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Jリーグ「ホームタウン制撤廃」について

川端康生フリーライター
(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

 スポーツ紙が報じた「ホームタウン制撤廃」が物議を醸しています。

Jリーグ 来季ホームタウン制撤廃へ 創設時の理念「地域密着」から新様式に 今月中にも正式決定(スポニチアネックス)

 これに対してJリーグもビビッドに反応。報道当日の正午にはリリースを発表し、“否定”しました。

 言うまでもなく「ホームタウン」はJリーグの基本理念。存在意義と言ってもいい。これを「撤廃」と報じられれば看過することはできません。

 ただ、リリースをよく読んでみると“完全否定”ではないようです。こうあります。

<ホームタウン制度について撤廃・変更の事実は一切なく、今後、Jクラブの営業、プロモーション、イベント等のマーケティング活動における活動エリアに関する考え方の方向性について議論しているものです。Jリーグが創設当初から掲げている地域密着の思想が揺らぐものでは全くありません。>

 つまり「地域密着の思想が揺らぐものでは全くないが、営業、マーケティング活動などのエリアに関する考え方の方向性について議論をしている」ことは認めているわけです。

 僕なりに意訳すれば、基本理念を変えることはないけど、ビジネス的に今後どう変えるべきか検討している、ということだと思います。

 説明してみます。理解してもらうために(いつものように)少し遠回りしながらの説明になります。

ネーミングの勝利

 Jリーグの成功要因の一つは「ネーミング」だったと思います。

 ビジターではなく「アウェー」、日本シリーズではなく「チャンピオンシップ」、コミッショナーではなく「チェアマン」……。

 お気づきの通り、これらの呼称はプロ野球との差別化を意識して付けられました。

 創設時には、サッカーのプロリーグが成功するかどうかはまだ懐疑的でした。だから、日本で唯一のプロスポーツだったプロ野球との違いを強調するために、それまでスポーツ界では馴染みのなかった言葉をJリーグは採用しました。

 そして、これらの言葉は「違い」と同時に、「新しさ」を印象付けることにもつながりました。

「Jリーグ」だってそうでした。

 発足前、候補に挙がっていたのは……

 ゴールドリーグ、ハイパーリーグ、シティリーグ、ふるさとリーグ、戦国リーグ、カミカゼリーグ、サッカーサミット、インタージャパンリーグ……

 笑ってはいけません。すべて新リーグの候補として挙がったものです。

 この中から「ジャパンリーグか、Jリーグかで最後まで迷った」と初代チェアマンが話していたことがあります。

 発表は1991年7月でした。しかし、それほど話題になったわけではありません。でも1993年に流行語大賞!

 開幕してブームが起きて「Jリーグ」は流行語になった。いまとなっては耳にも目にも馴染んでいるのでピンと来ないかもしれませんが、当時はインパクトのあるネーミングだったということです。

 ちなみに同年の流行語大賞新語部門は「サポーター」。

 そんな数ある新しいネーミングの中でも、とりわけ大きな意味と効果があったのが「サポーター」と「ホームタウン」だったと僕は思っています。

言葉革命

 それまでのファンを「サポーター」に、フランチャイズを「ホームタウン」に変えたことは、ネーミングのインパクト以上の、というよりまったく別の意味がありました。

 そして、それこそがJリーグ最大の成功要因だったとさえ思います。

 この呼称を使い始めたのは「Jリーグ」という名称発表をした頃でした。

 その少し前、参加10団体(オリジナル10)の発表時には、まだ「フランチャイズ」という言葉を使っていたので、その数か月の間に設立準備室の中で、リーグの理念の整理が進んだのだと思います。

(一連の流れはこちらでわかりやすく一覧になってます→【公式】Jリーグの歴史:About Jリーグ:Jリーグ公式サイト(J.LEAGUE.jp)

