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もう一つのジェノサイド「チャーズ」の真相を書いた中国人は次々と逮捕される

遠藤誉中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
筆者が1994年9月20日に撮影した「チャーズ」の包囲網の残骸の一部

 長春の惨劇「チャーズ」を書いた中国人は次々に逮捕されている。筆者の場合は、北京の日本国大使館の役人により中国政府に密告された。習近平政権になると中国政府のシンクタンクから筆者に突然警告メールが来た。

◆最初に逮捕されたのは『雪白血紅』の著者

 最初に逮捕されたのは1989年8月に『雪白血紅』というタイトルで長春の食糧封鎖を書いた張正隆氏(1947年生まれ)だ。中国人民解放軍文芸部の人間で、当時の瀋陽軍区文化部創作室にいた作家だった。

 したがって軍隊に関する描写が多いが、東北の人間だけあって表現がストレートだ。

 中国には「易子而食」という言葉がある。春秋戦国時代に食糧封鎖に遭った宋の国が「子供を交換して(交易して)、それを食した」ということから生まれてきた言葉だ(公羊傳・宣公十五年)(紀元前594年頃)。餓えて子供を殺して食べるしかなくなったが、さすがに我が子を手に掛けるのは忍びないので、他の家の子と交換して食べ合ったという記録が残っている。

 筆者自身が食糧封鎖下の長春にいて、多くのことを耳にしているが、さすがに文字にできなかったことが、まるで普通のことのようにストレートに、『雪白血紅』には書いてある。その意味で中国人の感覚は日本人と違うところがあると思う。

 実は『雪白血紅』が出版されると香港に出張していた日本の新聞社の友人から連絡があった。「大変ですよ!遠藤先生が書いたチャーズと同じことが書いてある本が中国語で出たんです!やっぱり、本当にあったことなんですねぇ・・・」と知らせてくれて、「ともかく送ります」と言って送ってきてくれたことがある。

 それからほどなく作者の張正隆は逮捕され、『雪白血紅』は江沢民によって発禁となった。

 これが「チャーズ」を書いた人間で逮捕された第一号だ。

◆中国政府に筆者を密告したわが日本国大使館の役人!

 1990年代に入ると、筆者は日本の文部省(現在の文部科学省)の科研代表として帰国した中国人元留学生の留学効果に関する調査をする作業に入ろうとしていた。日本留学と欧米留学の留学効果に関する比較をして、日本の留学生受け入れの政策の改善に資することを目的とした研究課題だった。日本国のために役に立つ調査のはずだ。

 但し、中国で調査をするには中国政府の関連機関の許可が出ないと実行できない。

 このことで悪戦苦闘していた時のことだ。

 どうしてもうまくいかなくて、そのとき泊まっていた北京の民族飯店というホテルの7階から、いっそのこと飛び降り自殺をしようかという衝動に駆られるほど苦しかった。なぜなら文部省の科研代表として、すでに文部省の科研費は下りている。何としても年内に研究成果を出さなければならない。それなのに中国政府の調査許可が下りないという板挟みで責任があり、退路のないところに立たされていたからだ。

 その時に、私が何年か前に世話をしてあげていた中国人留学生で中国政府で仕事をしていた人が私に教えてくれた。

 「先生、これは大きな声では言えない話ですが、北京にある日本大使館の役人が、先生の悪口を中国政府側に言っているんです」

 「えっ!私の悪口を?」

 「はい、そうです!先生はチャーズの本を書いてるじゃないですか。チャーズに関しては張正隆が『雪白血紅』を書いて逮捕されたばっかりですよね。だから、遠藤先生も同じチャーズの本を書いている危険人物なので、彼女に協力しない方がいいって、日本大使館の役人が中国政府に密告しているんですよ」

 「え――!そんな・・・!日本大使館は中国にいる日本人を守るためにあるはずなのに、彼らが日本人を中国に売るって・・・」

 気を失いそうだった。

 しかし、教え子は続けた。

 「先生、中国には長いこと密告制度があったから、今も密告すると『自分たちの味方だ』っていう感じで、特別に大事にしてくれるんですよ。日本政府の人は、みんな中国政府に気に入ってもらおうとして、中国政府の役人におべっかを使うんです。先生は中国で生まれて中国語がペラペラだから、日本大使館は遠藤先生の方が中国政府に気に入られたら自分たちが損をするので、先生が嫌われるように密告をしてるんです」

 何ということだ・・・。

 どうもおかしいと思った。

 その噂はやがて、かつて筆者が命を助けてあげたことがある元留学生の耳に届いたらしく、彼から連絡があった。彼の恩師は中国社会科学院の哲学研究所の所長をしていて、中国社会科学院は中国国内で調査をするときの許可権を持っているという。早速その所長に会って紹介してもらったのが中国社会科学院社会学研究所だった。

