Yahoo!ニュース

ベルマーレと国立競技場(とJリーグ)

川端康生フリーライター
(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

24年ぶりの国立

 今週末(24日・日曜)、湘南ベルマーレが国立競技場でホームゲームを開催する

 クラブのリリースにもあったが<国立競技場での開催は平塚時代の1999年4月2日(vs浦和戦)以来>。

 実に24年ぶりである。

 さらに<ベルマーレの最多入場者数は1994年4月2日に国立競技場で開催された名古屋戦での4万8640人となっており、今回はこの記録を上回ろうという目標を立てています>。

 こちらにいたっては29年も前だ。

 若い人はもちろんだが、「湘南」以降のサポーターにとっても“歴史”に属する遠い話だろう……。

 ということで「ベルマーレと国立」について、この機会に振り返ってみたい。

 材料はちょうど現在連載中の『百年物語』。そこからピックアップしながら、国立競技場にまつわる出来事をクラブ史と絡めながら紹介する。

 ちなみに「ちょうど現在連載中」とさらっと書いたが、1968年の藤和不動産サッカー部創設から始めて、すでに100回を超えている。それなのに、まだ1999年までしか到達していないという超スローペースの連載である(読んでくれている人、遅くてすみません)。

時代変遷

 牛歩でしか進めないのは、「ベルマーレ」のみならずサッカー界、その「サッカー」を取り囲む時代背景にまで言及することが多いせいだが、そこには「サッカーもクラブも、社会や経済の中に存在し、時代や風潮と無縁ではいられない」という思いがある。

 たとえば「国立開催」は創設当初のJリーグでは珍しいことではなく、毎年30試合程度のリーグ戦が国立競技場で行われていた。

 ベルマーレがJリーグ入りした1994年も28試合。ベルマーレ自身も3試合を国立で戦っている(うち2試合がホームゲーム)。

 ブーム真っ只中で、チケットが入手困難で、まさに奪い合うように売れていたあの頃、より入場料収入が見込めるキャパシティの大きいスタジアムでホームゲームを開催することはごく自然なことだったのだ。

 そんな中で、唯一ホームにこだわっていたのが浦和レッズで、当時「最弱にして最少」、つまり下位に低迷し観客動員も少なかったにもかかわらず、駒場競技場でホームゲームを開催し続けたことがその後の……というような話も『百年物語』では綴っているのだが、ここでは割愛する。

 いずれにしても、そんなリーグ草創期があり、やがてブームが沈静化し、観客数が減り、経営に逼迫するクラブが続出し……という流れの中で、「理念回帰」が起こり、「地域密着」が再認識され、ホームスタジアム以外での開催は減っていくことになった。

 そして、グローバル化とデジタル化を経てビジネス環境が激変したいま、改めて起きている動きが、今回のリーグ主導による「国立開催」である。

 前置きが長くなった。ベルマーレと国立――。

Jデビュー戦

 やはり最初に挙げたいのはJリーグデビュー戦。

 1994年3月12日、満員の国立競技場でベルマーレは初陣を戦ったのだ(5万843人)。

 初めてのJリーグ、そればかりか多くの選手にとって初めての国立競技場だった。

 だから、試合前にはロッカールームから飛び出してきた岩本輝雄が「トイレはどこだ?」とバックステージをうろついていたし、ニカノール・ヘッドコーチは「今日はテレビ放送もある。活躍したら人気者になれるぞ」と選手たちの緊張をほぐそうと声をかけたりしていた。

 記念すべき初戦のスタメンは、GK古島清人、DF(4バック)岩本、渡辺卓、名塚善寛、名良橋晃、MF松山広淳、田坂和昭、エジソン、ベッチーニョ、そしてFWにアウミール、野口幸司。

 相手は前年王者にしてJリーグブームの牽引者であるヴェルディ川崎(当時、以下同じ)。

 そんなタレント軍団に、初めての大舞台で若き選手たちは完敗を喫することになる。

 開始3分、武田修宏に決められたのを皮切りに、19分にはカズを起点に右サイドを崩され、ビスマルクに2点目。

 さらに30分、中盤でボールを失い、ラモス、武田とつながれ、最後はやはりビスマルクに決められて3点目。前半終了間際にも北沢豪にゴールを許し、前半だけで0対4。

 それでもベルマーレにひるむ様子がなかったのは、チームカラーによるものだろう。

 若くて勢いのある選手たちと、彼らを束ねる古前田充・ニカノールが標榜していた「3点獲られても4点獲って勝てばいい」という常識外れのスローガン。

 だから4失点を喫していても戦い方を守備的にシフトする素振りは微塵もなかった(だから後半にも追加点を喫した)。

 それでも後半早々、守備的な田坂に代わって投入された反町康治を起点に、右サイドのアウミールに展開、そこに名良橋がオーバーラップを仕掛け、ゴールライン深くまでドリブル。そのセンタリングを野口が頭で決めたゴールは、いかにもベルマーレらしい積極的な得点だった。

