私立大学の財源は授業料等の学生納付金に依存する。だが文科省は近年は定員管理の厳格化を要請している。入試合格者と入学者のギャップに対して、ペナルティをかけるというものである。経営主体としての大学にとっても、受験の見通しを立てにくい受験生にとっても、理解に苦しむ手法である。
安田賢治のここだけの話:大学定員管理の厳格化で来年も厳しい入試になる!- 毎日新聞
ここまで概観してきたデータを総合して考えるだけでも、「大学が18歳人口減少下のもとで、学生数が激減し、経営状況が劇的に悪化し、もはや大学統廃合以外の選択肢はない」という結論はかなり近視眼的なものか、あるいは控えめにいってみても相当程度合理的理由に乏しいものだといわざるをえず、拙著等でも言及してきたが、マッチポンプ的で、アドホックに思える近視眼的な政策を多数手がけてきた。
なぜ日本の大学政策は国内外からの指摘にもかかわらず運営費交付金削減と競争的資金政策に拘り続けるのか(西田亮介)- Y!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryosukenishida/20161101-00063990/
国立大学の現状についての基本的な4つの誤解について(西田亮介)- Y!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryosukenishida/20161127-00064861/
むしろいま求められているのは、時代遅れの行政主導の需給予測や、政治や行政主導の短絡的な「改革」ではなく、データにもとづき各大学に裁量と安定的な財源を委譲することではないか。総合大学が国公私立含め全国に多数あるというのは世界に類をみない知的な多様性と豊かさを意味しているともいえる。大学は一度統廃合してしまえば、容易に再建できるものでもない。そのことの意味を今一度問い直すべき時期に思える。