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ガンバ大阪DF丹羽大輝が『東日本大震災 被災地の子どもたちへサッカーボールの寄贈』を今年も開催。

高村美砂フリーランス・スポーツライター
丹羽選手から子たちへ、サッカーボールを手渡しでプレゼント。

ガンバ大阪のDF丹羽大輝が2011年から続けてきた『東日本大震災 被災地の子どもたちへサッカーボールの寄贈』を今年も実施した。

今回は、天皇杯の日程変更により決勝戦がこれまでの元日ではなく、12月13日に設定されていたことから「日程がたてやすかった」と丹羽。それもあって、例年のサッカーボールの寄贈だけではなく、被災地に直接赴き、サッカー教室を開催することに。シーズン終盤、しかも所属するガンバ大阪が全タイトルに絡んでいたこともあり、現地の関係者との調整や様々な準備は決して容易ではなかったはずだが、「できるだけたくさんの子供たちや、関わって下さる人たちに喜んでもらいたい」と細部まで配慮しながら企画を進め、開催にこぎつけた。

サッカー教室開催にあたっては、地元のグルージャ盛岡の4選手がサポートにあたってくれた他、横浜FマリノスのGK六反勇治選手も参加。この六反選手は、当初参加を予定されていたGK東口順昭(ガンバ大阪)の不参加が開催2日前に決定したのを受けて、急遽、丹羽から声を掛けられたそうだが「僕で力になれるのなら、ぜひ一緒にやらせてほしい」と二つ返事で快諾。オフを利用して帰省していた福岡から駆けつけ、丹羽らとともに約80人の子供たちとのふれあいを楽しんだ。

12月21日。会場となった岩手県宮古市のへいがわ老木公園には、開催時刻の1時間前から元気に走り回る子供たちの姿があった。この日は太陽こそ顔を出していたものの、気温は2度。時折、雪がちらつくだけではなく、突風が吹き荒れる厳しい寒さに見舞われたが、縮こまっている子供は1人もいない。丹羽の「短い時間ですが、今日は楽しんで帰ってください!」の挨拶に元気よく返事をすると、丹羽から贈られたサッカーボールとともに、強風をものともしない逞しさで約1時間半、グラウンドを駆けまわった。

サッカー教室終了後に待ち受けていたのは、熱々、できたてのたこ焼きだ。丹羽の思いに賛同した、ガンバ大阪のスポンサーでもある白ハト食品工業の…というより、ガンバファンには『くくる』のたこ焼きとお伝えする方がお分かりいただけるだろう。ホームスタジアムでも毎試合、人気を博している『くくる』のたこ焼きが、この日の会場にも登場。練習後の子供たちのお腹を温めた。

そして最後はじゃんけん大会だ。

丹羽や六反がもってきたスパイクやユニフォームをはじめ、不参加になった東口から届けられていた様々なレアグッズを賭けたじゃんけん大会に、子供たちはヒートアップ。最後は、丹羽が履いていたソックスまで“競り”?!に掛けられ、予定を約1時間オーバーして楽しいひとときは幕を閉じた。

未曾有の大震災が起きた2011年。当時、グルージャ盛岡に所属していた友人選手に電話を掛け、現地の様子を耳にした丹羽は「自分に出来ることがあるなら力になりたい」という思いにかられたと言う。その中で友人との会話の中から「子どもたちが遊べる4号のサッカーボールがなかなか手に入らない」と知ったことが、今回のサッカーボール寄贈に繋がった。以来、毎年欠かさず、「フル出場し、かつ勝利した場合、1勝につき4号球を10球、被災地の子どもたちに届ける」と決めて、それを行動に移してきた。そのきっかけをくれた友人は既にグルージャ盛岡を退団したものの、今回、その後輩たちが協力してくれたことも含め、「ようやく、自分の足でこの場所を訪れ、サッカーボールを届けることができた」と感慨深げ。「来年もうまくスケジュールを調整できれば、自分の足でたくさんのサッカーボールを届けたい」と笑顔を魅せた。

「たくさんの子どもたちやその親御さんとのふれあいを通して、僕自身もまた多くの刺激を受けた。いろんな方たちに協力していただいたおかげで、子どもたちと楽しい時間を過ごすことができました。感謝しています。今シーズンは三冠に輝き、いい締めくくりになりましたが、来季ももっとたくさんの喜びを味わえるように、それによってたくさんのボールを子どもたちに贈れるように、しっかり頭と身体をリフレッシュして、新シーズンに向かいたいと思います(丹羽大輝)」

フリーランス・スポーツライター

雑誌社勤務を経て、98年よりフリーライターに。現在は、関西サッカー界を中心に活動する。ガンバ大阪やヴィッセル神戸の取材がメイン。著書『ガンバ大阪30年のものがたり』。

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