日本と韓国 囲碁界の関係
8月30日から国際戦「三星火災杯」が韓国で行われている。
囲碁では国際戦が盛んだ。これで今年8月だけで国際的な大会は3つ目。
昨今の日韓政治状況の中、囲碁の国際大会はどうなっているのか。囲碁における日本と韓国の関係とは。
いつも通り、盛んな交流
8月3日から行われた「国手山脈国際囲碁大会・世界プロ最強戦」に出場した井山裕太四冠と山下敬吾九段に話をきくと、「いつも通り。特別なことは何も起こらず過ごしました」と同じようなこたえが返ってきた。試合会場はもちろん、空港など経路でも心配なことはなかったという。
8月19、20日には、東京・渋谷で「世界ペア碁最強位戦2019」が開催され、中国、韓国のトップ棋士が多く来日した。運営スタッフによると、韓国棋士たちは、大会前夜も、日本の主催者らと串カツを食べながら大いに楽しい時間を過ごしたそうだ。
このふだんどおりの友好的状況に、「当然です。韓国は日本に感謝していますから。日本には恩を感じています」と韓国出身で日本の関西棋院棋士・洪清泉(ほん・せいせん)四段はいう。
洪四段は、東京・阿佐ヶ谷で「洪道場」を開いている。そこからは現在大活躍の若手棋士がたくさん巣立っている。今期名人戦挑戦者となった芝野虎丸八段、NHK杯選手権者の一力遼八段、藤沢里菜女流本因坊も洪道場出身者だ。
日本と韓国、囲碁の縁
日本と韓国、囲碁の縁を語るには昭和の初めまでさかのぼる。
20世紀まで、日本は世界ナンバーワンだった。
江戸時代に徳川幕府が、囲碁の家元に扶持を与えた。それにより、囲碁専業で生活できる棋士が誕生し、技術も飛躍的に高くなっていった。
江戸幕府がなくなったあと、1924年、大正13年に日本棋院が創立され、新聞社などがスポンサーとなり現在に至っている。
プロ組織があるのは日本だけだったので、中国や韓国から多くの人材が日本にやってきた。
木谷實九段(1909- 1975)の弟子で、1941年に日本のプロ初段となった趙南哲が、1943年に韓国に戻り、韓国のプロ集団の総本山、韓国棋院を設立した。
韓国で活躍した金寅、尹奇鉉は木谷門下、チョ薫鉉は瀬越憲作名誉九段門下と、皆、日本で修業時代を過ごしている。日本の碁で勉強し、強くなったので、日本に留学していなくても日本語を話す人も多い。
日本の棋士らによって、国籍の分け隔てなく韓国の棋士が育てられたことを、韓国の棋士たちは忘れていない。恩を感じているというのだ。
韓国で学ぶ日本の棋士
21世紀になって、日本は世界ナンバーワンではなくなった。
かわって、中国と韓国が覇権を争っている。
とくに韓国は、日本にかつてあったプロ棋士を養成する「囲碁道場」が数多く存在しているのが特徴だ。宿泊施設が整い、食事や洗濯などの世話もしてもらえ、囲碁に専念できる環境が整っているのだ。
道場で勉強しようと、現在では日本から韓国に囲碁修業に行くケースが増えている。
仲邑菫初段(10歳)もそのひとりだ。
また、女性の第一人者、藤沢里菜女流本因坊(20歳)も、韓国リーグに参戦している。
洪四段が教え子の藤沢女流本因坊の派遣を打診すると、韓国側は「来てくれたらなんとかするから」と、ウエルカムだったのだ。
惜しみない援助の手をさしのべる
争っている相手でも、強くなりたい人には惜しみない援助をする土壌が、囲碁界にはあるのだ。
中国でも、プロ制度ができあがる前、1970年代に藤沢秀行は中国に渡り、惜しみなく技術を教えた。
囲碁のプロは、対局が終わると「感想戦」と称する検討を対局者どうしで始める。
自分の内側にあるアイディアや考え、着手をそこで明かして意見を交換するのは当たり前の情景だ。
洪四段「自分の考えを破られたら、それを上回る研究をすればいいだけ。手の内を明かすことが、自分の勉強になり、実力となっていくのです」
そんな哲学で囲碁のプロは子どものころから育っている。
囲碁による絆は強いと再確認したのだが、今回、韓国の棋士にインタビューを試みたところ、「韓国の世論が……」と言われ、断念せざるを得なかったのは、残念だった。