月曜ジャズ通信 ヴォーカル総集編vol.1
“歌い手”という“緩衝材”のおかげで、ジャズのなかでも「親しみやすい!」と言われているのがジャズ・ヴォーカル。
とはいえ、そこにはもちろんジャズならではの技巧や表現方法が用いられているので、聴き応えはタップリありますからご心配なく。
敷居が低いのに奥が深いというジャズ・ヴォーカルの世界には、ジャズに興味をもち始めた人からジャズならではの刺激を求め続けている人までを満足させる出逢いがあります。
ヴォーカルをきっかけにアナタのジャズを広げることができるように、<月曜ジャズ通信>で連載している「今週のヴォーカル」だけを取り出して<総集編>としてお送りします。
♪ラインナップ
ビリー・ホリデイ
エラ・フィッツジェラルド
サラ・ヴォーン
カーメン・マクレエ
※<月曜ジャズ通信>アップ以降にリンク切れなどで読み込めなくなった動画は差し替えるようにしています。
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♪ビリー・ホリデイ
筆頭は、やっぱりジャズ・ヴォーカルといえば外せないこの人。
1972年には、ダイアナ・ロス主演の自伝に基づいた映画『Lady Sings the Blues / レディ・シングス・ザ・ブルース(邦題『ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実』)』が制作されるなど、女性ジャズ・ヴォーカリストのなかでも別格のカリスマ性を有していましたね。
♪Billie Holiday- All of me
1941年録音の音源。バックには彼女が歌唱スタイルの手本にしたと言われているサックスのレスター・ヤングが参加して、ソロで華を添えています。
♪Billie Holiday- Strange Fruit
ビリー・ホリデイを一介のシンガーからジャズ文化を代表するアーティストの地位へ引き上げたのはこの曲を世に送ったからと言っても過言ではありません。
ルイス・アレンの詩に書かれていた“Strange Fruit(奇妙な果実)”とは、リンチを受けたアフリカン・アメリカンが木に吊るされているようすを比喩したもの。黒人公民権運動が激しさを増していく1950年代を先取りするかたちで、ビリー・ホリデイの経歴には“社会派”というレッテルが貼られ、これがよくも悪くも彼女の人生に影響することになります。
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♪エラ・フィッツジェラルド
誰が言ったか知らないが、「女性ジャズ・ヴォーカリストの御三家は?」と問われて答えたのが「エラ・サラ・カーメン」だったとか。語呂がいいだけでなく、うまくトップ・クラスの3人の名前を織り込んでいるなと感心したものです。もちろん、これが定説とは言いませんが、この3人を避けて女性ジャズ・ヴォーカルを語ることができないのも事実。
ということでまずはその筆頭、エラ・フィッツジェラルドを取り上げましょう。
彼女もビリー・ホリデイ同様に劣悪な環境で幼少時代を過ごしましたが、17歳のときにニューヨーク・ハーレムのアポロ・シアターのアマチュア・ナイツで注目を浴び、歌手としてデビューします。
♪Ella Fitzgerald : One note Samba (scat singing) 1969
いきなりボサノヴァの名曲で申し訳ありませんが、観ていただけばジャズ以外のなにものでもないパフォーマンスであることがご理解いただけるはずです。
エラ・フィッツジェラルドを評するとき、どんなジャンルでも歌いこなせるキャパシティがあることが挙げられますが、これがまさにその実例となるでしょう。
それにしてもいっさいポルトガル語を使わず、それどころか英語さえ使わずにスキャットだけで歌が成立してしまうその才能に惚れぼれしてしまいます。
♪Ella Fitzgerald- These Foolish Things (Remind Me of You)
エラといえばアドリブ・スキャットにどうしても注目が集まってしまいがちですが、ストレートな歌唱で情感を表現できるバラードも見逃せません。ハリウッド・スタイルの白人女性ヴォーカルと一線を画するポイントを押さえるためにもチェックしておきたいところです。
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♪サラ・ヴォーン
エラ・フィッツジェラルドとサラ・ヴォーンがなにかと比較されるのは、どちらもハーレムのアポロ劇場のアマチュア・コンテスト優勝者という出自であることが関係しているようです。
エラが優勝したのは1934年で17歳、サラは1942年で18歳。振り返れば100年に1人という逸材が10年を置かずに現われてしまったのですから、それだけの隆盛を当時のジャズ・シーンが誇り、逸材を輩出するパワーがあったという証しにもなるわけです。
♪Sarah Vaughan September In The Rain
アフリカン・アメリカンの女性シンガーがエンタテインメント業界の前線で活躍するにはまだまだ困難がつきまとう1940年代にデビューしたサラでしたが、スターとして脚光を浴びる白人系シンガーを凌駕する歌唱によってその実力を認めさせたことが伝わってくるような、こぼれんばかりの情緒を湛えたバラードです。
♪Sarah Vaughan "Round Midnight" 1976
サラのデビューがエラよりも8年ほど遅かったのは、ラッキーと言えることかもしれません。なぜならば、1930年代はスウィング、40年代以降はビバップを主流とする“ジャズの潮流”に変化があり、サラはいち早くその先端に躍り出ることができたからです。
1944年にセロニアス・モンクが作曲した「ラウンド・ミッドナイト」の雰囲気をもっともよく表現できるのは、やはり同じ時代に頭角を現わした彼女ならでは――という解釈もまた楽しいのではないでしょうか。
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♪カーメン・マクレエ
“エラ・サラ・カーメン”と語呂を揃えた女性ジャズ・ヴォーカル御三家の締めくくりは、カーメン・マクレエの登場です。
とは言っても、エラ・フィッツジェラルドとサラ・ヴォーンに比べると、彼女の名声はちょっと足りないんじゃないかと思う人が多いかもしれません。
ハーレムに生まれ育ち、10代からピアニストとして活動を始めたという経歴からは、ポピュラー・シンガー側ではなくマニアックなジャズ側というイメージが伝わってきます。もしかすると、そのことが彼女の名声を限定させる原因になっているのかもしれません。
でも、だからカーメン・マクレエはいいんです。
エラとサラには、ポピュラーであるために“毒を消した”ようなところがあると感じます。しかし、それがカーメン・マクレエにはない。その意味では彼女こそがビリー・ホリデイの“直系”と呼べるジャズ・ヴォーカリストなのではないでしょうか。
♪Carmen McRae- If You Never Fall In Love With Me
バラードに定評があるカーメン・マクレエですが、ミドル・テンポのこんな曲も実にうまく歌ってくれます。言葉の重みが伝わってくる歌い方――と言ったらいいのでしょうか、1960年代の映像だと思われますが、すでに風格が漂っています。
♪Carmen MCrae- Love Dance
最晩年と言える映像です。翌1991年にはドクター・ストップがかかって彼女は舞台から去ることになってしまうのですが、それが信じられない迫力あるステージングです。
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♪編集後記
<総集編>のヴォーカル編です。
前書きでも触れたように、ヴォーカルは一般的に“敷居が低い”とされているようです。しかし、楽器よりもはるかに自由度が高いことを考えれば、楽器のみの合奏よりもさらにいろいろなことができるはず。そして、その“できるはず”を追求してしまうのがジャズであるとも言えるでしょう。
ジャズ・ヴォーカルには“楽器のように歌う”ことで革新を遂げ、それがまた“ヴォーカルのように楽器を演奏する”というフィードバックをもたらし、その相乗効果で発展してきたという経緯があります。
そんな妙味を少しずつでも味わっていただけたらと思っています。
富澤えいちのジャズブログ⇒http://jazz.e10330.com/