シリア内戦、ダマスカスのあっけない陥落の背景と今後へ影響 アラウィ派への対応が安定か混乱かの鍵を握る
12月8日午前、アサド体制が崩壊した。シリア北部のイドリブに拠点をおいていた反政府勢力が11月27日からシリア第2の都市アレッポへの大規模な攻勢をかけ、12月1日にアレッポを制圧してからわずか1週間での体制崩壊となった。反対勢力は5日にハマを制圧し、さらに8日未明に中西部の主要都市ホムスの制圧を発表した後、数時間で首都陥落となった。
あまりに早い展開に私も驚いている。ホムスからダマスカスまではなお140キロあり、首都攻防戦があれば、簡単に首都陥落するわけではない状況でもあった。つまり、首都攻防戦はなかったわけで、ホムスが陥落した時に、体制は実質的に崩壊したことになる。しかし、5日にハマが陥落した時から、ホムスが陥落すれば首都陥落は時間の問題という見方は出ていた。
■ホムス陥落で体制崩壊へ
ホムスは地中海岸のラタキアやロシア軍の軍港があるタルトゥースとダマスカスを結ぶ交通の要所である。ラタキアはアサド大統領が属する少数派アラウィ派の本拠地であり、反体制派がホムスを制圧すれば、首都との交通を反体制派に断ち切られることになる。ダマスカスの大統領府を守護しているアラウィ派の将兵や部隊は反政府勢力がホムスを制圧する前に、故郷の防衛のために主力をラタキアに回す可能性もあり、そうなれば首都の防衛は低下するといわれていた。
8日未明のホムス制圧直後の同日4時25分にはリシアの独立系メディアの「アナブ・バラディ」のインターネットサイトがダマスカスで政権軍や機動部隊が市内の拠点から姿を消し、アサド体制は崩壊していると伝えた。同サイトは市民のSNSの情報として、兵士たちは戦闘服を脱いで、通りを歩く姿が見られ、「集団離脱」と語っていると伝えた。
■首都攻防がなかった背景は?
アサド体制を支えたアラウィ派は少数派ながら、大統領直轄の情報機関や秘密警察、軍に指令を与える軍情報部を抑えていた。大統領警護の精鋭部隊や特殊部隊もいる。しかし、首都での本格的な攻防はなく、あっけなく陥落した。事前に予想されたように、アラウィ派の精鋭は首都にはなく、ラタキアに移動していたのだろう。
私はこの展開を見ながら、同じく首都攻防がなかった2003年4月のイラク戦争でのバグダッド陥落との再現を見る思いだった。米軍がクウェートから北上して、バグダッドに迫り、誰もが、サダム・フセイン大統領に忠誠を誓う精鋭部隊の共和国防衛隊の抗戦によって激しい首都攻防を予想した。しかし、米軍が首都西部のバグダッド国際空港を制圧した後、ほとんど抵抗もないまま米軍はバグダッドに入り、チグリス川沿いの大統領宮殿に入った。
■軍の指令が来なくなった
なぜ、バグダッド攻防がなかったのを取材した結果、4月9日の陥落前日の8日午後にバグダッドで兵士の持ち場からの離脱が始まったことを知った。現場にいた元将校に話を聞くと、「伝令が運んでいた命令が来なくなり、部隊が孤立したため、部隊の離脱を決めた」と語った。
当時、イラク軍の首都防衛の指令は、サダム・フセイン大統領ら指導部からの指令は軍情報部を通じて各部隊に伝えられるが、指令が来なくなったということは、大統領ら指導部が姿を消したことを意味する。今回のダマスカスでも、同様のことが8日未明までに起こったのだろう。
■体制崩壊後の反体制の第一声明
ホムス攻略から首都に向かった反体制勢力は首都攻防戦もなくダマスカス市内に入り、8日昼前には軍事委員会による最初の声明が出た。「ダマスカスは解放され、暴君バシャール ・アサドは打倒され、刑務所に不当に拘束されたていた人々はすべて釈放された。 ダマスカス解放作戦室は、戦闘員と市民に、解放されたシリア国家の全財産を保存する(手を付けない)よう呼びかける。あらゆる宗派のすべてのシリア人のために、自由で誇り高いシリアよ、永遠に 」という内容である。
■首都攻防がなかったイラクの例
この経過を見れば、今後のシリアを考える上で、イラク戦争で首都攻防がなかったイラクで、戦後、何が起こったかを知ることが、参考になるだろう。
イラクでは米軍と戦わず、戦闘服を脱いで集団離脱した共和国防衛隊は、西部のファルージャがあるアンバール州などスンニ派地域に戻った。しかし、戦後、米軍の占領が始まり、スンニ派地域での旧体制勢力の摘発など「対テロ戦争」が続くと、旧共和国防衛隊の将兵が中心になって反米組織を立ち上げ、米軍攻撃を始めた。首都陥落から半年後には米軍の軍事ヘリコプターが地上からの反米組織によるロケット攻撃で撃墜される例が続いた。
■アラウィ派の新体制への組み込みが課題
シリアでは首都攻防をしなかったアラウィ派の精鋭部隊は当然、今後、ラタキア防衛にあたる。イラク戦争とは異なり、反体制勢力は外国部隊ではなく、同じイラク人であり、アラウィ派の精鋭部隊もイラクの共和国防衛隊のような大規模な軍ではない。新体制によってラタキアの包囲や攻略作戦が始まるだろうが、それで戦闘が拡大する可能性は低い。しかし、新体制がラタキアを武力で制圧するのではなく、交渉によって、アラウィ派の安全の保証や新体制にアラウィ派をどのように組み込むかが、新生シリアにとって大きな課題となる。
それは政治的な駆け引きで手打ちをすればいいという話ではない。シリアではイスラム教スンニ派が約75%、アラウィ派は10%―15%とされる。今回、追われたバッシャル・アサド前大統領とその前のハーフィズ・アサド元大統領と1971年以降43年間続いてきたアラウィ派主導の独裁体制の下で、蹂躙されてきたスンニ派民衆の報復感情の問題がある。
■旧体制の「犯罪」への報復感情?
