パリ・サンジェルマンデプレの新名所「CRAVAN」 温泉卵とシャンパンカクテルのマリアージュはいかに
パリ・サンジェルマンデプレ界隈に、おしゃれなカクテルバーが誕生しました。その名は「CRAVAN(クラヴァン)」。
サンジェルマン大通り、有名なカフェ「ドゥマゴ」と「フロール」の斜向かいにある17世紀の建築が一棟丸ごとバーとして生まれ変わった、と聞けば、そのスケールの大きさが想像できるでしょう。
プロジェクトは、「モエ・ヘネシー」によるもので、パリ16区ですでに同名のバーを成功させていた「クラヴァン」のコンセプトのクリエーター、Franck Audoux(フランク・オードゥー)氏とコラボレーションする形で、この新しいアドレスが誕生しました。
具体的には建物の3つのフロアがバーになっています。さらに、ワンフロアは、「Rizzoli NY(リゾーリ・ニューヨーク)」の図書室。そして屋上には、パリの屋根を眺めながら映画を楽しめる「Ciné-Kiosque(シネ・キオスク)」もあるという、なんとも盛り沢山な、最高におしゃれな大人の遊び場です。
百聞は一見にしかず。こちらの動画でその全容をご紹介していますので、どうぞご覧ください。
「モエ・ヘネシー」の肝煎りだけに、カクテルのメニューリストには、「ドンペリニョン」「ルイナール」といった高級シャンパーニュをベースにしたシグネチャーカクテルがあります。筆者はリストの最初にある「ロワイヤル・バジリック」にトライしてみました。
まずは「ルイナール ブリュット」がグラスになみなみと注がれ、そこにバジルの花の香りのオリジナルリキュールをひと匙。それがトータルで、グラスの縁までにくるようにきちんと計算されたバランスです。
そもそもシャンパーニュそのものがすでに完成された美味しさなのですが、そこにほんのひと匙のリキュールが加わることによって、口蓋にふわりと繊細な花のヴェールがかかり、それに包まれながらシャンパーニュの妖精が舞っている…。そんな感覚を覚えるほど、とても華やかな味わいがあります。
もちろん、他にも、ジン、ウォッカ、テキーラなどがベースのカクテルがずらりとリストアップされていますし、アルコールが苦手な人でも楽しめるカクテルも用意されています。
とりわけ愉快なのが、フードメニューです。
オリーヴとアンチョビなどのおつまみに始まって、ホワイトアスパラ、じゃがいもとキャヴィアなどほどよくお腹を満たしてくれる様々な選択肢があるのですが、私の眼は、「Onsen tamago」と「Soba」の文字に釘付けになりました。
そうなんです。パリ最先端のバーのメニューとして、堂々と「温泉卵」と「蕎麦」があるのです。
「クラヴァン」のコンセプトを作ったフランク・オードゥーさんは、歴史家でカクテルについての著書もあるという人物。しかも、現代アートのギャラリーで仕事をし、ガストロノミーの世界に転じて「シャトーブリヨン」「ドーファン」といったレストランを大成功させたのちに「クラヴァン」を開いたという経緯があります。
つまり、カクテルはもちろん、食についてもプロ中のプロである彼が、日本の究極にシンプルな料理にスポットライトを当てているというのが面白いところです。
「『クラヴァン』のカクテルは、とても繊細な味わいです。それに合わせるフードなら、とにかくピュアなものにしたかった」と、フランクさん。
そもそも、同じくサンジェルマンデプレ界隈ですでに20年以上愛されている蕎麦店「円」の蕎麦が大好き。温泉卵も好き、というフランクさん自身の味覚がこのメニューに反映されているのです。
果たして、「クラヴァン」の華麗なシャンパンカクテルと一緒に味わう温泉卵のお味はいかに…。
これが驚くほど正統派の温泉卵で、夏という季節を考えてか、微かに酸味を効かせたつるりと冷たい食感が、ほどよく冷えたカクテルとよく合います。
いっぽう、蕎麦についていえば、数えきれないほど蕎麦を食べてきた日本人の私でさえも、ここで初めて経験する味でした。というのも、茹でた蕎麦にごま油をまぶし、紫蘇ふりかけをかけたもので、汁気はありません。これを銀のフォークでいただくという食べ方も、私にとってはまた初めてのこと。一口目、小さな器から好きな分量だけ口に入れるのに、少々難儀しました…。
けれども、素材をちゃんと吟味して、シンプルにしているせいでしょう。嫌味がなく、食べ飽きず、なるほどカクテルの邪魔をしない味と香り。しかも感心したのは、このアレンジだと、おつまみとしてとても優秀だということです。
日本の伝統的な蕎麦の食べ方では、出されたらすぐに食べ切るというのが肝要で、そうしないと、乾くかのびてしまうか、いずれにしても最初の美味しさが保てません。けれどもごま油でコーティングされた蕎麦は、乾きものびもしないので、カクテルと一緒にゆっくり、ある程度の時間をかけて楽しむことができるのです。
日本人の自分の方がよく知っていると自負していた食材でも、このように外国人から教えられることがあるというのはとても新鮮で愉快な体験です。
さて、「クラヴァン」という店名は、アルチュール・クラヴァン(1887-1918)という人物の名前に由来しています。
詩人にしてボクサー。ダダイズム、シュールレアリズムといったムーブメントの先駆者とも見なされている人物だそうで、フランクさんは、クラヴァンのパーソナリティを自由な精神の象徴とし、これをバーの名前にしたのです。
クラヴァンが活躍したのは、二つの世界大戦の間。1920-30年代のパリといえば、世界中から若き芸術家たちが集い、ジャズ、チャールストンが流行し、女性たちは髪を短くしてタバコを燻らせつつカクテルを嗜んだ時代。「解放の時代でもありました」と、フランクさんは言います。
そんな空気の中から斬新で華やかで、エスプリに富んだパリの文化が醸成されていった…。いわゆるパリの古き良き時代と言って良いのではないかと思います。
様々な文化背景を持った人々が集い、杯を重ね、美を語る。
サンジェルマンデプレの「クラヴァン」はまさに、これからの時代と文化が醸成されてゆきそうな予感に満ちた場所と言えるでしょう。