 それが「地域密着」という理念です。

 Jリーグは地域と共に存在していきます、という宣言。

 とはいえ「地域」では曖昧です。そこに「サポーター」と「ホームタウン」という言葉が登場するのです。

 つまり、ファンを「サポーター」、フランチャイズを「ホームタウン」と呼ぶことで、単なる観客でも本拠地でもないことを明示した。そして「あなたもクラブを支える一員です」と伝えたのです。

 その結果、芽生えたのが「当事者意識」です。

「サポーター」と呼ばれるようになったファンにも、「ホームタウン」となった自治体にも、自分たちのチームという意識が芽生えた。

 そして、プロ野球のように楽しんで応援しているだけではなく、自分も当事者の一人として支える存在なんだとJリーグのことを捉えるようになった。

 これは(ネーミングというより)言葉による意識改革。日本のスポーツ界に起きた「言葉革命」だったと言ってもいいと思います(同じ頃、ピッチの中でも「スモールフィールド」や「スリーライン」など言葉革命が起きました)。

地域密着というビジネスモデル

 このとき起きた変化は、別の視点から見れば、それまで日本スポーツ界になかった新たなビジネススキームの発案と言うこともできます。

 なぜなら「Jリーグは地域と共に存在していきます」という宣言は、逆に言えば「Jリーグは地域によって支えられて存在していきます」というお願いでもあるからです。

 そのためには、ファンや自治体を単なる観戦者や応援者ではなく「支援者」に変えなければなりません。そしてJリーグと主体的に関わる「利害当事者(ステークホルダー)」として巻き込まなければなりません。

 ファンを「サポーター」に、フランチャイズを「ホームタウン」に言い換えたことは、その意味で絶大な効果を生みました。

 ファンが単なる観客ではなく、クラブの一員という意識になっただけでなく、自治体もクラブを積極的に援助をできる空気が醸成された。

 しかもJリーグが企画された頃は、未曾有の好況で企業業績がよく、地方の税収も潤沢な時代でした(後にバブルと呼ばれる時代です)。

「地域密着」はそんな当時の経済状況にピタリとはまるビジネスモデルで、「ホームタウン」はそれを体現する言葉だったということです。

 さらに時代を俯瞰すれば、戦後一貫して追い求めてきた「豊かな生活」が実現した後で、日本人がふと立ち止まり、心の空洞に気づき始めた頃でもありました。

 豊かさと便利さを手にした末に、お金ではない価値や、新たな幸せのカタチを模索していた時期。そこに中央集権から地方分権への流れも……。

 そんな時代にJリーグが発する言葉は刺さったのです。その言葉がもたらす未来図(ビジョン)が変化を求める日本人の心に響いた。

「百年構想」、「スポーツでもっと豊かな国に」、そして「あなたの町にもJリーグはある」。

 当時、Jリーグが矢継ぎ早に繰り出したキャッチフレーズはどれも秀逸でした。

 もちろん、現実には「あなたの町にも……」と言われても、このときJリーグがあったのは9都市だけです(横浜に2チーム)。醒めた耳で聞けば「俺の町にはJリーグはない」と言い返したくなりそうなフレーズでもあります。

