アサド体制崩壊1週間:混乱がないのは「アサドなきアサド体制」の存続か 米国とHTSの関係は?
シリアでイスラム武装組織「シャーム解放委員会」(HTS、元アルカイダ系ヌスラ戦線)が主導するシリア反体制勢力が強権独裁のアサド体制を打倒して1週間が過ぎた。新体制を一週間で評価するのは早計であるが、中東で2000年以降、体制が崩壊した事例と比べて、今回のシリアは明らかな特徴がある。体制が崩壊して、政治や治安の大混乱がないということである。そこから見えてくるのは「アサドなきアサド体制」の存続である。
■旧アルカイダ系HTSと旧政権閣僚と「政権移譲」
シリア北部のイドリブから大規模攻勢をかけて12日目の12月8日に首都を陥落させると、HTSを率いるアフマド・シャラア氏(コードネーム:アブ=ムハンマド・ジャウラニ)が2日後の10日にアサド政権のジャラリ首相と会談するビデオが流れ、その中で「私達はあなたたちの経験から利益を得るだろう。あなたたちを無視することはない」と語った。
さらにシャラア氏はHTSがイドリブで設立した「救国政府」の首相だったムハンマド・バシル氏を新体制の暫定首相に任命した。バシル氏は救済政府の幹部と、ジャラリ首相ら旧政権の閣僚らとの閣僚会議を開催し、「混乱のない政権移譲」が始まった。ダマスカスでは10日には銀行も営業を再開し、ダマスカスの市場やバザールも開いている様子が現地から流れた。
14日にはブリンケン米国務長官が米国がダマスカスでHTSと接触し始めていることを明らかにした。米国はなおHTSをテロ組織に指定し、シャラア氏には1000万ドルの懸賞金をかけており、異例の展開である。
■誰も予想しなかった「平和的な政権移譲」
体制崩壊で大きな混乱がないのは喜ぶべきことではあるが、これまで中東を見てきた経験から言えば、理解がついていかない展開である。
その理由は体制崩壊までのHTSと旧アサド体制の双方の隔たりの大きさであろう。HTSはこれまで最も激しく政権軍と戦ってきたアルカイダから発した組織であり、厳格なイスラムに基づく支配をイドリブ県で敷いてきた過激派である。
一方のアサド政権は体制崩壊後、連日、アサド政権下の刑務所で行われていた拷問や処刑のニュースが流れているように、強権体制が並び立るアラブ世界でも、イラク戦争で崩壊したイラクのフセイン体制と並ぶ恐怖体制である。「シリア人権ネットワーク」の集計では、2011年以降の内戦で、反体制地域で10万人以上の反体制派戦闘員と、20万人以上の民間人を殺害し、国内では13万人以上を不当に拘束し、うち1万5000人以上が拷問で死んだとされる。
HTSとアサド体制の「過去」を見る限り、HTSの攻勢で体制が陥落した後に、「平和的な政権移譲」が行われるとは誰も予想しなかっただろう。
■「ジャウラニは歴史から学んだ」?
このような移行について、英国の政治問題を扱う雑誌「インスペクター」で英国の軍事ジャーナリストによる「ジャウラニは歴史から学んだ シリアを破壊しなかった」という見出しの記事が出た。「ジャウラニは 抑圧的なアサド体制を 53 年間権力を保つことを支えたすべての機関を排除すると予想されていたかもしれないが、実際には現実主義を選び、シリア政府と取引すると発表し、国の機能を維持するために公務員に職に留まることを求めると述べた 」と書いている。
ここでいうシャラア氏(ジャウラニ)が学んだ「歴史」とは何だろうか? アラブ世界で体制が崩壊したのは、2003年のイラク戦争によるサダム・フセイン体制の崩壊と、2011年の「アラブの春」によるチュニジア、エジプト、リビア、イエメンなどの体制崩壊である。シャラア氏はフセイン体制崩壊後にイラクにアルカイダ戦士として入ったシリア人であるから、まずフセイン崩壊後のイラクを見てみよう。
■イラクとシリアの旧体制に共通する「恐怖の共和国」
イラクは同じくバース党体制で、少数派のスンニ派が多数のシーア派を抑えていた少数派政権ということが、アサド大統領が属する少数派のアラウィ派が体制を抑えていたという共通点がある。さらに、イラクのフセイン体制も、シリアのアサド体制も、情報機関や秘密警察が国民を恐怖で縛る「恐怖の共和国」だった。
イラク戦争時のサダム・フセイン体制の崩壊は米軍による開戦から20日目にバグダッドが陥落して、体制は崩壊し、米軍による占領が始まった。私は陥落数日後にバグダッドに入ったが、町には軍も警察もなく、政府機関は何も機能しておらず、政府機関やバース党施設、政府系の商業施設、バース党幹部である政府の高官が住んでいた高級住宅地では、民衆による略奪で壊されたり、放火され、いたるところで黒く焦げた建物があり、煙がくすぶっているものもあった。
