『すずめの戸締まり』で、椅子にされてしまった草太の身体能力がすごい。陸上競技の記録を総塗り替えだ!
こんにちは、空想科学研究所の柳田理科雄です。
マンガやアニメ、特撮番組などを、空想科学の視点から、楽しく考察しています。
さて、今回の研究レポートは……。
新海誠監督の『すずめの戸締まり』は、その世界観が現実と密接に結びついている。
舞台は、大きな地震で被害を受けた地域であり、重要な意味を持つのは「要石」という、実際にある伝承だ。
かつて地震は、地中の巨大なナマズや龍、地震蟲(むし)などが暴れることで起きるともいわれ、その動きを封じるために、要石でその頭や尾を押さえると考えられてきた。
茨城県の鹿島神宮や千葉県の香取神宮など、いまも各地に「要石」と呼ばれる石がある。
『すずめの戸締まり』において、地震をもたらすのは、「ミミズ」と呼ばれる、赤黒い雲のような存在。
「閉じ師」の草太は「ミミズは、日本列島の下をうごめく巨大な力だ。目的も意志もなく、歪みが溜まれば噴き出し、ただ暴れ、土地を揺るがす」と説明するが、これは地震のメカニズムとも共通する。
地震は地球の表面を覆う十数枚の「プレート」が動くことで歪みのエネルギーが溜まり、それが一気に解放されることで発生する。
日本にとくに地震が多いのは、ちょうど4つのプレートがぶつかり合う場所に列島があるためで、これほど多くのプレートがぶつかる場所は、地球上に2ヵ所しかない(もう1ヵ所はニューギニア島とスラウェシ島のあいだ)。
日本列島の下には「プレートによる歪みの蓄積」という「ミミズ」がいるのだ。
歪みの解放によって放出されるエネルギーは莫大で、たとえばマグニチュード9.0の東日本大震災の場合、200京ジュール。
日本全国の発電所が生み出すエネルギーの8ヵ月分で、それが一瞬に放たれる。
そういった現実と重なる物語だけに、震災の描写は重く感じられ、登場人物の言葉はしばしば胸をえぐる。
われわれがどんな環境で生きているかをあらためて認識させられるキビシイ映画ともいえる。
◆人間が椅子になったら?
一方で、エンタメ要素も盛り込まれていて、しっかり楽しめる作品でもある。
主人公の岩戸鈴芽が、それと気づかずに要石を抜いてしまうと、それは猫になり、そのうえ草太を椅子に変えてしまった。
早く草太を人間に戻し、猫(ダイジンと呼ばれることになる)をつかまえて元の場所に戻さなければならない。
鈴芽と草太はダイジンを追いかけることになるのだが、これに関する描写は科学的にもヒジョ~に興味深いので、ここで考えてみたい。
草太は、椅子の姿のまま旅をした。
他の方法がなかったとはいえ、あまりにも大変ではなかっただろうか?
草太が姿を変えられた椅子は、鈴芽が4歳の誕生日のお祝いに、母親が手作りしてくれたものだ。4歳児用だから、とても小さい。
やや背が高めに見える鈴芽の身長を160cmと仮定し、劇中の描写などから推測すれば、椅子の背もたれの高さは35cm、脚の長さが16cmほどだ。
しかも、4本の脚のうち、左前の1本は失われてしまっている。
そんな椅子になって、草太はどんなふうに動くのか?
描写を見ると、近くを歩き回るときは3本の脚を交互に動かし、走るときは後方2本で地面を蹴って右前の1本で着地する……を繰り返していた。
犬、猫、馬などの四足歩行動物たちと、基本的には同じだ。
人間のときの草太の足の長さを80cmとするなら、それが16cmの椅子の脚になると、長さは5分の1である。
だったら犬や猫になったようなものかといえば、それとも違うだろう。
鈴芽は母親に頼んで椅子の背もたれに顔を作ってもらっていたから、つまり草太の顔は後ろ足の真上についている。
脊椎動物のなかには、存在しない特異なスタイルなのだ。
運動には「慣れ」が不可欠で、繰り返すうちに、小脳に筋肉の動きのパターンが記憶されていく。
赤ちゃんもそうして歩けるようになるし、スポーツで反復練習が大切なのもそのためだ。
さっきまで人間だった草太の小脳には、3本脚の椅子の歩行パターンはまったく記憶されていないだろう。
なのに、椅子になってすぐにダイジンを追っていった草太の運動センスは抜群だ!
◆椅子としてどう走るか?
しかも、草太椅子はかなり速かった!
ダイジンを追って、通行人の足のあいだを走るときは、時速20kmくらいは出ていたように見える。
四足歩行動物の走りを参考にするために、競馬の決勝シーンで計測すると、馬たちは脚の長さの2倍ほどの歩幅で走っている。
脚の長さが16cmで、走りが競走馬と同じとするなら、草太椅子の歩幅は32cm。
これで時速20kmを出すには、1秒間に17歩のペースで走らなければならない。馬たちは1秒に4歩ほど走るが、その4倍以上もケタタマシイ走りになる!
椅子が走る姿を目撃した劇中の人々は驚愕し、SNSにも投稿され、「#走る椅子」というハッシュタグまで付けられていたが、モノスゴク目立っただろうから無理もない。
3日目ともなると、草太は椅子の体にもだいぶ慣れてきて、新海監督の書かれた小説版の表現によれば「人間の体の重さでは不可能な場所を、獣のように彼は走る。重力がずっと軽くなったような頼もしさで、草太さんは急勾配のレールを駆け上がる」。
実際、その身体能力はものすごかった。
たとえば、助走からジャンプして、2秒ほど宙を舞い、水平距離にして30mほども跳躍していた。
走り幅跳びのマイク・パウエル(8m95cm)よりも遠い!
そしてこの場合、助走速度は時速54km。
100m走のタイムは6秒67で、ウサイン・ボルト(9秒58)より速い!
またジャンプした高度は4.9mで、走り高跳びの世界記録保持者ハピエル・ソトマヨル(2m45cm)より高い!
椅子なのにすごいというべきか、椅子だからすごいというべきか……!
そう考えると、草太が椅子にされたのは、不幸中の幸いだった。
あのとき鈴芽の部屋にあったもののうち、机や本棚にされたらその場から動けないし、本やノートや鉛筆になっても動きには難渋しただろう。
動けそうなものは椅子しかなかった。
ひょっとしたら、何年も何十年もたった一人で要石としてがんばってきたダイジンが、思い切り体を動かして追いかけっこをしたくて、あえて椅子に変えたのでは……?
筆者はつい、そんな妄想もしてしまう。