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荻窪ラーメンの老舗「春木屋」はコロナとどう戦っているのか

井手隊長ラーメンライター/ミュージシャン

荻窪。

戦後の闇市からの流れで、荻窪駅の北口周辺を中心に老舗のラーメン店が立ち並ぶ。東京ラーメンといえば荻窪と言っても過言ではないほど、東京のラーメンを語る上では外せないエリアだ。

その中でも、青梅街道沿いにある1949年創業の「春木屋」はその中心的なお店だ。1980年代には「荻窪ラーメン」の大ブームを作り、東京を牽引してきた存在である。煮干しがじんわりと効いた醤油ラーメンで、当時を生きていない人々にとっても実に郷愁を誘う一杯だ。令和の時代になってもその人気は健在である。

創業から70年続く老舗「春木屋」
創業から70年続く老舗「春木屋」

しかし、創業から70年以上の歴史のある「春木屋」にとっても、今回の新型コロナウイルスは創業以来最大のピンチとなっている。長く続く老舗がコロナとどう戦っているのか、「春木屋」の二代目店主・今村幸一氏、その妻で専務の正子氏、三代目の常務・隆宏氏に話を聞いた。まずは「春木屋」の歴史から見ていこう。

食通の著名人が絶賛

1949年に「春木屋」はオープンした。創業者は今村五男氏だ。

屋台風の小屋のようなお店で、当時はラーメン一杯30~35円が主流の時代だった。荻窪近辺の中央線沿線は昭和初期から著名な文豪が多く住んでいて、食通と呼ばれる人も多かった。

「ただいま見習い中」の台本と、山本嘉次郎のグルメ本
「ただいま見習い中」の台本と、山本嘉次郎のグルメ本

1966年には向田邦子脚本の「春木屋」を舞台にしたドラマ「ただいま見習い中」が放映され、1973年には山本嘉次郎がグルメ本で初めて「春木屋」のラーメンを紹介した。その他、徳川夢声や遠藤実、宮田輝、鳴門親方など著名人のファンも多かったという。

創業当時から革新的な考え方

創業者の五男氏は当時から他の店とは違う革新的な考えを持っていた。

まず、ラーメンの価格は他の店より10円でも高くしたいと考えていた。薄利多売からの脱却はラーメン界としてはチャレンジングで、「春木屋」が値段を上げれば周りの店もついてくるというひとつの基準になっていた。

価格を上げる代わりに営業時間をできるだけ短くすることで、従業員の労働環境を良くしようとしていた。厨房も広く作り、生産効率をあげていった。

売上のもうひとつの柱だった出前も敢えてやめて、来店客を大事にした。「美味しいものを提供すれば人は来てくれる」ととにかく味を磨き続けた。麺は創業当時から自家製麺で、地粉を使って毎日製麺していた。海苔以外はすべて自家製にこだわっていた。

売上が落ち込んだ時のためにサイドメニューの開発にも着手していたが、店では敢えてラーメンしか出さなかった。

二代目へのバトンタッチ、そして「荻窪ラーメン」ブームへ

1986年に、店を現在のビルに建て替える時に二代目・今村幸一氏に代替わりとなった。

幸一氏は中学の頃から店でアルバイトをしていて、高校時代からは製麺を手伝っていた。学校から帰ってきて遊びに行こうとすると睨まれ、毎日のように店を手伝っていたという。

「料理人は白衣を着るべき」と二代目・今村幸一氏。
「料理人は白衣を着るべき」と二代目・今村幸一氏。

「荻窪ではラーメンの地位が限りなく低く、大衆食にすらなっていませんでした。

『ラーメン屋は汚い・きつい・暗い(3K)』というイメージを払拭しない限りラーメン界に明日はないと、とにかくラーメンの地位を上げるためにテコ入れを行いました。

身なりは白衣でピシッとして、薄暗い店内の照明は明るくして、店の掃除も毎日こまめに行いました」(幸一氏)

ラーメンの地位を上げ、家族で食べに来られる大衆食にしたい。その思いで、「春木屋」は味以外の部分にも力を入れてきた。

中華そば
中華そば

80年代には杉並区が荻窪のラーメンマップを発行するようになり、テレビや雑誌でも多数紹介され、荻窪ラーメンブームが訪れる。

「荻窪ラーメン」はメディアが広めた名前で、袋麺にもなったことで名前が全国区になった。「春木屋」のピーク時には150人の行列ができた。幸一氏はラーメンの地位が確実に上がっていくのを感じたという。

二代目の苦労

創業当時から愛されてきた味をどう受け継いでいるのか。そこにも二代目の苦労が見えてくる。

「先代が使っていた食材の3分の1ぐらいが廃番になり、使えなくなってしまったんです。そうなると、代わりのものを使わなくてはいけなくなります。

食材は時代とともに変わってしまう。同じラーメンを作ろうにも食材が変わってしまうという苦労は大変大きかった」(幸一氏)

今ではどんな食材も手に入りやすくなっているが、当時は簡単ではなかった。全く同じレシピで作り続けること自体不可能だったのだ。創業当時の味を軸にしながら、時代に合わせてベストな味を模索するしかなかったのだ。逆に、自家製麺は40年以上同じブレンドで作り続けているという。