■体制崩壊後にイスラムが主導した社会の正常化
しかし、10日、20日と過ぎるうちに次第に治安が回復してきた。治安を回復させたのは米軍ではなく、スンニ派とシーア派のモスクを中心としたイスラム社会である。
フセイン体制下では規制されたいたモスクの活動が解放され、集団礼拝の金曜日になると、モスク前の通りや広場に礼拝者があふれるほと集まり、そこでイスラム宗教者が、社会をイスラムの教えに基づいて正常に保つように説教があり、「略奪をやめ、略奪したものを戻せ」という呼びかけも行われた。すると、モスクの倉庫には人々が政府機関やバース党事務所から略奪したソファーや机、電気製品などが集まってきた。
それは急展開で進む「イスラム復興」を見る気がした。
強権独裁体制が倒れた後、イスラムが秩序維持のシステムとして機能し始めた。イスラムはモスクを中心に、人々の寄付を集めて、貧者や困窮者を支援したり、学校や病院などを住民サービスをするなどの社会的機能がある。さらに、個人間や家族間、部族間のいさかいを話し合いで解決する和解の機能も持つ。体制崩壊など社会が危機に陥ると、イスラムが社会の平穏を維持する機能を果たす所以である。 しかし、イスラムは異教徒である米軍を排除するジハードの理念ともなった。
■イスラム復興が反米攻撃の理念に
シーア派地域ではイランにいた旧反体制シーア派の民兵組織が帰還し、シーア派地域内の治安維持にあたった。スンニ派地域でも部族長やイスラム宗教者の下で、元警官や元兵士が自警団をつくった。その後、米軍が占領軍としてスンニ派地域、シーア派地域に入ると、夜中の家宅捜索で女性たちがいる家の中に軍靴で踏み込むようなイスラム社会の慣習などを無視した行動に対して、シーア派民兵組織やスンニ派自警団が反米攻撃を始めるようになった。
特に、スンニ派地域では米軍は「対テロ戦争」と称して、旧バース党勢力の摘発を行ったが、その後、発覚したアブグレイブ刑務所での米軍による政治犯の虐待に通じる人権無視の行動に怒りが高まった。その結果、反米聖戦を唱えるアルカイダ戦士がアラブ世界から続々とイラクに入った。今回、HTSを率いるシャラア氏はその一人だ。
■民主的選挙でも宗教勢力が勝利
その後、イラクでは米国が主張し、占領米軍が進めた「イラクの民主化」プロセスによって進めれた民主的選挙によって、人口の50%を占める多数派のシーア派が政権を主導するようになった。一方、人口の25%で、旧体制を担っていたスンニ派の間の宗派抗争が始まり、劣勢になったスンニ派は部族勢力とアルカイダ勢力が共闘して2006年、「イラク・イスラム国」が生まれ、2014年の「イスラム国(IS)」につながっていく。
イラクの戦後の民主的選挙で占領米軍は、「非宗教的なリベラル派」を支援した。強権体制が倒れたら、イラク民衆は自由を求めてリベラル派を支持すると考えたのだろうが、結果的にはシーア派もスンニ派も大勢を占めたのはイスラム宗教政党だった。シーア派は複数の旧反体制組織が政党を発足させ、「シーア派」リストとして議席に過半数を制して、政権を主導した。体制が崩壊して、イスラムが秩序を維持する社会のルールとなったのだから、当然のことである。
■ISを主導した旧イラクの情報機関
ISの台頭について、私は自著『「イスラム国」はテロの元凶ではない 』(集英社新書)で、ISを主導したのは旧フセイン体制の治安情報機関だという見方を提示した。フセイン大統領は軍ではなくバース党の活動家で文民であり、党内の公安部門で政敵を粛清して実権を握った。大統領は軍や部族、シーア派勢力などを抑えるために巧妙に情報機関や秘密警察のネットワークを社会に張り巡らした。
米軍はすべての情報関係機関と情報関係者を排除した。情報関係者は米軍占領に反対するアルカイダに協力した。2014年に登場したISでもカリフのバグダディを支えたイラク側とシリア側の副官はどちらもイラク軍出身で、特にイラク側の副官は情報将校だった。部族が強く結束し、武装しているイラクで、1000万の人口を抱える領土を、2014年から2017年まで数年とはいえ、統治経験のないジハード戦士の集団だけで支配することはできるはずはない。
■なぜ、HTSは旧体制への穏健政策を?
