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「あなたはあなた、好きにしなさい」俳優・ゆうたろう、不登校時代に苦しみを解いた母

石井しこう不登校ジャーナリスト
俳優・ゆうたろうさん(写真・山根悠太郎)

 俳優やモデルとして活躍するゆうたろうさん。じつは彼もまた不登校経験がある人でした。ゆうたろうさんに不登校になった経緯、そしてゆうたろうさんを勇気づけたお母さんの言葉を教えてもらいました。

――学校へ行きたくなくなったのは、いつごろでしょうか?

 中学1年生のなかばから不登校になりました。中学校の入学当初から、クラスになじめないと置いていかれるような空気感があったので、男子数人とグループ行動をしていたんです。ですが、移動教室や休憩時間など、つねにみんなで行動しなければいけなくて、なんとなくしんどさを感じるようになりました。

 それと、深夜のバラエティ番組のようなお笑いネタや下ネタをふって、みんなで盛り上がるような独特の男子のノリが苦手だったんです。最初は僕もみんなに合わせていたのですが、だんだんグループから離れるようになりました。

 それからは学校では一人行動をすることが増えたのですが、そうしているうちにふと思ったんです。「僕は学校に何をしに来ているんだろう」、と。将来の目標や夢があるわけでもなく、学びたいことがあるわけでもなく、友だちをつくりたいわけでもない。今後生きていくなかで、10代の時間ってすごく大事なはずなのに、24時間の3分の1を行きたくもない学校で費やすのって、「はたしてなんの意味があるのだろう」と。

 そう考えたら学校に対する意欲が急に冷めてしまって。しだいに学校から気持ちが遠のき、遅刻する日が増えていきました。先生からは「学校に来てくれるだけでいい」と言われていましたが、中1のなかばにはプツンと糸が切れたように行かなくなりました。

――不登校になってからは、どのようにすごされていましたか?

 家にずっと居ましたね(笑)。外出は月に1回くらいしかしませんでした。外の世界が怖くなっていたと思います。自分のことがきらいで外出するときは、顔が見えないようにマスクをかならずつけ、夏でも長袖を着たり帽子を深く被ったりしていました。今思うとできるだけ自分の存在を隠したかったんだと思います。

 そんな僕にとって救いは、SNSでした。当時から古着に興味があったので、ツイッターで自分好みの服装をしている人をフォローして、チェックするのが楽しみでした。また、そこでつながった友だちとツイッターやLINEでやりとりもしていました。僕にとってSNSは大事なコミュニティのひとつだったんです。

――当時の家族の反応はどうでしたか?

 家族とは仲がよかったのですが、不登校になったころは父や姉妹と揉めたこともありました。当時の僕は、学校とも自分とも向き合いたくなかったので「僕のことをわかってくれないんだな」と父を敵対視したこともあります。

 逆に、母は学校や将来の話題をふってくることはありませんでした。学校へ行っても行かなくても変わらない距離感を保ってくれて、すごく居心地がよかったです。

 中2の夏ごろに相変わらず家に居る僕に対して、母が「私はあなたのことを信じているし、あなたが学校へ行っても行かなくても、あなたの人生だからその選択は、まちがっていないと思う。あなたはあなたなんだから、好きにしなさい」と言ってくれたんです。今まで不登校に対してとくに何も言わなかった母が、自分を大切にしてよいことを伝えてくれたおかげで、僕のなかにあった迷いや苦しみが解け、気持ちが楽になりました。 

――その後ゆうたろうさんは進路選びで、高校に進学しないことを決めたそうですね。

 中学校の担任からは通信制高校を勧められましたが、どこでもよいから働きたいと思ったんです。月に数万円でよいからアルバイトで稼いで、自分の好きに使いたい、と。なので中学卒業後はすぐに学歴不問・履歴書不要の求人を探して、片っ端から電話をかけました。最初のうちは面接で何度も落ちましたが、手当たりしだい探し続けていたら、洋食屋のホールスタッフの求人が、年齢・性別・学歴すべて不問で、履歴書も不要。しかも家から15分で通えて、交通費もかからない。「これだ」と思って、電話しました。実際に面接へ行ったら、とてもよい感じの社長で、「今日から働いて」と一発OKでした。

 あとで知ったことですが、社長自身も中学校を卒業してすぐに起業したそうで、いろいろな方を雇ってきたそうなんです。職場の人たちも優しい人ばかりで、まわりに支えられながら、半年間ほどホールで働きました。

――アルバイト代は何に使ったんですか?

