【富士宮市】山宮浅間神社まで後1丁 御神幸道四十九丁目の脇には歴史ある山神宮が祀られています
明治の初めまで行われていたという『山宮御神幸』。
御神幸とは、春秋の大祭前日に浅間大社と山宮浅間神社との間を祭神が往復するもので、祭神は鉾に宿って移動したと言われています。
鉾を休ませるための鉾立石は浅間大社の楼門前と山宮浅間神社の参道に残っています。
御神幸道は50丁(1丁約109m)で、1丁ごとに丁目石が置かれていたそうですが、現在はあまり残っていないそうです。
山宮浅間神社第二駐車場北の道を入り、市内最古の道祖神のある手前の十字路を右に曲がると山宮浅間神社御神幸道四十九丁目の碑があります。
今は時期を過ぎてしまいましたが、道路沿いに紫陽花が植えられていたので、もう少し早く訪れたら綺麗だったと思います。
山宮浅間神社御神幸道四十九丁目の碑の道を挟んで反対側にある、木々に囲まれた神社は、宮内集落の『山神宮』です。
倒れたままになっている石灯籠には「宝歴十三年 奉納御宝前 癸末十二月二日」と刻まれていました。
宝暦十三年癸末(みずのとひつじ)は西暦に直すと1763年、江戸時代中期に当たります。
享保の改革で厳しい年貢収奪に農村の住民たちは苦しみ、天災飢餓が続いた頃でもあります。
宮内の農村に住む住民たちは、こんな状況を打破したいとここに農業の神様を祀る山神宮を創建したのかもしれません。
山の神を祀る石祠の背後には竹で作られた弓矢がありました。
この弓矢は山の神の祭日で、奉納されたものです。
弓矢は表鬼門(北東)へ向けて奉納するという決まりがあるそうです。
森の中にひっそりとある石祠での存在に似使わない立派な白い鳥居は昭和三十六年に建立されたものです。
日差しの暑い日でしたが、山神宮一帯は木陰のせいか、優しいひんやりとした空気が流れているようでした。
時を越えてなお、地元の方々に大切に祀られている『山神宮』石祠の前には、まだ新しいワンカップが供えられていました。
山神宮:富士宮市山宮
アクセス方法:山宮浅間神社第二駐車場北の道を入り、一つ目の十字路を右折。150mほど進んだ左側