長々とイラクの例を書いたが、今回、アサド体制を崩壊させたHTSのシャラア氏はイラクのサダム体制の崩壊後の混乱に乗じてイラクに入り、占領米軍を攻撃をした側である。シリア内戦が始まった2011年に米軍はイラクから全面撤退し、シャラア氏はシリアに戻って、シリアのアルカイダ組織として「ヌスラ戦線」を組織する。
シャラア氏がイラクの体制崩壊で何かを学んだとすれば、崩壊後の社会の混乱に乗じて、スンニ派地域に浸透したことである。今回もシャラア氏の元イラクのアルカイダの経験からすれば、アサド体制の非道さへの報復を求める民衆心理に乗じて、旧体制勢力を力で排除することで、自らの支配権を確立するという選択肢もあっただろう。なぜ、そうしないで、まるで誰も予想しないような穏健政策をとったのだろうか。
■旧政権勢力への「安全の保証」は?
さらに首都に迫っているのが「アルカイダ系のテロリスト」だとなれば、アサド体制で政権閣僚など政治や行政の幹部や警察幹部などを務めていた人物は、身の危険を感じて、アサド大統領同様に国外逃亡を図るだろう。そのような混乱がなかったということは、首都陥落前に旧政権関係者に「安全の保証」が与えられたと考えるしかない。特にアサド体制の手先となっていた警察や治安警察は、体制が崩壊すればもっとも民衆の怒りが向けられえる標的であり、警察や治安警察が逃げれば、略奪が始まる。それがなかったということは、警察や治安警察にも首都陥落前に何らかの「安全の保証」が与えられたのだろう。
恐怖体制の崩壊にも関わらず、混乱のない政権移譲が可能になる背景には、 HTSのシャラア氏に「平和的政権移譲」を認めさせ、旧政権幹部や治安・警察幹部らに「安全の保証」を与える「仲介者」や「黒幕」がいたと考えるしかない。体制打倒の背景は今後明らかになるだろうが、米国が絡んでいることは十分考えられる。もし、米国がかかわっていれば、イスラエルの意向も反映しているはずだ。
■イラクで二重に痛い目を見た米国
ここで米国が出てくるのは、先に書いたようなイラク戦争の体制崩壊の「歴史」で最も痛い目にあったのが、米国だったからである。米国はイラク戦争で体制が崩壊した後、親米国家をつくることを目指して進めた民主的選挙では、イランに支援された多数派のシーア派勢力を勝利させ、裏目にでた。一方で旧体制の情報機関を排除したことで、イラクは治安維持で無防備となり、さらにスンニ派地域では旧情報機関や軍情報部が部族勢力やイスラム過激派と結託して治安のかく乱に回ったことで、アルカイダの台頭や「イスラム国」の樹立へとつながった。二重に手痛い失敗をしたのである。
米国がイラク戦争から教訓として学ぶとすれば、①体制が崩壊した後、民主的な選挙をすれば、民衆に浸透しているイスラム勢力が勝利し、反米国家となる、②治安情報機関を排除すれば、破壊活動に回り、テロの蔓延や治安の悪化の要因になるーーという2点であろう。
■反体制派の代表組織「シリア国民連合」
これをシリアで考えれば、HTSがアサド体制を打倒し、旧政権関係者を排除して、行政も治安も崩壊して大混乱となれば、行政経験も社会活動の経験も浅いHTSには手の施しようはない。HTSの経験不足を補うためには、2012年にシリアの少数派を含む反体制組織が集まった代表組織「シリア国民連合」(NCSROF )と共に暫定政府をつくるのが最も妥当な方法であろう。国民連合がこれまで反体制派代表して、国連や国際社会と関わってきた経験もある。
しかし、HTSは国民連合を全く排除する形で、暫定政府をつくっている。その代わりに、HTSは旧体制の行政、警察機関を残したまま権力を握るという「平和的な政権移譲」となっている。それはこの1週間進んできた「アサドなきアサド体制」の存続となっている。
シリア国民連合は2013年にトルコの支援を受けてトルコ国境沿いに30キロの緩衝地帯に反体制勢力の統治組織として「シリア暫定政府(SIG)」を発足させ、2017年に反体制武装組織を統合する「シリア国民軍(SNA)」を創設している。つまり、イドリブ県でHTSが発足させた「救国政府」と、国民連合が発足させた「シリア暫定政府」とは対立関係にあった。