「作って売るだけなら簡単です。

それよりも、作る前の準備や目利きが大切です。安易に高級食材を使うのではなく、高級でなくてもいいものを選んで上手に使って美味しくするのが職人の腕だと思います」(幸一氏)

先代の高い壁

幸一氏に代替わりしてからは、長く先代の高い壁が重くのしかかっていたという。

昔からのファンにとっては「春木屋」の味は先代の味。その評価は幸一さんにとっては大変辛いものだった。先代を超えたと思えたのは最近のことで、本当に長く苦労の時代が続いたという。

店主の色が濃すぎると次の代にバトンタッチできないもの。それだと人が育たないんです。

『昔の方が美味しかったな』と言われるのは次の代が辛い。長く店を続けるためにはオヤジの色を濃くしてはならない。だから、私は厨房から敢えて外れるようにしてきました」(幸一氏)

自分で作った方が早いし、美味しいものは作れる。だが、人を育てるためには、きちんと教えて厨房に立たせることが大事だと幸一氏は考えた。

近年は人手不足で、様々な職歴、年代の方も多く働いている。その中で変わらないものを作るために、店を長く続けるために将来まで見据えた「春木屋」のビジョンである。

三代目の考えていること

幸一氏の息子・三代目の隆宏氏は「春木屋」のラーメンをどう考えているのか。

「昔からのお客さんにとっては、『春木屋』が変わらずにそこにあることが大切なんですよね。世の中の変化が激しいからこそ大切です。刺激だけでは人は疲れてしまいますからね。

「変わらず美味しいね」と言ってもらえることが喜びです。その中で、ただ古くからあるというだけではなく、変わらず落ちずに続けることの大切さを噛みしめています」(隆宏氏)

食材の問題もあり、創業時代と全く同じものを作っているわけではない。しかし、それは時代に合わせて変えてきているのであって、隆宏氏としては昔に戻すことがベストではないと考えている。コアな部分を変えていない確信があるからこそ、今がベストだと言えるのだ。

新型コロナウイルスとの戦い

新型コロナウイルスは「春木屋」にとっても創業以来最大のピンチである。

荻窪は住民の高齢化が進んでいることもあり、緊急事態宣言が発令されて以来、街に人はまばらだった。昨年4月からの1度目の緊急事態宣言中は売上が6割まで落ち込んだという。

特選ちゃーしゅー麺
特選ちゃーしゅー麺

しかし、その後少しずつ客足が戻ってきた。

7月頃には8割まで売上が戻り、最終的には年間を通して8割を何とかキープできたのだ。理由は、メインが昼営業だったことと「常連」の存在である。観光客や仕事で訪れる営業マンが減った分、常連が店を支え続けたのだ。

「悩みましたが休業はしませんでした。ラーメン店は滞在時間が短く、安全に店を続けることこそ今必要とされることなのではないかと思い、営業を続けました」(隆宏氏)

そして、昨秋にはセブン-イレブンからチルド麺『東京荻窪・春木屋監修チャーシュー麺』を発売した。

かつての「春木屋」だったらこういったオファーは受けなかったが、チルド麺の開発技術の向上に驚き、実現にこぎつけたという。

今は昔以上に“安心安全”が大切です。

お店独自で開発することも考えましたが、こういう商品はプロと組んで作った方が安心です。

こういった時は守りだけではダメで、世の中の変化に対応していかないとただの頑固な店になってしまう。店でお客を待っているだけではなく、外でアピールできるチャンスと捉えて発売しました」(幸一氏・正子氏)

セブン-イレブンで発売中のチルド麺『東京荻窪・春木屋監修チャーシュー麺』
セブン-イレブンで発売中のチルド麺『東京荻窪・春木屋監修チャーシュー麺』

幸一氏はコロナの影響で老舗が次々に閉店してしまっていることを嘆く。

「今後がどうなるか読めない中、商売は利益がないならやるべきではない。無理してリスクを背負うのもギリギリまでにして、その先は考えなくてはいけない部分だと思います。

やめることは簡単。続けることの大変さを日々感じています」(幸一氏)

人の価値観や生き方もこれから変わっていくだろう。ラーメン店も、変わりたくなくても変わらなくてはいけない状況を迎えてしまった。妻・正子氏と隆宏氏は「ここは心が折れても仕方ない。今は世間の流れに流され、後のことはその後に決めるしかない」と語る。

「春木屋」の創業より続く革新的な考え方や変化に対応する力。変わり続ける時代を生き抜いてきたからこそ、それが対コロナにも生きてきている。

常連の存在やチルド麺の売上に支えられながら、「春木屋」もコロナの終焉を待っている。

※写真はすべて筆者のスタッフによる撮影

ラーメンライター/ミュージシャン

全国47都道府県のラーメンを食べ歩くラーメンライター。東洋経済オンライン、AERA dot.など連載のほか、テレビ番組出演・監修、コンテスト審査員、イベントMCなどで活躍中。 自身のインターネット番組、ブログ、Twitter、Facebookなどでも定期的にラーメン情報を発信。ミュージシャンとして、サザンオールスターズのトリビュートバンド「井手隊長バンド」や、昭和歌謡・オールディーズユニット「フカイデカフェ」でも活動。本の要約サービス フライヤー 執行役員、「読者が選ぶビジネス書グランプリ」事務局長も務める。

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