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五輪史上初!トランスジェンダーのハバード選手が女子重量挙げに出場 トランス女性の女子競技参加を考える

中塚幹也岡山大学教授 産婦人科医 日本GI(性別不合)学会理事長
LGBTQと多様性のレインボー(著者作成)

 8月2日(月),東京オリンピックのウエイトリフティング(重量挙げ)女子87キロ超級にトランスジェンダー女性であるローレル・ハバード選手が出場する.トランス女性の重量挙げ出場は,五輪史上初である.

 ハバード選手は,1978年に男性として生まれ,20代の頃は男子105kg超級の重量挙げ選手として活躍していたとされる.しかし,性自認(自身が認知する性別)は女性であり,30代で「性同一性障害」の診断を受けてホルモン治療を開始,その後,性別適合手術も受けたとされる.ニュージーランドの制度に沿って公的にも「女性」となった後,2013年に女子選手へと転向.2020年,イタリア・ローマで開催されたワールドカップの女子87キロ超級で金メダルを獲得した.そして,今回,東京オリンピックに出場する.

ハバード選手の出場を前に国際オリンピック委員会(IOC)は?

 2020年3月,国際オリンピック委員会(IOC)は,トランスジェンダーの選手へのハラスメントの問題や男性の身体で生まれたことによる身体的な優位性への批判の中で,東京オリンピックに参加する可能性のある少なくとも3名のトランス女性の選手についての取り扱いを変更するには時間が足りないとした(注1).そのトランス女性選手とは,自転車競技(BMXフリースタイル)のチェルシー・ウルフ選手(米国),バレーボールのティファニー・アブレウ選手(ブラジル),そして,重量挙げのハバード選手であった.

 その時点でIOCは,東京オリンピック開催後に,アスリートや医学,科学,法律,人権などの専門家と協議して,トランスジェンダーの選手のオリンピック参加に関する新たなガイドラインを発表することを決めていた.さらに,今回のハバード選手の出場直前となる2021年7月30日,年内に新ガイドラインを作成し,国際競技連盟(IF)に示すとした.

現在のトランスジェンダー選手に関するガイドラインでは?

 トランスジェンダーの選手に現在,適用されているIOCのガイドラインは,「可能な限り,トランスジェンダーのアスリートを競技スポーツから排除しないことを担保する」という観点から,2015年に作成されたものである(注2).

 生まれた時の身体の性別が女性であるトランス男性選手は,特に条件はなく男子選手としてオリンピックに出場できる.これに対して,生まれた時の身体の性別が男性であるトランス女性選手が,女子として競技にエントリーするにはいくつかの条件がある.

 スポーツ競技に関して,4年以上,女性としてのアイデンティティを表明していること,最初に参加する競技大会の前の12か月以上,また,選手として活動している期間にわたって,男性ホルモンであるテストステロン値が10nmol/L(約288ng/dL)未満であることを求めている.しかし,競技における公平性という視点,そして人権的な視点からも,性別適合手術(性器に対する手術)は求めていない.

女性ホルモンと筋力

 私は,岡山大学ジェンダークリニックでトランスジェンダーのうち,医療的な対応を求める人々である性同一性障害(「性別不合」に改称予定)当事者の診療をしている.トランス女性に対して,女性ホルモン療法を行うが,乳房が腫大し,女性的な体形になっていくとともにテストステロン値は女性レベルに低下する.ホルモン療法中はテストステロン値100ng/dL未満を推移することが多く,性別適合手術(精巣の摘出術)後はさらに低下する.重い物を持つことが多い仕事に就いていた場合には,「持ち上げられなくて困る」と訴える方も多く,スポーツ選手であれば不利になることは容易に想像される.

 過去の研究では,女性ホルモンを12か月間使用することにより,酸素を有効に活用するのに役立つ血液中のヘモグロビン値は女性レベルに低下する(注3).一方,筋力は低下するものの,比較対象となる女性の平均と比較すると高いことも知られている.もちろん,オリンピックに出場するようなトップアスリートを対象とした研究ではないため,そのまま当てはめることはできないし,個々の競技,個々の選手で状況は異なるため,有利,不利の線引きは難しい.

ニュージーランドの性別変更の条件

 ハバード選手の出身国,ニュージーランドでは「出生,死亡,婚姻及び関係登録法(1995年)第28条(成年),第29条(未成年)」により,世界的に見ても早い時代から出生証明書(birth certificate)の名前や性別の修正が可能である(注4).

 ニュージーランド政府のホームページには「性別変更(Changing your gender)」というサイトがあり,18歳以上(16歳以上で結婚しているみなし成年も含む)は,出生証明書の変更を家庭裁判所に申し立てることができるとしている(注5).条件としては,医師等により「性同一性障害」の身体的治療が行われていることの証明が必要であるが,長期のホルモン療法を実施していれば,必ずしも性別適合手術は必要ないとされる.随意ではあるが,知人等により「本人がその性別のアイデンティティを持つこと」を支持するレターを提出することができる.