■現実となった「空想物語」
HTSが国民連合を排除して新体制を主導したいと思うのは自然なことだが、行政経験も浅く、シリアの穏健なスンニ派社会やキリスト教、アラウィ派、ドルーズ派、シーア派など多様な社会との関りも薄く、外交経験もないとすれば、国民連合を排除して、アサド体制を打倒した後、体制を支えていた国家機能をそのまま存続させて、シャラア氏とTHSがトップにつくという”工作”は空想物語でしかない。
しかし、それが現実になりつつある訳で、いまのところ空想をいくらかでも現実に近づけるために想像すれば、イラクや「アラブの春」でのアラブ世界の体制崩壊の「歴史」から学んだ米国やイスラエルの情報機関が背後でHTSと旧アサド体制をつないだという「陰謀論」ぐらいしか思いつかない。そのような体制崩壊の真実は、今後、明らかになるだろう。
■「混乱なき体制移譲」は米国に好都合
結果的に、HTSが国民連合を排除して、混乱なき体制移譲を行って、権力を主導することは、米国とイスラエルにとっては好都合なことである。なぜならば、国民連合の中心組織は、シリアのハマで1982年の武装蜂起をし、大規模な弾圧を受けたシリア・ムスリム同胞団であり、その背後にはトルコがいるからだ。
先に米国がイラク戦争で学んだ教訓で、崩壊後に民主的な選挙によるイスラム政党の勝利は、2011年の「アラブの春」でチュニジア、エジプトで強権独裁体制が若者たちのデモで倒れた後に行われた民主的選挙で、共にムスリム同胞団系の政党が第1党となることで再度繰り返された。「アラブの春」は「イスラムの春」になったのである。
■民主選挙実施で同胞団政権となれば?
もし、シリアの民主的な選挙で、トルコに支援さえたムスリム同胞団が政権をとれば、イスラエルにとっては最悪のシナリオとなる。パレスチナのハマスも同胞団系列のイスラム組織であるため、イスラエルはパレスチナとシリアで同胞団勢力に挟み撃ちにあい、さらにレバノンのヒズボラのあって、三方から包囲される。
一方でHTSが信奉する厳格なイスラムの実施をとなえる「サラフィ―主義」は、サウジアラビアのイスラムの系列で、トルコが支援する同胞団勢力とは対立関係にある。「アラブの春」の後、中東では、トルコとカタールが支援する同胞団勢力と、サウジとUAEが支援する反同胞団勢力の争いが、エジプトやリビアで始まった。エジプトではサウジ・UAEの支援を受けた軍がクーデターで同胞団政権を排除し、リビアではトルコは支援する同胞団勢力と、UAEが支援する反対勢力による内戦が続いている。シリアで民主選挙で同胞団政権が誕生すれば、サウジ・UAEとトルコ・UAEの対立は再燃するだろう。
■「一挙両得」の離れ業
2020年にUAEが主導したイスラエルとアラブ諸国(バーレーン、スーダン、モロッコ)の国交正常化(アブラハム合意)も、その背景には、同胞団勢力の伸長を恐れるサウジやUAEとイスラエルの情報機関モサドの治安協力があったことが知られている。
そのように「歴史」から学ぶならば、今回のHTSによるシリアのアサド体制打倒とその後の展開は、イラク戦争と「アラブの春」によってシリアで生じた①イランとロシアの勢力伸長と②同胞団勢力の脅威ーーを共に排除する「一挙両得」の離れ業ということになる。
■元米シリア問題特別代表のインタビュー
しかし、米国はテロリストに認定して懸賞金までかけているHTSを率いるシャラア氏を支援する可能性があるのか、と疑問に思うかもしれない。米国の公共放送サービス(PBS)で2021年に放送された米外交官ジェームズ・ジェフリー氏のロングインタビューで、ジャウラニ氏(シャラア氏)ことを繰り返し語っているのを聞くと、米国とHTSやジャウラニ氏との意外な近さを知ることができる。