 でも、醒めなかった。当事者になれたからです。

 俺の町にもJリーグを作ろう。Jリーグが始めた物語の続きを紡ごうとする人々が、まさしく全国津々浦々に現われた。

 プロ野球のように親企業が提供してくれたものを観客として楽しむのではなく、自分たちで作り支える。

「サポーター」、そして「ホームタウン」という言葉には、そう思わせる力がありました。

ホームタウンで危機を回避

 Jリーグが単なるブームで終わらなかったのも(ブームは終わったが、Jリーグそのものは終わらなかった)、はじめに芽生えたこの当事者意識があったからだったと思います。

 ブームは創設年と2年目で終わりました。その後、観客数はずっと低空飛行で、最多だった1994年(2年目)に戻したのは、実はつい最近、コロナ禍の前年です。

 しかも創設から5年が過ぎた頃には、クラブの消滅危機が相次ぎました。

 もう忘れている人もいるかもしれませんが、悲劇は「横浜フリューゲルス」だけではない危険性が十分あった。

 清水、鳥栖、平塚(湘南)、甲府……多くのクラブで運営会社が破綻したり、交代したり、その一歩前でした(そういえば、現在J最大クラブである神戸もその一つです)。

 それでも悲劇がフリューゲルスだけで収まったのは、はじめにステークホルダーとして巻き込んでいたから。

 当事者意識を持ったサポーターたちが懸命に「自分たちのクラブ」を支えた美しいエピソードは数限りなくあるし、身も蓋もない話では自治体が多額の税金を注ぎ込んでいたから潰すに潰せなかったケースもありました。

 いずれにしても「ホームタウン」というビジネスモデルが危機に機能したわけです。

 しかも、Jリーグにはそんな経営戦略の源に「理念」がありました。だから共感し、当事者意識を持ち、共に歩もうとする人たちが増えた。

 その意味で、まず「理念」を掲げ、それから実現のためのビジネスモデルを構築したJリーグのスタートアップは、現在多くのベンチャー経営者が口にする「まず理念」というトレンドと符合します。

 時代を先取りしていたし、だから成功したとも言えます。

新しいホームタウン制

 長い説明になりました(が、「ホームタウン撤廃」について考える出発点には立てたかも)。

 もちろん考えるのはみなさん一人一人ですが、一応、原稿なので現時点での僕の考えを。

 まず、はっきりしているのは「ホームタウン」はJリーグにとって宝であり、資産だということ。

 創設当時から啓蒙して、30年近くかけて根付かせてきた当事者意識とビジネススキームです。手放す選択はあり得ません。

 もちろん「撤廃」はハレーションが強すぎます。サポーターから猛反発を食うことは必至です。

 当事者意識は裏返ると、抵抗勢力にもなります。近年の名称変更や株主変更を見ていても、それは明らかです。得策ではありません。

 一方で、30年前のビジネスモデルがすでに新しくなくなっていることも確かです。特にIT革命以降、経済的にも社会的にも環境は激変しています。

 そんな新たな環境で、「ホームタウン」が新たなツールとアイデアでビジネスをしていく足かせになっている部分があるとすれば改善しなければなりません。親会社依存だったプロ野球で、楽天が参入直後から黒字を達成したのを見ても、優れた人材が入れば経営は劇的に変えることが可能です。

 残念ながらJリーグはクラブビジネスの余地が少ないので、参入メリットを感じてもらいにくいというのが現状です。

 しかも今後日本では人口減少と高齢化がますます顕在化していきます。2050年前後には人口が1億人を切り……というとだいぶ先な気がするかもしれませんが、2042年には高齢者人口が4000万人を超え、その前に2025年にはヴォリュームの大きい団塊世代が75歳以上になり、医療・介護費が急増します。

 自治体の台所を考えれば、かつてのようにアテにできる状況ではありません。

 そして、言うまでもなく先に困窮するのは地方です(東京都でさえ2045年には3人に1人が高齢者になります)。

 そんな中、地方クラブが生き残る方法は……とJリーグの持続可能性を考えていけば、やはり変革が必要なのも明らかです。

 だから(Jリーグがリリースした通り)ホームタウンの「方向性について議論」する必要はあると思います。

 もしかしたらタイミングとしては、もうギリギリかもしれません。

 最後に付け加えれば、「新しいホームタウン制」が、「新しい資本主義」で喧伝されているような日本型社会主義に陥らないことを個人的には願います。

 懐古的な手法がうまくいくのは懐古的な環境が続いている場合だけだと思うので。

フリーライター

1965年生まれ。早稲田大学中退後、『週刊宝石』にて経済を中心に社会、芸能、スポーツなどを取材。1990年以後はスポーツ誌を中心に一般誌、ビジネス誌などで執筆。著書に『冒険者たち』(学研)、『星屑たち』(双葉社)、『日韓ワールドカップの覚書』(講談社)、『東京マラソンの舞台裏』(枻出版)など。

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