 こうして筆者はその社会学研究所の客員研究員・客員教授として中国や欧米における調査を、やっと完遂することができたのである。

 天安門事件後の中国への経済封鎖を率先して解除した日本政府への怒りの原因の一つは、こういった日本政府の態度にもある。

◆筆者を取材して「チャーズ」を書いた杜斌も逮捕された

 2014年に筆者の『卡子 出口なき大地』(1984年出版)の中国語版が台湾で出版されると、多くの中国大陸の民主活動家から問い合わせがあった。その中の一人に杜斌(ドゥ・ビン)という民主活動家がいる。彼は長い時間をかけて、2017年に台湾で『長春餓死(者の死体)戦 中国国共内戦の最も惨烈な包囲戦 1947.11.4 ~ 1948.10.19 』という本を台湾で出版している。

 中国語のタイトルは日本語表記しにくい文字もあるので、日本語に訳したが、以下に示したのが、その本だ。

杜斌氏が書いた本の表紙
杜斌氏が書いた本の表紙

 本の中には筆者が5歳の時に長春で写した写真があり、中国語で説明が付いている。まちがいなく筆者を取材して書いた本だということがわかる。

 この写真は7月3日に出版される『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』の最初のページにもある。

筆者が杜斌氏に提供し、杜斌氏の本の中に掲載されている筆者が5歳の時の写真
筆者が杜斌氏に提供し、杜斌氏の本の中に掲載されている筆者が5歳の時の写真

 ただ杜斌氏とは音信が途絶えてしまい、実は本が出版されたという知らせもなかった。その後、ニューヨークタイムズから取材を受け、その取材の中で、杜斌氏が逮捕されたということを知った。本は、これもつい最近、偶然のことから、すでに出版されていることをネットで知ったような状況だ。

 習近平政権になってから、それまで何十年にもわたって連絡し合ってきたすべての民主活動家たちとのメール交換ルートは完全に遮断されてしまったので、いま杜斌氏がどうしているのかを正確に知るすべはない。

◆突然届いた中国社会科学院からの一通のメール

 あれは2017年になってからだっただろうか。

 突然見知らぬ人から一通のメールが飛び込んできた。

 見れば「中国社会科学院」のアドレスだが、誰なのかは分からない。

 そこには「あなたは、確かに以前は、中国社会科学院社会学研究所の客員教授兼客員研究員だったが、今は違うので、その肩書を使うことを許可しない」という趣旨のことが事務的に書いてあった。

 その職位をいま使っているはずがなく、過去にその職位にあったことは確かなので、逆にこのメールはそのことを証明してくれているようなものだと思ったが、どうやらこの時期は、杜斌がチャーズに関する本を出し、その本の中に遠藤誉を取材したということが書いてあるので、そのことと無関係ではないのかもしれない。彼のパソコンも没収されたとすれば、私が彼とやり取りした多くのメールも当局の手に渡ったものと覚悟するしかない。

 もう一つの可能性として考えられるのは、6月27日のコラム<許せない習近平の歴史改ざん_もう一つのジェノサイド「チャーズ」>に書いた中国政府側による『囲困長春』の本が、実は2016年12月に書き上げられていながら、出版が2017年12月となっているので、ゲラの修正に1年もかけたことになり、さまざまなレベルの検閲を受けたことが推測される。

 当然筆者が書いた『チャーズ』の中国語版をチェックしているはずなので、そういうこともあり、筆者の所に、突然、中国社会科学院から警告メールが入った可能性もある。

 いずれにせよ筆者には、中国に行ったら逮捕される危険性が十分あることだけは確かだ。

 もちろん二度と行かないが、しかし「遠藤誉が中国の土地を踏んだぞ」という知らせは、案外に日本大使館から中国政府に行く可能性もあり、それを考えると、我が祖国ながら、何とも哀しい。

 いつ、どのようなことが起きるか分からないので、遺言のようなつもりで『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』をこの世に遺すことにした。生き証人はもうほとんど残っていない。

中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。中国問題グローバル研究所所長。筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員・教授などを歴任。日本文藝家協会会員。著書に『中国「反日の闇」 浮かび上がる日本の闇』(11月1日出版、ビジネス社)、『嗤(わら)う習近平の白い牙』、『習近平が狙う「米一極から多極化へ」 台湾有事を創り出すのはCIAだ!』、『習近平三期目の狙いと新チャイナ・セブン』、『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』、『 習近平 父を破滅させた鄧小平への復讐』、『毛沢東 日本軍と共謀した男』、『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など多数。

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