特に1982年にハマで起こったスンニ派の武装蜂起に対して、ハーフィズ・アサド元大統領の弟のリファート・アサド氏が鎮圧軍を指揮して、最大4万人ともされる犠牲者を出し、「ハマ虐殺」と呼ばれている。さらに、シリアの独立系人権組織「シリア人権根とワーク」(SNHR)の集計では、2011年に始まるシリア内戦の13年間で、バッシャル・アサド体制下で、反体制支配地域で無差別空爆などで20万人以上の民間人が殺害され、シリア国内でも13万人以上が違法に拘束され、うち1万5千人以上が拷問で死んだという恐るべき数字になっている。情報機関や秘密警察を主導していたアラウィ派へのスンニ派民衆の憎しみは強い。
新体制で、スンニ派中心となる新体制が、ラタキアを拠点とするアラウィ派をどのように組み込んでいくかが課題となる。ただし、スンニ派民衆の報復感情を解消するためには、ハマ虐殺や内戦の間の人権侵害について、法律に基づいて裁く透明性のある対応が必要である。それをアラウィ派にどのように認めさせるかが、新政権の課題となるが、旧情報機関の扱いは想像する以上に厄介である。
■アラウィ派組み込みに失敗すれば
もし、スンニ派主導の新体制が、ラタキアのアラウィ派に対して、報復的な武力対応をしたり、アラウィ派を組み込む対応に失敗した場合、問題となるのは戦闘の拡大ではなく、治安の悪化である。それは、イラク戦争後に起こったもう一つの出来事が参考になる。
占領米軍はサダム・フセイン体制を支えた情報機関や秘密警察を、新生イラクから排除した。イラクの新体制は選挙を制した多数派のシーア派主導となり、フセイン体制下での大規模で残酷な弾圧に対しての報復感情が強く、旧政権関係者の暗殺や、シーア派民兵によるスンニ派地域での虐殺などが起きた。それに対するスンニ派の対応として、2014年にイラクとシリアにまたがる「イスラム国」(IS)が生まれることになる。
私は自著『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)の中で、ISの中枢が、米軍によって排除されたフセイン体制の旧情報機関であるという見方を詳述した。故フセイン大統領は軍人ではなく、バース党の公安部門の責任者から政敵を排除して権力を握った文民指導者であり、巨大な軍や国内の部族勢力を抑えるために、強力な情報機関や秘密警察に支えられていた。
■情報機関が体制を支えた共通点
シリアのアラウィ派のアサド父子の2大の独裁体制も、軍の主翼をになったスンニ派を抑えるために、情報機関によって支えられていたことは、イラクのフセイン体制と通じる。体制と権力の維持に当っていた情報機関が、権力から排除されて、治安のかく乱に回れば、体制にとっては破壊的となることは、イラクの例によって明らかである。アサド体制の権力維持と治安を担っていたアラウィ派の旧情報機関は、新生シリアにとって深刻な治安の不安定要素となるだろう。
イラク戦争後、米軍占領下のイラクには、サウジラビアやヨルダンなどからアルカイダが入り、対米や対シーアの自爆攻撃・テロを激化させた。その時、アルカイダに参加したアラブ人の多くがシリアから国境を越えて、イラクのスンニ派地域に入った。私はサウジから米軍と戦うためにイラクに入ろうとしたサウジ人にインタビューしたことがあるが、やはり、サウジの首都リヤドからバスでシリアのダマスカスに入り、されに仲介人の指示を受けてイラク国境の町で待っていたが、イラクの状況が悪化したために入れずにサウジに戻ってきたという。
■治安を維持する情報機関が破壊に回れば
アルカイダに参加するためイラクに入るアラブ人の多くが、シリア経由で入ったということは、シリアで外国人を監視する情報機関や秘密警察の監督下にあったということである。イラク戦争後に米軍を悩ませたイラクでのアルカイダの台頭は、シリアの情報機関と、イラクの旧情報機関の共同作戦だったと私は見ている。
つまり、新生シリアでアラウィ派を政治的に新体制に包含することが出来なければ、シリアの旧情報機関がIS勢力と結び、ISの活動が活発化したり、シリア国内でテロなどが多発したりする可能性がある。情報機関は過激派の中にも要員(スパイ)を送り込んでいるため、アルカイダやISにも、アラウィ派の工作員が入っていると考えるべきである。
■旧情報機関が握る「協力者」の名簿
さらにアサド体制をアラウィ派が旧情報機関や秘密警察を主導していたが、虐殺や拷問、秘密警察の通報者として直接動くのは、人口多数派のスンニ派であり、旧情報機関はスンニ派の協力者の名簿を持っている。スンニ派の中で旧アサド体制の「犯罪」に手を染めた協力者は、旧体制崩壊後も、旧体制に脅かされ、弱みを握られていることになり、旧情報機関の暗躍に利用される。それも新体制の不安定要因になりかねない。
首都攻防がなく、生き伸びているアサド体制の中枢であるアラウィ派に、スンニ派主導の新体制が、どのように対応するかで、新生シリアの前途が安定に向かうか、混乱に向かうかの重要な鍵の一つがある。