「映画離れ」は「映画そのもの離れ」と「映画館離れ」
映画を観る人、映画館に行く人、双方とも減少中
映画館数(スクリーン数)、映画公開本数共に昨今では増加傾向にあるが、それに相反する形で映画館への客足についてはあまり良い話を聞かない。その状況を示す言葉としてよく用いられているのが「映画離れ」という言葉。その実情を推し量れる調査結果が、先日ライフメディアのリサーチバンクから「映画に関する調査」として報告された。
それによれば「映画離れ」は実体として、「映画そのものから距離を置く動き(映画そのもの離れ)」と「映画館離れ」の2つの要素で成り立っていると判断できる。
リサーチバンクでは2011年以降毎年同じ時期に同テーマで調査をしており、その経年変化による「映画を観る頻度」の調査項目で「映画は観ない」(映画館だけでなく、テレビ番組や購入・レンタルビデオ、動画配信まで合わせてルートを問わず)の回答率が年々増加しているのが確認できる。
これが1つ目の要素「映画そのもの離れ」の裏付け。理由に関する調査はなされていないが、趣味娯楽の多様化や作品の品質に関するミスマッチなどが理由として考えられる。
そしてもう1つは「映画館離れ」。映画は興味がある、好きで鑑賞するが、映画館では観ない、足は運ばないというもの。映画を観る人に限定し、映画館で観る頻度を聞いた結果が次のグラフだが、高頻度で観る人が漸減し、ほとんど観ない、映画館に行かない人が漸増している。
「半年に1回」「年1回」の層はほぼ横ばいに見えるが、これはあくまでも「映画を観る人」に限定しての割合。最初のグラフにある通り、年々「映画そのものを観る人」自身が減っているため、全体比で勘案すれば、これらの人達も減っていることになる。要は全体的に「映画は観るけれど、映画館にほとんどいかない、まったく行かない人が増えている」という次第。
なぜ映画館に行かないのか
それではなぜ映画を映画館で観ようとしないのか。「映画を観るが、映画館に行かない人」にその理由を聞いた経年結果が次のグラフ。
大きな理由は「自宅で観る方が楽」「観賞料金が高い」の2つ。前者はテレビの大型化やスマートテレビ化で、自宅テレビで映画鑑賞の環境が整備され、好条件化したことが大きい。映画館で映画を鑑賞するためには、上映時間に合わせる形で足を運び、周囲への気遣いが求められる。大画面と臨場感が最大のメリットだが、それすら自宅環境の整備で、差異はさほどのものではなくなりつつある。
映画館の観賞料金は値上げされてはいないが、娯楽の多様化に伴う相対的な割高感に加え、自宅の環境整備で、対価分の価値を見いだせなくなっている。昔なら「大画面で迫力ある最新作の映画なら1800円出しても良い。自宅のテレビではいつ放映されるか分からない、そして観れたとしても画面が小さいので魅力に欠ける」だった。今では「ちょっと待てば自宅で気さくに大迫力の画面で観賞できるから、1800円を出すほどの価値は無い」と判断されてしまう。
「近くに映画館が無い」「観たい映画が無い」のような、映画業界そのものの問題が原因で映画館から離れていく人も増えている。率の上では「自宅で観る方が楽」と比べれば少数だが、無視できるものではない。
映画館での映画鑑賞は何物にも代えがたい魅力がある。一方でその魅力は「相対的に」その立ち位置を下げつつある。高性能テレビの普及やスマートテレビ化、インターネットを用いた高画質の動画配信、消費者の趣味趣向の多様化。映画の周辺環境は劇的に変化している。
その環境変化の荒波の中で、どこまで映画(館)は抗えるか。あるいは変化を認めた上でそれに乗るような仕組みを考えるか。大規模な戦略転換、発想の変換が求められているのは間違いあるまい。
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