ジェフリー氏はブッシュ政権で駐トルコ大使、オバマ政権で駐イラク大使を務め、トランプ政権では2018年から2020年までシリア問題特別代表を務めた。 このインタビューしたジャーナリストは2021年6月にイドリブで欧米メディアとして初めてジャウラニ氏と単独インタビューしたPBSのマーチン・スミス氏であり、そのインタビューの中でジャウラニ氏が「我々は民間人を殺害しない」と語ったことについて、質問した。ジェフリー氏 は「私が2018年にHTSに注視し始めて以来、彼らは民間人を標的とはしてない」と語り、「彼ら(HTS)から連絡がくるようになった」と語っている。
■HTS:「米国と友人になりたい」とメッセージ
ジャウラニ氏からどのようなメッセージが届いたのかとの質問に、「私たちはあなたたち(米国)と友人になりたい。我々はテロリストではない。アサドと戦っているだけだ」という内容だったという。それに対して、ジェフリー氏は直接メッセージを与えることはなかったが、間接的に米国の主張がHTSに伝わるようにし、「HTSの要求に同意は与えないものの、頻繁に連絡するように働きかけた」という。
「ジャウラニを信用したのか」との質問には、ジェフリー氏は「信用したとは言えない。私たちはイドリブで何が起こっているかを知りたいと考えたし、HTSがつぶれたり、テロリストになったりしないことが重要だった。彼らがメディアやNGOや人道支援組織に語っていることや、行っていることを見て、それらの首を切るようなことをしていないことはよいことだった。そのことで、テロ問題を扱う官僚機構の誰かが彼を撃つことを決定しないように私が請け負うことも容易になった」と答え、ジャウラニ氏を殺害対象にしなかったことを明らかにしている。そのうえで、HTSについて「本当のテロリストに対する効果的な戦闘力であり、アサドに対する効果的な戦闘力でもある」としている。
■「THSは選択肢の中で最もまし」
ジェフリー氏はHTSをテロ指定から外すためには何もしていないと語ったが、インタビューの最後で「国民国家の概念や国際的な規範やルール、行動の基準や国際法が通用しないとなれば、この(HTSの)ようなグループに行く着つく。それは好ましくないこともするだろうし、非常に厄介な系譜を持っている。しかし、とりあえず、最悪のことを避けるために対応しなければならない者たちだ 」と語り、「現在、シリアの中でも、中東の中で(HTSが支配している)イドリブは最も重要な場所の一つであり、彼ら(THS)はイドリブにある様々な選択肢の中で最もましだ」と語った。
ジェフリー氏にインタビューを見れば、HTSのジャウラニ氏が非常に積極的に米国に働きかけていたことが分かる。その年にPBSのスミス氏のジャウラニ氏の単独インタビュでは、白いターバンに迷彩柄の戦闘服というそれまでの武闘イスラム組織の司令官から、ジャケットに開襟シャツという西洋的な服装をしているのを見ても、米国に自分を売り込もうとする意図が明白である。欧米メディアとして初めてPBSがジャウラニ氏とインタビューできたことには、ジャウラニ氏との連絡があったジェフリー氏の助力があったことは推察できる。
■米国はアサド体制崩壊の「黒幕」か?
シリア問題特別代表のジェフリー氏がHTSに対してかなり肯定的な評価をしていたことはインタビューから分かる。同氏がトランプ政権で4年前までシリア問題特別代表を務めていた時の話であるが、その後、米国とHTSの関係が悪化することなく、順調に続いてきたことが、HTSによる体制打倒後に、「HTSをテロ指定から外す可能性」が米国政府筋からメディアに出たり、ブリンケン国務長官がダマスカスでの米国とテロ指定されているHTSの接触を認めるという”異例”の展開になっていることは間違いないだろう。
今回のアサド体制打倒で、米国が単にHTSの連絡を受けるというだけでなく、HTSを使って、今回の動きの黒幕となったかどうかは、想像の領域でしかない。
体制崩壊によるHTS主導の「アサドなきアサド体制」の継続が、今後どうなるのかは、アサド体制を支えたアラウィ派が牛耳っていたシリア情報機関の問題を含めて、次稿で考察する。