 念願だった古着屋での買い物にすべてつぎ込みました。広島から高速バスで大阪まで行って、憧れていた古着屋を訪ねては買いあさり、深夜バスで家に帰るという生活を、4カ月ほど続けました。それまでずっとSNSでしか見ることのできなかった世界に飛び込んで、自分の稼いだお金で古着を手にいれたときは、うれしかったですね。お金を稼いで自由を得る楽しさに、もう無我夢中でした。

俳優・ゆうたろうさん(写真・山根悠太郎)
俳優・ゆうたろうさん(写真・山根悠太郎)

 そのころから自撮り画像をツイッターに上げるようにもなりました。当時は自分の顔がきらいだったんですけど、少しずつ発信できるようになったんです。すると、最初のうちはひとつの投稿に対しては「1いいね」が目安だったんですけど、まれに30くらい「いいね」がつくことがでてきたんです。一つひとつの「いいね」の数が、自分を肯定してくれるようでした。

 さらに、もうひとつ転機となることがありました。姉の友だちで洋服を作っている人が僕のアカウントを見てくれて「ファッションショーのモデルにならないか」と誘ってくれたんです。最初は驚いたんですけど、「これを逃したら僕の人生は変わらない気がする」と、直感的に思って、引き受けることにしました。

 当日は緊張したんですけど、姉にメイクをしてもらって衣装に身を包み、舞台に上がりました。すると、僕のことをまったく知らない人たちも注目してくれたんです。ショーが終わってからも「写真を撮ってもらえますか」と何人か声をかけてくれました。

 そのとき、初めて自分の居場所を見つけられた気がしたんです。「この世界で生きたい」と、初めて思えた瞬間でした。今まで僕はずっと自分がきらいで、マスクや帽子で顔を隠して行動していました。でも本当の気持ちは、存在したかった。生き続けていたかったんです。誰かが僕を認めてくれれば、僕は生き続けることができる。だから、ずっと自分の居場所を探し続けてきました。そして見つけたのが、舞台に上がることでした。それが僕の生きる場所であり、原点になっています。

――ふり返ってご自身の不登校経験を、どう考えていますか。

 10代のころの僕は、不登校をしていた2年半を、空っぽでムダな時間だと思っていました。当時は僕という存在の何もかもがイヤで、すべてを消し去りたい気持ちでいっぱいだったんです。だから大きらいな自分を殺すように、過去のことはすべて捨て去って、生まれ変わったつもりで生きてきました。

 でも、こうしてふり返ってみると、あのときの2年半の経験が、現在に活きているのかなと思います。自分を見つめなおす時間があったからこそ、高校には進学せず今の道を選んだり、ファッションの仕事をしたり、自分が生きる場所を見つけることができました。不登校で苦しんだ自分、殻を破ろうとした自分、そして芸能活動をする自分。第1章、第2章という感じで、人生って全部つながっているんだな、と。だから不登校の空っぽな2年半の時間も、まあ大切だったのかなと思います。

――ありがとうございました。(聞き手・石井志昂、木原ゆい※)

ターニングポイントになった言葉は

 ゆうたろうさんの話で、もっとも印象に残ったのは「あなたはあなたなんだから、好きにしなさい」というお母さんの言葉でした。ゆうたろうさんが「不登校の子」からモデル、俳優へと転身していくターニングポイントになったと感じています。

 今のゆうたろうさんの活躍がわかっていれば言える言葉かもしれませんが、親としては勇気のいる言葉だったかもしれません。なにせ当時のゆうたろうさんは、学校はおろか外出もほとんどしていません。親が「好きにしなさい」と言ったら、高校へ進学もせず、稼いだバイト代は古着で散財しています。

 しかし、その古着の世界がSNSでの発信機会となり、ファッションショーへと繋げてくれました。ファッションショーの舞台上で「この世界で生きていきたい」と思ったというエピソードは居場所を見つけた瞬間そのものだったのでしょう。不登校において本当にたいへんなのは居場所を見つけるまでなんです。世間では不登校によって学力不足や就職難、コミュニケーション不足などが不安視されがちです。でも、実際にはそうではありません。筆者は不登校を20年間、取材してきましたが、ゆうたろうさんのように「この世界で生きていきたい」と思えるような場に出会えることが、一番、難しいことなんです。

 学校や家庭で傷ついてきたがゆえに「自分なんてどうせ」と思ってしまうので、なかなか自分の活かしどころに目が向かないからです。考えてみれば、自分の活かし場所を知るのは大人でも難しいことです。もしかしたら、あの言葉を自分自身に言ってあげるのがよいのかもしれません。「あなたはあなたなんだから、好きにしなさい」と。その人を丸ごと肯定して背中を押してくれる素敵な言葉でした。

※2021年7月1日の不登校新聞掲載記事『中1で不登校になった僕。母の「好きにしなさい」の言葉が救いに』より転載、加筆したものです。

不登校ジャーナリスト

1982年東京都生まれ。中学校受験を機に学校生活が徐々にあわなくなり、教員、校則、いじめなどにより、中学2年生から不登校。同年、フリースクールへ入会。NPO法人で、不登校の子どもや若者、親など400名以上に取材を行なうほか、女優・樹木希林氏や社会学者・小熊英二氏など幅広いジャンルの識者にも不登校をテーマに取材を重ねてきた。著書に『「学校に行きたくない」と子どもが言ったとき親ができること』(ポプラ社)『フリースクールを考えたら最初に読む本』(主婦の友社)。

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