 家庭裁判所への申し立てに必要な医師等による証明であるが,ニュージーランドでは,性同一性障害の診断には,専門医2名のカウンセリングを受ける必要があり,原則として,望む性での生活(RLE:real life experience)を2年間以上送っていることが必要とされる.このような条件のもとで診断を受け,ホルモン療法が開始される.

トランス女性の選手への批判

 「重量挙げ」については,その競技の特性上,体格や筋力の強さは記録に大きく影響すると考えられる.平均値で見ると,成人男性の身長,体重は女性よりも大きく,筋力も強い.男性として発育したトランス女性の選手は,女性ホルモンなどにより筋力が低下したとしても,体格的に女子選手より有利だという意見はある.「不公平である」と訴える女性選手がいるのも確かだ.

 ハバード選手は,性別適合手術を受けているとされ,また,女性ホルモンを長期に使用していることから,その時点でテストステロン値は非常に低下していると推測される.一方,ハバード選手は,185cm,130kgと身体的には恵まれている.しかし,現在43歳であり,アスリートとして最高のパフォーマンスができる年齢とは必ずしも言えないであろう.ニュージーランドにおいて「女性」となるための努力により,アスリートとして活躍できる期間のうちの何年かを犠牲にしたとも言える.実際,国際重量挙げ連盟(IWF)による世界ランキングでも女子87キロ超級で7位にとどまっている.

ハバード選手がオリンピックに参加することの意味

 身長や体重,筋肉量や筋力も,人種によって異なる.また,遺伝子的に見れば,両親の身長が高ければ,その子どもも高身長になる確率が高い.貧困の見られる国であれば,栄養状態が体格に影響するかもしれないし,食べ物を得るための労働でトレーニングの時間を削らなければならないかもしれない.

 東京オリンピックの大会ビジョンの1つは「多様性と調和」であり,ジェンダー平等の推進を謳っている(注6「男女平等でよいのか!?東京オリンピック・パラリンピックとジェンダー・ダイバーシティ」).「人種,肌の色,性別,性的指向,言語,宗教,政治,障がいの有無など,あらゆる面での違いを肯定し,自然に受け入れ,互いに認め合うことで社会は進歩」「東京2020大会を,世界中の人々が多様性と調和の重要性を改めて認識し,共生社会をはぐくむ契機となるような大会とする」としている(注7,8).

 東京オリンピックへの出場がわかっているLGBTQ(性的マイノリティ)のアスリートは少なくとも179人であり,2016年のリオオリンピックの3倍以上になるとされる(注9).開会式では,6人のLGBTQアスリートが旗手をつとめた(注10).トランスジェンダーであることを公表した選手が参加する初めてのオリンピックでもある.

 トランス女性であるハバード選手がオリンピックに参加することは,スポーツにおいて「性の多様性を認めること」の象徴である.苦悩も多かったであろう1人のLGBTQのアスリートの生き方を知る機会にもなる.

オリンピックは多様性とどう向き合うのか

 オリンピックは「平和の祭典」と呼ばれ,お祭りである一方で,それに「人生をかけている」と考える選手も存在しているであろう.自身がメダルを取ること,メダルの色が金色であることに命をかけている選手が「公平性を求める」ことも理解できないわけではない.

 日本には,大相撲のように体重別という考え方が存在しないスポーツ(大相撲はスポーツではなく神技だとの意見もあるが)もある.全日本柔道選手権大会のように無差別級のみで行われる大会もある.しかし,オリンピックにおいては,体格による影響が大きい競技は体重階級別に行われている.柔道でも, 1984年のロサンゼルスオリンピックを最後に無差別級が廃止されている.しかし,厳密性を突き詰めようとすれば,柔道や重量挙げ選手の体重別の階級ももっと細かく区切るべき,○○kg超級を設けないということになる.さらには,多様な人種,多様な性,多様な年齢,多様な経済状態を考慮して,それぞれの階級を作って別々に競技を実施する必要があるかもしれない.しかし,これはオリンピック憲章の理念に反することになる.

 難しい問題ではあるが,トランスジェンダーの選手を排除することなく,競技ごとに「公平性や安全性」と「ダイバーシティ&インクルージョン(個々の違いを受け入れ,認め合い,共に生きること)」のバランスの取れた出場条件の最適点を見つけ出す必要がある.

LGBTQアスリートの東京オリンピック出場は日本に影響を与えるのか

 五輪史上最多のLGBTQアスリートが参加した東京オリンピックであるが,そのホスト国である日本におけるLGBTQ選手のカミングアウトはほとんど見られていない.日本はLGBTQ当事者が自身の性的指向や性自認をカミングアウトしにくい社会であろう.これに関しては,海外におけるオリンピック関連の報道でも,日本が多様性を認める国ではないことが指摘されている(注11).

