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【富田林市】作者は誰なの?富田林西口駅に素晴らしいオブジェがあること、気づいていましたか?

奥河内から情報発信奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

普段何気なく歩いている場所でも、じっくりと眺めてみると、今まで気づかなかったものを見つけることができます。たとえば駅前をじっくり眺めてみると、モニュメントやオブジェがあることが多いですね。

さて、富田林西口駅の駅前にもオブジェがあります。気になりましたので、オブジェの名前と作者は誰なのか調べてみました。

富田林西口駅は改札がひとつ。市役所方面に行くときは最初に踏切を渡りますね。

でもそのまま渡ってしまわずに、ちょっと右の方に視線を向けるとオブジェがあることに気づきます(画像左上の黒っぽいもの)。オブジェがあるのは切符自動販売機のすぐ横です。

こちらです。二本の足のようにも見えたものが高く伸びていてポーズを決めているように見えます。

作品名は年輪です。では誰が作ったのでしょう?

作品名の右横に書いてありました。作者は日高正法(ひだかせいほう)という人で、富田林ロータリークラブが創立25周年を記念して寄贈したとあります。

富田林ロータリークラブの沿革(外部リンク)を見ると、25周年は1987(昭和62)年なので、そのときに設置されたようです。また作品の題字には、当時の内田次郎富田林市長であると書いてありました。

作者の日高正法(ひだかせいほう)という人を調べると、1950(昭和25)年に、平和の塔・女神像というオブジェを南海難波駅の北側に設置したことがわかりました。

大阪ミナミの玄関口に作品を置いているのですから凄い作家さんなんですね。ちなみに日高正法は、2006(平成18)年に91歳で没しています。

では今、その像はどうなっているのかと、先日難波に来る機会があったので探してみたのです。ところがどれだけ探しても平和の塔・女神像が見つかりません。いったいどういうことでしょうか?

この件について調べると、南海難波の駅前にあった平和の塔・女神像は、難波駅前を「歩行者天国」にする社会実験を行う関係で、平和の塔・女神像と隣にあった女神像「朗風」は撤去され、現在は大阪市内の倉庫で保管されているそうです。将来的には戻す予定。

さらにこの平和の塔女神像は最初から難波駅にあったわけではなく、移設を繰り返しているそうで、元々は「中心標」という塔の代わりに1950年代に府民らの寄付により平和を願って心斎橋の大丸の近くに建てられたそうです。

その後1973(昭和48)年に行われた「大丸」の拡張工事で、戎橋の北にあった「キリン会館」前に移設され、戎橋の架けかえで再移設。2009(平成21)年に南海難波駅の前に来たそうです。

ということで、難波駅にあった平和の塔・女神像は見ることができませんでしたが、それと同じ作者が作成したオブジェが富田林西口駅すぐのところでいつも見られます。

もし少しでも時間に余裕があったら駅前の改札を通過する前もしくは通過した後に一度立ち止まってみてください。

富田林西口駅前のオブジェ「年輪」
住所:大阪府富田林市常盤町
アクセス:近鉄富田林西口駅下車すぐ

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奥河内地域文筆家(河内長野市・富田林市)

河内長野市の別名「奥河内」は、周囲を山に囲まれ3種類の日本遺産に登録されるほど、歴史文化的スポットがたくさんある地域です。それに加えて、都心である大阪市中心部に乗り換えなしで行ける複数の大手私鉄(南海・近鉄)と直結していることから、新興住宅団地が多数造成されており、地元にはおしゃれな名店や評判の良い店なども数多くあります。そして隣接する富田林市もまた、歴史文化が色濃く残る地域。また南河内地区の中核都市として、行政系施設が集まっています。これを機会に、奥河内(一部南河内含む)地域に住んでいる人たちのお役に立つ情報を提供していければと考えています。どうぞよろしくお願いします。

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