決して無理を言わない、気配りの人・志村けん 唯一、温泉旅館の女将に頼んだことは――?
予約の仕方にも気遣い
志村けんが最初に「べにや」を訪れたのは、平成十二(二〇〇〇)年頃。福井県在住の 知り合いに連れられて来た。その翌年から、毎年一月三日か四日にやってきては、三~四泊滞在した。
到着すると、いつもの「呉 くれ 竹 たけ 」の部屋に入った。
「ほとんどの時間をお部屋で過ごされ、ご到着前に浴衣数枚と丹前、バスタオルなどを通り用意しました。
志村さんがお好きな焼酎に、福井が誇る酒蔵「黒龍」の石田屋、二左衛門、そしてグラ ス、氷もお部屋のテーブルに置き、いつでもお楽しみいただけるようにご用意しました」 と、女将は酒好きだった志村のことを語った。
日中は酒を飲み、温泉に入ることを繰り返し、 夕方になると、不精髭を生やしたまま浴衣と丹前で温泉街を散歩に出かけた。
「志村さんはお戻りになると、にこにこしながら『気づかれなかったよ』『二度見されたけど、 誰も声をかけてこねぇよ~』などとおっしゃり、 あわらの人の反応を楽しんでいました」
「べにや」は客室で食事を摂る。志村けんの部屋の係は、いつもベテランのあい子さんだった。 冬の名物の越前ガニを用意するあい子さんに、 志村は酒を片手に自身が出演するTV番組を観 ながら語りかけた。
「この放送ね、こう流れたけど、もっとこっちからも、あっちからも撮っていたんだ。もっとこう編集したほうが良かったんじゃないか と思うんだな、どう思う?」
「そんな細かいこと、素人にはわかりませんよ」でもね、このほうが良かったんじゃないかな… …」
「専門の人に任せておけばいいのよ」
「そうかな… …」
あい子さんは志村けんに対して特別扱いはしなかったし、さばけた性格のあい子さんに 親しみを覚えたのだろうか、いつも自分の仕事について率直な意見を求めた。
志村けんは自著で自らを「職人」と呼ぶ。旅館で寛 くつろ いでいても、四六時中仕事のことを 考えていたとは、その気概に驚かされる。
仕事で福井や石川に来た時も、「僕たちはチームで動いているから、和を乱さないよう に」と、〝ついで〞に立ち寄ることはなかった。
こんな職人気 かたぎ 質の志村けんだが、「べにや」では子ども好きの一面を見せた。
「うちの子どもたちを本当に可愛がってくださいました」と、女将が見せてくれた写真には、志村けんと子どもたちがじゃれあう姿がある。
「うちの四人の子どもにお年玉を下さいました。名前を入れたぽち袋まで用意してくださ ったんですよ。部屋に呼ばれたり、ロビーで渡されたり、子どもたちも、もう大喜びです」
女将はさらに志村けんの人柄を語り続ける。
「志村さんはご自分のことはご自身でやられましたが、仮に私に何かを頼まれたとしても、 『俺のことを先にやって』とおっしゃる方ではありませんでした」
混みあう年末年始ではなく、少し落ち着く一 月三日か四日に来ることにも、志村けんらしい 気遣いが表れている。
「うちでお正月を過ごすことを恒例とし、楽し みにしているお客様に割って入り、予約される ようなことはありませんでした」
決して無理を言わない志村けんが、唯一、女 将に頼んでくることがあった。
「お帰りになる時に、必ず私に『女将、来年は 雪を降らせておいてね』とおっしゃるんです。 私が『はい、かしこまりました』と申しますと、 安心したように微笑まれました。お部屋から眺める庭がお好きでした。冬は雪吊りをするんですよ」
志村けんは、翌年の予約を入れて帰った。
「志村さんは毎年、年末になると麻布十番の『豆源』から詰め合わせを贈ってくださいま した。それはそれは大きな段ボールで(笑)。『お正月明けには行くからね』という合図でした」
なんて愛嬌がある人なのだろう。
※この記事は2024年6月5日発売された自著『宿帳が語る昭和100年 温泉で素顔を見せたあの人』から抜粋し転載しています。