 主要7カ国(G7)の中で日本だけが,同性婚やそれに準ずるパートナーシップ制度を国レベルで実施していない.東京オリンピック直前の「LGBT理解増進法」をめぐる差別的な発言やその顛末の報道を見て,海外からも「日本はLGBTQ当事者には厳しい国」と思われている.トランスジェンダーに関しても,戸籍上の性別の変更要件の緩和やホルモン療法の保険適用,生殖医療などで子どもを持つことなど,未解決の課題が残っている.

 2013年,ロシアは「同性愛宣伝禁止法」を成立させたが,これを「人権侵害」だとして,アメリカのオバマ元大統領などの欧米各国の多くの首脳が2014年のソチオリンピックの開会式を欠席した.事態を重く見たIOCは,2014年,「オリンピック憲章」を改訂して「性的指向」に関する差別を禁止し,オリンピック開催都市との契約に差別禁止義務を含めた.東京オリンピックの組織委員会も,東京都も,日本政府も当然ながら,「性的指向」に関する差別禁止を遵守することになっているはずである.

 東京オリンピックの開催が,日本の各種競技団体において,トランスジェンダーの選手が参加するためのガイドライン作成を始める契機,さらには,日本社会において,LGBTQ当事者が生きやすい法律や制度が作られる契機となるゲームチェインジャーとなるのか,今後も注目する必要がある.

【注】

(注1)ESPN:IOC to publish transgender guidelines after Tokyo Games(Mar 5, 2020).

https://www.espn.com/olympics/story/_/id/28835943/ioc-publish-transgender-guidelines-tokyo-games

(注2)IOC: IOC Consensus Meeting on Sex Reassignment and Hyperandrogenism(November 2015)

https://stillmed.olympic.org/Documents/Commissions_PDFfiles/Medical_commission/2015-11_ioc_consensus_meeting_on_sex_reassignment_and_hyperandrogenism-en.pdf

(注3)Harper J, O'Donnell E, Sorouri Khorashad B, McDermott H, Witcomb GL: How does hormone transition in transgender women change body composition, muscle strength and haemoglobin? Systematic review with a focus on the implications for sport participation. Br J Sports Med 55(15):865-872, 2021.

(注4)the International Lesbian, Gay, Bisexual,Trans and Intersex Association (ILGA):TRANS LEGAL MAPPING REPORT(3rd edition,2019)

https://ilga.org/downloads/ILGA_World_Trans_Legal_Mapping_Report_2019_EN.pdf

(注5)New Zealand Government:Changing your gender

https://www.govt.nz/browse/passports-citizenship-and-identity/changing-your-gender/

(注6)中塚幹也:男女平等でよいのか!?東京オリンピック・パラリンピックとジェンダー・ダイバーシティ.Yahooオーサー(2021年3月2日)

https://news.yahoo.co.jp/byline/mikiyanakatsuka/20210302-00225291

(注7)東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会:大会ビジョン

https://olympics.com/tokyo-2020/ja/paralympics/games/games-vision-para/

(注8)IOC: OLYMPIC CHARTER(オリンピック憲章)[2020 年 7 月 17 日から有効]でも,「オリンピック憲章の定める権利および自由は人種,肌の色,性別,性的指向,言語,宗教,政治的またはその他の意見,国あるいは社会的な出身,財産,出自やその他の身分などの理由による,いかなる種類の差別も受けることなく,確実に享受されなければならない(日本オリンピック委員会による和訳)」とされている.

https://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2020.pdf

(注9)Outsports: At least 179 out LGBTQ athletes are at the Tokyo Summer Olympics, more than triple the number in Rio(Jul 30, 2021)

https://www.outsports.com/olympics/2021/7/12/22565574/tokyo-summer-olympics-lgbtq-gay-athletes-list

(注10)Outsports: These are the 6 out LGBTQ flag bearers in the Tokyo Olympics Opening Ceremony(Jul 22, 2021)

https://www.outsports.com/2021/7/22/22574902/flag-bearer-opening-ceremony-tokyo-list-lgbtq-athletes

(注11)TIME: Record Number of LGBTQ Athletes Set to Compete at the Tokyo Olympics(JULY 13, 2021)

https://time.com/6079508/olympics-lgbtq-athletes-record/

岡山大学教授 産婦人科医 日本GI(性別不合)学会理事長

産婦人科医(岡山大学病院不妊・不育外来,ジェンダークリニックで診療).岡山大学大学院保健学研究科・生殖補助医療技術教育研究(ART)センター教授(助産師,胚培養士(エンブリオロジスト)等の養成・リカレント教育).日本GI(性別不合)学会理事長(LGBTQ+,特に「性同一性障害・トランスジェンダー」の医学的・社会的課題の解決に向けて活動).岡山県不妊専門相談センター,おかやま妊娠・出産サポートセンターセンター長.妊娠中からの切れ目ない虐待防止「岡山モデル」の創始,LGBTQ+支援,思春期~妊娠・出産~子育てまでリプロダクションに関する研究・教育・実践活動中.インスタ #中塚教授のひとりごと

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