 これがベルマーレにとってJリーグ最初のゴール。

 いまから29年前の開幕戦、国立競技場でのことである。

クラブ史上最多観客試合

 続く第2節、横浜マリノス戦でベルマーレはJリーグ初勝利を挙げる。

 この試合は、「初めてのホームゲーム」であり、ベルマーレのJリーグ入りのために突貫工事で改修した「平塚競技場」のこけら落としでもあった(観客は1万6131人だった)。

 キックインセレモニーではその立役者だった石川京一市長がボールを蹴り込んだ。

 ついでに言えば、アウミールの決勝弾は「延長Vゴール」だったから、この試合がベルマーレにとってJリーグ初勝利であるだけでなく、初の延長戦、そして初のVゴール勝ちのゲームでもあった。

 そして、開幕のヴェルディ戦(日本テレビ)に続き、この試合もNHK(BS)で放送されたから、昇格したばかりのベルマーレは2戦続けての全国放送で一気に知名度を上げることになった。

 しかも、大敗と劇的勝利という対照的なゲームで、全国のサッカーファンに「ベルマーレ」を印象付ける派手なデビューとなったのである。

 しかしその後、チームは3連敗と勝利から遠ざかる。

 初昇格のシーズンで開幕から1勝5敗。しかも16失点である。いかに「攻撃サッカー」を標榜するにしてもこれではさすがに厳しい。当初は勝てなくても明るかったチーム内にも不穏な空気が漂い始めていた。

 そんなタイミングで迎えたのが、名古屋グランパス戦だった。

 そう、国立開催で史上最多観客を記録する試合である。

 そして、この試合でベルマーレはそれまでとは異なる戦いを見せるのだ。

 わかりやすく言えば、ボランチに信藤健仁を起用。前年のJリーグ昇格にも貢献した彼に、相手のゲームメーカー、ジョルジーニョ封じを託したのだ。

 これが奏功した。結果は2対0。マツダ、三菱(浦和レッズ)でプレーした33歳のベテランは、守備だけでなく、抜群のリーダーシップで若いチームを牽引する役割も果たし、グランパスを完封。

 チームを2勝目に導いた(得点を決めたのはベッチーニョ(PK)と野口だった)。

 冒頭のリリースにあるベルマーレのクラブ史上最多観客数「4万8640人」の名古屋戦とは、そんな試合だった。

 崩れ落ちそうになっていたチームを救い、失いかけていた自信をつなぎ止めたゲーム。

 いまから29年前、デビューイヤーの序盤戦のことである。

天皇杯優勝

「ベルマーレと国立」と言えば、やはりアレも挙げなければならない。

 1995年元日、国立競技場で、ベルマーレは天皇杯チャンピオンになったのだ。

 決勝の相手はセレッソ大阪。空は日本晴れで、スタンドは4万8312人の観客で埋まっていた。

 試合そのものも清々しいほど気持ちのいい内容だった。立ち上がりから圧倒的に攻勢を仕掛け、前半だけでシュート9本。

 両サイドから岩本、名良橋が攻め上がるベルマーレらしいサッカーが爆発したゲームだった。

 スコアが動いたのは後半、スコアラーはいずれも野口。2得点を決め、ベルマーレとなってから初のタイトルをもたらした。

 祝勝会のことも付け加えておいた方がいいかもしれない。

 この天皇杯優勝の祝勝会は(代々木にあった)フジタ本社1階にあったコミュニティスペースで行われたのだ。

 2009年のJ1昇格のときも、2018年のルヴァンカップ優勝のときも、チームは水戸や浦和から平塚に戻ってサポーターとともに喜びを分かち合った。

 しかし、このときはそんな発想自体がなかった気がする。もちろん異論が出た覚えもない。

 時代が違えば、価値観も常識も変わる――ということを象徴するエピソードだろう。

 ちなみに「タイトル」に関して挙げるなら、やはり日本リーグ時代に遡らざるを得ない。

 1977年、1979年、1981年と3度リーグ優勝に輝き、しかもそのうち2回は天皇杯との2冠だから、フジタは少なくとも2度、国立競技場で頂点に立っている。

 ついでに「国立」に限らず「タイトル」だけをみれば、最後(最新)が2018年のルヴァンカップで、最初が1973年のJSLカップということになる。

 ルヴァンカップの優勝は(ご存じの通り)埼玉スタジアムで、JSLカップの会場は西が丘サッカー場だった。

存続危機の国立開催

 話を「リーグ戦」に戻せば、Jリーグ入り以後、ベルマーレは毎年「国立」で試合を行ってきた。

1994年 3試合(うち2試合がホームゲーム)

1995年 5試合(3試合)

1996年 3試合(2試合)

1997年 1試合(1試合)

1998年 2試合(2試合)

1999年 1試合(1試合)

