ベトナムの若者の未来を変える「KOTO」(3)「働く場所と職業スキルを」、越系オーストラリア人の奮闘
高い経済成長を続けるベトナム。2017年にはベトナムの国内総生産(GDP)伸び率は前年比6.81%を確保した。しかし、そんなベトナムは貧困や格差の問題も抱えている。
こうした中、ベトナムで若者への支援活動を行う団体「KOTO(コト)」が注目されている。KOTOはストリートチルドレンなど不利な立場に置かれた若者たちに無償で職業訓練を提供している。
いったいどんな経緯からKOTOは生まれたのだろうか。
◆故郷で出会った子どもたちをサンドイッチショップで支援
KOTOを立ち上げたのはベトナム系オーストラリア人のジミー・ファムさんだ。
ファムさんはベトナム戦争の最中、1968年にサイゴン(現在のホーチミン市)で生まれた後、2歳のころ、家族に連れられ、オーストラリアに移り住んだ。そして、1980年にオーストラリア国籍を取得する。長きにわたる戦争を経験したベトナムからは海外へ難民や移民として渡った人が多数おり、そうした海外に暮らすベトナム人は「在外ベトナム人」と呼ばれている。ファムさんもそうした在外ベトナム人の1人だ。
ファムさんの職業経験は、シドニー中心部の繁華街キングスクロスでのサンドイッチショップで始まる。そしてファムさんは当時、観光産業で働くための勉強も進めており、の父ツアーガイドの職に就いた。
ファムさんに人生の転機が訪れたのは1996年、24歳のときのことだった。ツアーガイドとしてベトナムを訪れる機会を得たのだった。小さなころに離れたベトナムを再訪するのは、このときが初めてだったという。
しかし、ファムさんが懐かしい故郷で垣間見たのは厳しい現実だった。街を歩くうち、ファムさんは、都市の路上で生活するストリートチルドレンと出会ったのだった。この出会いがファムさんの人生を変えることになる。路上で暮らす子どもたちを目にしたファムさんは、子どもたちを放っておくことができず、なんとかして助けようと決心したのだった。
ファムさんの動きは素早かった。まず、サンドイッチショップをオープンし、子どもたちの働く場所を作ったのだ。それは、子どもたちにとって、何よりも収入を得られる場所が必要だと感じたからだ。。
◆社会で生きるための職業スキルの大切さ
だが、サンドイッチショップを運営するうち、ファムさんは、子どもにとって必要なことは、働く場所だけではなく、自立して社会生活を送ることのできる職業スキルだということに思い至る。
なんとかして子どもたちが職業スキルを身につけることはできないか。そう考えたファムさんは、職業訓練を提供するKOTOの立ち上げに動くことになる。
ファムさんはまず、ハノイ市に小さなカフェをオープンし「Know One Teach One――。ひとつ学び、ひとつ教える」の意味をこめて「KOTO」と名づけた。その上で、ファムさんはカフェを使い、9人のストリートチルドレンに対し、レストランやカフェ、バーなどで働くための職業訓練を開始した。これが、KOTOの職業訓練事業の第一歩となったのだ。
そして、KOTOの取り組みはその後数年で急速に広がり、今では年間数十人の若者に職業訓練を提供するまでになっている。 同時に、ハノイ市内で120席を備えるレストランを経営するに至った。既に数多くの若者がKOTOの職業訓練プログラムを通じて社会に出て行っている。
KOTOを支える人も少なくない。メルボルン出身のトレーシー・リスター氏をはじめとするオーストラリアの料理人が、定期的にKOTOの訓練生の調理訓練をサポートしている。
さらに「ワールドビジョン」「セーブ・ザ・チルドレン」といった国際的なNGOに加え、ハノイにある各国政府の大使館など様々な組織が、KOTOを応援している。(ベトナムの若者支援組織「KOTO」(4)に続く)
※この記事は、オンラインメディア「世界ガイド」に寄稿した記事に加筆・修正したものです。