 2000年以降は、前述の通り、リーグもクラブも「地域密着」に注力するようになったこと、そして何よりチームがJ2に降格したことで国立開催はなくなった。

 最後の国立開催となったのが(リリースにもある)1999年4月2日の浦和レッズ戦。この試合の観客は2万371人だった。

 もしかしたら「少ない」と感じる人もいるかもしれないが、この年ベルマーレの平均客数が7388人(1試合平均)だったことを思えば、興行としては大成功。

 ちなみにこの前年秋にやはり国立で開催した横浜フリューゲルス戦は1万7164人だったから、カード選択も正解だったことになる。

 集客が見込める人気カード、有り体に言ってしまえば相手チームの集客力に期待しての施策ではあるが、当時クラブが置かれていた状況を思い出せば責められるものではない。

 1999年、ベルマーレは存続危機に直面していたのだから。

 それでもフェアな立場で振り返るならば、やはり散々な国立開催だった、と正直に述べるべきだろう。

 まず試合内容。立ち上がりから引いて守るベルマーレに対し、レッズもその外側で横パスを繰り返すばかり。エンターテイメント性に欠ける面白みのないゲームだった。

 それでもベルマーレからすれば、レッズのキーマンであるベギリスタインを徹底的に抑え、時折カウンターも繰り出せていたから、狙い通りの展開だったのかもしれない。

 だが、前半終了間際に先制を許すと、後半開始直後に2失点目。さらに追加点も決められ……。

 0対3。

 前半、自チームのふがいないプレーにブーイングを浴びせていたレッズサポーターが福田正博の「ゲットゴール」で盛り上がる一方で、敗れたベルマーレのスタンドからはまばらなブーイングしか聞こえてこなかった。

 そんなスタジアムで、「2万371人」の内実と、「国立開催」の意味に、改めて思いを馳せることになった。

国立開催という試み

 あれから24年、ベルマーレにとっては久々の「国立開催」である。

 今季のJ1では、この一戦も含めてJ1の5試合が国立競技場で行われる(J2や女子のゲームも行われた)。

 冒頭記した通り、ビジネス環境が激変しているいま、「地域密着」だけでリーグを存続させることができるのか。特に地方クラブの今後を考えれば、これまでとは違ったアプローチが必要なことは明らかだ。

 Jリーグはファンビジネスだから(ドラッカーにならえば)「クラブ(会社)の目的はファン(顧客)の創造であり、その最大化」ということになる。

 その意味で、新たなファンの創出を目指して、リーグが支援付きでクラブの「国立開催」を後押ししていることは十分理解できる。

 当然(鹿島サポーターが「俺たちのホームはカシマ」「なぜ国立」「国立開催ありえねえ」と横断幕を掲げたような)ハレーションは起きるだろうし、クラブによって経営環境も方針も違うから汎用性のある正解があるとは思えない。

 それでも「手をこまねいているわけにはいかない」から、あらゆることにトライしてみるしかない…。そんな焦燥のようなものが(スポーツビジネスに限らず、あらゆる業種で)経営に携わる者に共通する通奏低音だろう。

 デジタルも含めたこれまでとは違うマネタイズの方法を模索していく、その一つの選択肢として「国立開催」もある。

ターゲットではなく

 ただし、「国立開催」はゴールではなくスタートでなければならない、と最後に付け加えておきたい。

 目的は新たなファンの創出なのである。ただ一日の集客や売上をターゲットにしてしまっては目的と手段を取り違えかねない。

 国立に集めた数万の観客を、いかに今後につなげていくか。

 つまり、大事なのはむしろその後であり、成否の判断を下すべきもその先であるはず……

 なんて口幅ったいことを言ってしまうのは、前述1999年のその後を思い出すからだ。

 浦和レッズ戦で国立に2万371人を集めた次のホームゲーム。

 平塚競技場のスタンドには「2812人」の観客しかいなかったのだ。

 0対3で敗れたことよりずっと根深いショッキングな記憶として、いまも残っている。

参考

Jリーグ「ホームタウン撤廃」について(yahoo)

仙台で考えるプロ野球とホームタウン(Number)

フリーライター

1965年生まれ。早稲田大学中退後、『週刊宝石』にて経済を中心に社会、芸能、スポーツなどを取材。1990年以後はスポーツ誌を中心に一般誌、ビジネス誌などで執筆。著書に『冒険者たち』(学研)、『星屑たち』(双葉社)、『日韓ワールドカップの覚書』(講談社)、『東京マラソンの舞台裏』(枻出版)など。

誰がパスをつなぐのか

税込330円/月初月無料投稿頻度:隔週1回程度(不定期)

日本サッカーの「過去」を振り返り、「現在」を検証し、そして「未来」を模索します。フォーカスを当てるのは「ピッチの中」から「スタジアムの外」、さらには「経営」や「地域」「文化」まで。「日本サッカー」について共に考え、語り尽くしましょう。

※すでに購入済みの方はログインしてください。

※ご購入や初月無料の適用には条件がございます。購入についての注意事項を必ずお読みいただき、同意の上ご購入ください。欧州経済領域(EEA)およびイギリスから購入や閲覧ができませんのでご注意ください。

川端康生の最近の記事